〜婚約した話し〜
~驚くほど予定通り~
えりちゃんと付き合い始めたのは、今から遡ること2年前、2024年の2月に一緒にハワイに行った時だった。詳しいことは2024年3月29日公開の「最高の彼女ができた話し」に書いてある。またその数カ月後、2024年6月10日に書いた「20代で結婚したい話し」には、結婚のタイミングについてこう記していた。
「タイミングについてだが、付き合い始めた時がお互い25歳になりたてであるため、2~3年付き合って婚約、そこから1年くらい後の28~29歳あたりで結婚が一番自然な気がしている。」
現在これを公開しているのは2026年3月のことで、付き合いはじめてちょうど2年が過ぎた時に婚約したことになる。
キャリアの話でもそうだが、ブログや日記などで自分の目標・プランを明記することのメリットは、達成確率を上げられることだと思う。有言実行という言葉があるが、自分の経験上、何か覚悟を決める時はそれを正々堂々と言葉にして、そこに向けて全力を尽くすのが一番近道のような気がしている。
〜婚約準備〜
今日は2月18日。婚約予定の3月4日までちょうど残り2週間だ。ここでプロポーズのプランを紹介しよう。
3月3日に僕はシアトルから、彼女は東京から、お互いホノルル経由でビッグアイランド(ハワイ島)に向かう。初日はヒロという街に一泊し、翌日4日に車で西側のコナエリアに移動する。コナではそこから4泊、オーシャンビューのかなり良いホテルを取っている。
4日の予定としては、ヒロから車でキラウエア火山に向かい数時間自然を満喫。その後は南の方をゆっくりドライブして、16時ごろにコナのホテルにチェックイン。少し休んでから17時に宿を出発し、北西のビーチを目指す。そして18時あたり、人があまりいないビーチで夕陽が沈む少し前にプロポーズ。そこから写真撮影を楽しんだ後、19時半に予約済みのフォーシーズンズのレストラン「Ulu」でディナーというプランだ。
なぜ3月4日かというと、なるべく早めに渡した方が今回の旅行中に彼女が婚約指輪を長く着けられること、そして初日はフライトの疲れがあるから違うな、と思ったため。ということで3月4日に確定した。天気が悪かったら次の日に、なんてことは全く考えていない。調べた限りビッグアイランド西海岸は雨が降っても一時的なのと、プロポーズで渡す予定のフォトブックに既に3月4日と書いてしまったから。なんとしてもこの日に決める予定だ。
〜指輪〜
婚約指輪については、昨年12月に僕が日本に遊びに行った時、既に二人で買いに行っている。去年はゴールデンウィークや夏休みに一緒にジュエリーショップを回り、Chaumet(ショーメ)のジョセフィーヌが良いとのことで事前に取り寄せまでしてもらっていた。そのため指輪については一切サプライズ要素はない。
SNSを見ていると、婚約指輪や結婚指輪の投稿が溢れていて、未婚の人にはプレッシャー、既婚の人には比較対象になってしまっているのかな?と思わないこともない。自分はもちろん載せる側の人間だが、正直、指輪そのものにそこまで絶対的な価値があるとは思っていない、とだけは明記しておこう。
昨年MBAでプロダクト・マネジメントの授業を履修した時に面白いなと思ったことだが、人間は、Functional(機能的)、Emotional(情緒的)、Social(社会的)のニーズを満たすためにものを買うそうだ。
高性能なスマホやハイクオリティな食材を買うのはFunctionalなニーズだ。ただ、大半の人が指輪で満たそうとしているニーズはそこではない。それをもらう・着けることでどんな気持ちになりたいかというEmotionalな部分、そして周りからどう思われたいかというSocialな部分。この二つを考えた時、これを正しく決断できるのは、実際に身に着けることになる彼女だけだなと思ったため、全選択権を渡した。
