JJ

JJの気まぐれブログ

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僕は高校時代倫理が結構好きだったのですが、その中でも特に好きだったコンセプトがマズローの欲求階級説です。知ってる人も多いと思いますが欲求をランキング化し5つのレベルにわけたもので、下から順に生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求です。社会的欲求は社会から受け入れられたい欲求、承認欲求は他人から認められたい欲求で下4つは他者承認、自己実現欲求のみが自己承認と言われています。この手の話題になるとよく言われるのが自己実現欲求が最も価値のある意味のある欲求だから他人のことなんて気にせず比較せず自分の夢に追い続けよう、的なことですよね。僕もそうだと思います。ただ理想はそうでもやっぱり下4つの欲求が毎日を支配しちゃうのが多くの人の現実なんじゃないでしょうか。

SNSでいいねをもらうことやフォロワーを増やすことは承認欲求を満たすためと言われることも多く、使うたびに少し後悔しちゃうなんて人も多いのではないでしょうか。いつもはインスタのポストで50いいねくらいもらっているのに今日のは5時間も経ったのに30しかないなんて、、、投稿削除しようかな、と思う人もゼロではないと思います。僕は特にそういうのが気になっちゃうタイプで、気にしたくなくてもいいねの数とかストーリーを何人くらいの人が見たんだろう、とかチェックしちゃいます。承認欲求が強い人はSNS向いてないからやめようとかも思うのですが、承認欲求を満たすにはSNSが一番手っ取り早いのでそういう人ほど依存しちゃうのだと思います。

さて綺麗事ばっか言っても仕方ないですし一回自分に正直になって僕の承認欲求の詳細を紹介したいと思います。インスタにストーリーを載せたとき何かコメントを送って欲しい。インスタでもツイッターでもフォロワーの半数くらいはいいねしてもらいたい。ブログは色んな人に読んでもらいたいし、読んだら何かコメントしてほしい。などなどあげ始めたらキリがないですがとにかく僕は承認欲求が強い部類に入る人だと思いますし、使用頻度は少なくてもラインなどのチャットを含むSNSがないと欲求不満で生きていけないタイプの人間だと思います。そもそもブログを始めた理由も書くのが好きな理由も、誰かに共感してもらえるのが非常にハッピーで生きる原動力になるからですし、他人に自分という存在や自分が持っている考えを受け入れてもらえる・認めてもらえるというのが嬉しいのです。 恥ずかしいっちゃ恥ずかしいですが、人間の奥底にある欲求って表面上隠すことはできても、その量とか質を変えるのは難しいんじゃないかと思っています。変えることは可能でもそれこそ僕は欲求というのは一種の依存症、つまり病気だと考えているのでそれなりの治療が必要なんだと思います。

これまでの文章を読んでお前は承認欲求が強すぎる、だとか私はそんな承認欲求ないし何を言うとんねんと思われる人も多いと思います。ただ僕が今回共有したい考えは承認欲求の有無やインテンシティーについてではありません。僕はSNSが普及している現代社会の価値観は非常に怖いものだと思っています。その価値観とは何か”人と違う”、”特殊な”ことをする人を過剰に評価する考え方です。再生回数の多い動画などを観ても”普通の人なら買えない”高価なものを買ってみた、とか、”誰もやったことがない”ことをしてみた、などと何か特殊なことが題材になっている気がします。よく考えると”普通の人ができない”ことや”自分にしかできない”ことをできる人が評価されるのは科学が進歩し始めてからは一般的な人間の評価基準になっているのがわかります。例えばノーベル賞やスポーツの祭典なども全てその分野で誰が一番”他の人ができない”とこまでできるか・わかるかを競っています。こういった誰もが納得できる人間界のゴール・それに向かう競争が全分野に存在するからこそ私達は他人と比べ自分の立ち位置を知りたくなったり、自分に自信がないときなどは”自分生きてるよね?価値ある人間なんだよね?”と承認されたくなるのだと僕は個人的には思っています。

僕は正直どの分野でも”誰もができないような”ことをできる自信がありません。勉強もある程度はできても上には何千万人も何億人の人がいるので何かでトップに立つのは無理です。その他の事でも他人に勝つには無理ですしモチベーションもありません。結局どこでも自分は勝てない、今設定されている”他者ができないことをできる人を評価する”という価値観では自分は価値のない人間だと理解しているからこそ承認欲求が強いのです。だからこそふと”自分の生きる意味は何だろう”、”評価もされないのになんで勉強しているんだろう”と人生に対する無の感情を抱いてしまうわけです。僕の社会の価値観に対するこの考え方はもしかしたら全くまと外れな被害妄想のような考えかもしれません。僕は正直生きる意味・人生のゴールがよくわからなくて毎日モチベーションがあまり出なくて困っているので、賛成意見でも反対意見でもとにかく色んな考えを吸収して自分の人生をもっと楽しく生きたいです。

さてマズローの欲求階級説に戻ると、自己実現欲求というのは評価するのが自分だけなのでいくらでも自分に価値を付加させることができるという意味で確かに素晴らしいものだと思います。もしかしたら楽しく生きている人は自分で決めた目標に向かってあらゆることをクリアしていくことを人生としているのかもしれません。ただ自己実現欲求のみをモチベーションに暮らしていくことなんて可能なんでしょうか。例えばあなたが奴隷や社畜だったとして他人に全く認められなくても辛くても本当に自分だけをモチベーションに生きていけるのでしょうか?無理です。自己実現欲求をいくら語ろうが結局下の4つの欲求がある程度満たされていないと人間は幸せにはなれません。だから僕は一つ新しい考え方を社会に取り入れたい。それは個人個人に社会・他者が価値を付加するということです。例えばD川端という人間がいたとしてその人自身を分野の一つとして社会が認識してあげるという事です。勉強でもスポーツでも社会で決められたどの分野でもトップになれず他者に認めてもらえなくても、D川端一人の中でトップなんだ、あなたという存在はあなたによってしか現存させられない尊いものなんだ、という評価を自分でするんじゃなく社会・他者がしてあげる。それを全個人がその他全個人にできる社会・価値観をつくりあげることができれば今世の中に存在する社会問題は全て解決できるんじゃないかと思っています。一人一人が他個人を心の底から尊敬しあい、その人という分野でその人をトップとして評価してあげる。そうすることで他人と比較して優越感・劣等感を得る、SNSで承認欲求を満たすなどといったことが必要なくなるんじゃないかと思っています。完全な理想論ですし、具体的にその価値観を取り入れる方法もまだありませんが、僕はみんながみんなを認め合える社会に住みたいしそれは可能だと思っています。せっかくブログという形で自分の考えは発信できているのでみなさんの色んな考えを聞いてみたいです。