もちろんだからと言って何百万円もする指輪を選ばれていたら流石に交渉していただろうが、そこは彼女も現実的な範囲内で選んでくれた。Chaumetというブランドについても、僕は正直それがカルティエであってもティファニーであっても、あるいは知らないブランドであっても、そこまで気にしていなかったと思う。
ブランドのティア表や、給料の数ヶ月分という言葉は、全てジュエリー業界の戦略とそれに乗せられている人たちが作り出している架空の真実であって、個人的には誰がどの指輪をつけていようが気にならない。ただ、彼女のEmotionalなニーズは満たしたいし、しっかりしたブランドのものを渡すことで、今後会う人たちに人間観察される際に「それなりのものをもらっている彼女」そして「それなりのものを渡せた旦那さん」という、最低限のリスペクトや敬遠をしてもらえるSocialなニーズを満たすためにこの指輪になった。
ちなみにアメリカでは、指輪にそこまでお金をかけないイメージだ。ブランドものを選ぶ人は少なく、3,000ドル以下も多い。僕のインスタの友達の大半は、いわゆるエリート層が多いためブランド品が多くなるのは仕方ないが、一種の同調圧力で勝手にSocialニーズを作り出してしまっているようにも見えて、少し考えさせられた。
〜フォトブック〜
合唱祭に例えると、指輪を渡すことはプロポーズに必須な「課題曲」であり、個人的にもっと大事なのは「自由曲」の部分だと思っている。何を用意しようか色々考えたが、渡すものはフォトブックに決めた。
小学校時代の写真から始まり、5年前に日本で11年ぶりに再会した新宿での海鮮丼、彼女の母校での乗馬体験。2年前にシアトルに来てくれた時の写真、そしてハワイで付き合い始めた時の写真。その後、鬼怒川温泉、京都、アメリカ西海岸ロードトリップ、由布院・別府、2025年に入ってからは春のハワイ、ディズニー、有馬温泉、淡路島、大阪、香港・マカオ、そして冬の日本デート。
これまで遠距離恋愛中に撮りためた写真がたくさん入ったフォトブックを作った。最後のページは空白にしてあり、そこには直筆のメッセージを書いて渡そうと考えている。
あとは、これは現地で買う予定だが、人生で初めて花を買って渡したい。高級ホテルで大量の赤いバラ、というシチュエーションをよく見かけるが、調べてみると赤いバラ108本には「永遠の愛を誓う」という意味があるらしい。僕はこれまで宗教や占いなど、数字で説明がつかないものを一切信じてこなかった。花言葉なんてなんぞや、というタイプではあるが、オープンマインドであることは大事にしたいので、ハワイの花屋さんで何か良いものを探せたらなと考えている。
あとはプロポーズの記念として、キラウエア火山か、翌日のマンタシュノーケリングのお土産を買いたい。準備編のブログはここまで。残りは4日、無事プロポーズとディナーを終えてから書き終えたいと思う。
〜プロポーズ&ビッグアイランド統括〜
現在、3月8日日曜日、ホノルルからシアトルへ向かう帰りの機内だ。結論から言うと、ビッグアイランドでのデートは最高だった。
結局、花を買うタイミングは逃してしまったが、ディナーを予約していたフォーシーズンズのビーチで、周りに人がいない静かな場所を見つけてプロポーズした。運良く天気も味方してくれて、最高の時間を過ごせた。18時半頃に想いを伝え、その後は二人でたくさん写真を撮った。
「Ulu」でのディナーも素晴らしかった。これまであまりファンシーなレストランに行った経験はなかったが、サービスの質も料理のクオリティもとにかく高く、これからは記念日ごとにこういう場所で食事をしたいな、と思わせてくれる体験だった。
ビッグアイランドは、キラウエア火山にマンタシュノーケリング、マウナ・ケア山頂での夕日とビジターセンターでの星空観賞、そしてビーチ散策やファーマーズマーケットなど、とにかく自然に溢れていた。オアフ島よりも時間の流れがゆっくりと感じられ、婚約の場所としてはこれ以上ない選択だったと思う。
今週をシアトルで過ごしたら、ついに慣れ親しんだ場所を離れる時が来る。土曜日からは、いよいよ最初の目的地であるアルゼンチンへ向かう。残っている学校の課題と仕事の引き継ぎをしっかりと片付けて、これから始まる長期旅行を全力で満喫したい。まさに夢のようなビッグアイランド滞在だった。
MBAing 9 〜投資額1500万円。米国MBAの対価〜
~近況報告~
気づけば2026年も2月に入った。今年のスタートは心身ともにすこぶる順調で、平日の日中はリモートワーク、週2回の夜間授業、休日はスポーツ観戦や課題、そして旅行の準備に明け暮れる毎日だ。今学期は「Human Sustainability(人間の持続可能性)」という授業を履修していることもあり、これからの人生をどのようなバランスで送っていきたいかについて真剣に考えている。他には、スポーツビジネスや、積極的投資に必要な情報の読み解き方を学ぶAlphanomicsの授業を取っている。
昨年どこかの記事でも触れた気がするが、今年3月初旬に現在フルタイムで勤めているメタを退職し、3月中旬には大学院も修了する。3月1週目にはハワイでプロポーズをして婚約する予定で、その後は彼女と世界一周旅行に出かける計画だ。神戸での新しい仕事が始まるのは8月。そのため、4ヶ月強は仕事からも学業からも解放され、全力で遊べることになる。「学生は時間と体力はあるがお金がない。社会人は体力とお金はあるが時間がない。老後は時間とお金はあるが体力がない」そんな言葉をよく耳にする。自分は10代の頃から、なぜか27歳で人生のピークが来ると信じて疑わなかった。来月いよいよ27歳を迎えることもあり、この最高の1年を自分自身でプロデュースしようと決めたわけだ。
実はこれまで訪れたことのある国は、韓国、日本、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、香港、マカオと、意外にもそれほど多くはない。旅行はパートナーとのデートで行くのが至高であるという持論があるため、婚約予定の彼女がいて、次職も決まっているこのタイミングで、思い切って彼女にも現職を辞めてもらい、二人で思い出を作りに行くことにした。
予定している旅先は、アルゼンチン(ブエノスアイレス:これは大学院の最終プロジェクトのため単独)、ブラジル(リオ)、ボリビア(ウユニ塩湖)、ペルー(マチュピチュ)、イギリス(ロンドン)、フランス(パリ)、ベルギー(ブリュッセル)、スイス、イタリア(ミラノ、ベネチア、フィレンツェ、ローマ)、クロアチア(ドゥブロヴニク)、モンテネグロ(コトル)、ギリシャ、スペイン、ポルトガル(リスボン)、そしてアメリカ各地だ。今回の旅で、人生で訪れた国は20カ国を超えそうなので今から楽しみで仕方ない。もしこれらの中で、おすすめのスポットがあればぜひ教えてほしい。
最近は専ら、隙間時間に旅行の下調べや予約に勤しんでいる。2021年6月に大学を卒業して以来、常に仕事を掛け持ちするか、仕事と学業を並行する生活を続けてきた。それゆえ、人生で初めてすべてから解放されることにワクワクが止まらない。そこでふと思った。過去2年半、仕事をしながらワシントン大学(UW)の夜間プログラムでMBAを履修し、残り1ヶ月で学位を手にするところまで来た今、この学位のために費やした約1,500万円(9万5,000ドル)という投資は、果たしてそれに見合う対価をもたらしてくれたのか。今回はその点について考察してみたい。
~2つの理由~
結論から述べると、現時点ですでに、自分にとっては十分すぎるほどの価値があったと感じている。理由は主に2つ。1つは人生の軸を見つけられたこと、そしてもう1つは、キャリアにおける大幅なスキップを実現できたことだ。
前からこのブログを読んでくれている人は知っているかもしれないが、3〜4年前の僕はかなり精神的に沈んでおり、悩みも多かった。それがMBAの開始とともに、多様なバックグラウンドを持つ人々に出会い、新たな知見に触れ、人生を見つめ直すなかで、少しずつ見えてきた軸が日に日に太くなっていった。MBAなしでも同じ軸を見つけられた可能性は大いにあるだろう。しかし、MBA以前の自分を振り返ると、どこにもそのヒントを見つけられずにいた。 このプログラムを通じて、数年後にはこんな風になりたいと思えるクラスメイトや、10〜20年後にはこうありたいと憧れるロールモデルたちに数多く出会えた。彼らの存在を肌で感じ、認識できたことで、人生のゴールがよりクリアに見えてきたのは確かだ。
もう1つの理由は、MBA在学中に志が強まった製薬業界でマネジメント職に就くという目標の達成だ。前職での経験から実感していることだが、大手製薬会社においてアソシエイト(担当者)からマネージャー(課長)以上に昇進するには、通常それなりの年月を要する。30歳手前でマネージャー以上のポストに就くのは、日本でもアメリカでも非常に難易度が高い。 しかし僕は、インターンを経て、幸運にも大手製薬会社からシニアマネージャーというポジションでオファーをもらうことができた。MBA卒というカードがなければ、一般的には40歳前後で到達するようなポストに、27歳で就くことができたのだ。他の学位でこのチャンスが得られたかはわからない。なぜなら、僕が手にしたポジションは海外MBA卒限定という特殊な募集枠だったからだ。MBAの真のメリットは、こうした「MBAホルダー専用の入り口」にアクセスできる点にあると考えている。
~MBAで学べることなんて大したことないのでは~
ここまで読むと、僕がMBA全肯定派のように聞こえるかもしれないが、実は決してそんなことはない。「MBAなんて大して学ぶこともないし、お金の無駄だ」と言う人は大勢いる。僕に直接そう言ってきた人も何人かいたが、彼らに共通するのはMBAホルダーと仕事をした際、相手が大したことがないと感じた経験があること、そして自身はMBAを持っていないことだ。
ここからは少し持論を交えたい。僕は、会社での「役職・給与」と「個人の実力」の相関関係は、それほど高くはないと思っている。特に、時間をかければ誰でも就ける可能性がある部長職以下のポジションにおいては顕著だ。 例えば、MBA卒1年目でシニアマネージャーになった27歳の僕よりも、現場で10年経験を積んだ32歳のシニアアソシエイトの方が、実際には会社にバリューを提供できるケースは多いだろう。これは僕がこれまで経験した3社すべてで感じたことだが、役職が高いからといって、その人が下のポジションの人より優秀であるとは限らない。 役職や待遇を決めるのは、現時点でのアウトプットそのものというより、学位やバックグラウンド、そして人事やマネジメントからの期待値なのだ。さらに不条理なのは、下のポジションにいると大きな成果を出す機会自体が少なく、よほど目立つ実績を作らない限り、異例のスピードで昇進することは極めて難しいという現実だ。
わかりやすい例として、プロ野球のドラフトを挙げたい。MBA保持者や高学歴な人材は、いわばドラフト1位・2位だ。入団時点ではチームの勝利に一切貢献していなくても、そのポテンシャルと期待値だけで、高い契約金と年俸が約束される。 一方で、一般的な大卒採用はドラフト下位指名や育成契約に近い。プロ野球なら明確な指標があるため、下位指名からでも数年で年俸を逆転できるが、一般企業でそれほどのインパクトを残すのは至難の業だ。また、その逆も然りで、仕事ができないから即レイオフとなることも、野球界の戦力外通告に比べれば圧倒的に少ない。 特に日本の場合、解雇規制が厳しいこともあるが、それ以上に会社組織におけるアウトプットは、野球ほど個人の純粋な能力に依存しない側面があるからだ。上司や同僚としっかりと対話を重ねていれば、実力不足で全く太刀打ちできない仕事など、そうそうないのが現実だろう。
結論として、「MBAホルダーの実力なんて大したことがない」と言う人がいたとしたら、僕はその意見に賛成する。たかだか2、3年ビジネスの基礎を学び、ケーススタディを解いたところで、即戦力として活躍できる保証などどこにもない。 それでも、MBAにメリットが一切ないという意見には、明確な反論ができる。「持っていない人よりは活躍する確率が高そうだ」という市場の仮説がある限り、有利なポジションと高待遇で入社できるという「切符」としての価値は揺るがないからだ。
~MBAにはいくらの価値があるのか~
MBAのメリットを伝えたところで、次は、結局MBAにはいくらの価値があるのかについて考察したい。これは学校のレベルや個人の資質によって全く異なるため、一概に数字で出すのは難しい。そこで少し別の視点から、もし無料だったとしたら全員におすすめできるかという問いを立ててみたい。
結論から言うと、長期的な人生設計においてMBA取得に向いている人と、そうでない人がいる。あくまで僕の持論だが、まず大前提として、無料であっても上位校でなければその価値は限定的だ。 目標がいわゆるMBAポジション、具体的には日本なら年収900万〜1500万円、米国なら10万〜20万ドル程度で、役職がマネージャー以上であれば、米国トップ30、世界トップ50〜60圏内のプログラムでないと、そもそも土俵に乗れない印象がある。僕が卒業したワシントン大学(UW)は全米25〜30位前後。正直、ここがボーダーラインだろう。就職活動において、卒業生がいかに現場で活躍しているかという実績は不可欠な条件であり、その意味で上位校という看板は極めて強力な武器になる。
MBAに向いている人の特徴
- キャリアに対して野心的であること:とにかく上を目指している人。例えば今の年収が500万円ほどで、このままでは大台に乗るまで5年以上かかりそうだが、自分は数年以内にどうしても達成したい。そんな強い上昇志向がある人には、MBAは強力なブースターになる。
- 話すことが好きであること:嫌というほどプレゼンや授業内での発言が求められる。またネットワーキングの機会も多いため、話すことや人と関わることが好きでない人には、正直おすすめできない。
- 英語への覚悟があること:世界的に価値のある上位校はすべて英語だ。現時点で完璧である必要はないが、ある程度の英語力をつけないと入学が難しいだろう。
- 人生におけるお金の優先順位が高いこと:MBAに来る人の多くは、これから資産を増やしたい人たちだ。皆、自分が思う幸せな人生を考えた時に、ある程度の経済力が必要だからこそMBAというカードを使いに来る。僕のように待遇の良い会社員を狙う人もいれば、起業や投資を極める人もいる。
僕がなぜ人生にこれほどお金が必要だと思うのか。それは、お金は家族を幸せにするための選択肢を与えてくれるものだと考えているからだ。 パートナーに働くか働かないかの自由を与えること。旅行の際に最高のホテルや体験を選べること。子供にやりたいことをさせてあげられること。家族が食べたいものを買い、住みたい家に住み、親孝行をすること。資本主義社会において、お金があればあるほど、これらの選択肢は確実に増える。 まずは自分の時間を投資して資本を増やし、家族のストレスを減らして幸福度を上げる。そして将来的には、その資本を使って自分自身の時間の自由度も上げていく。それが僕の描く理想だ。
~結論~
お金で幸せは買えるかという問いがあるが、僕は、ある程度は買えると思っている。 もちろん、幸せに最も直結するのは家族や友人との人間関係だ。しかし、その次にくるのは間違いなく資本である。どの国に住んでいても、平均的な年収や貯蓄額では、僕が手に入れたい選択肢の多さは到底実現できない。 投資やビジネスで増やせばいい、MBAなんて不要だと言う人は、そうすればいい。ただ僕は、最速で資産を増やすための手段として、20代半ばで1500万円を投資してでもMBAを取ることだと思ったからこそ、この3年弱を走り抜けた。
個人的には、対価は十分にあったと確信している。だが、今はあくまでスタートラインに立ったに過ぎない。これからも勉強と模索を続け、家族を幸せにするために、そして自分自身も幸せな人生を歩むために、資産も幸福度も増やしていきたい。 もし今の現状に満足がいかず、何かで人生を変えたいと願っている人がいるなら、僕は行動を起こすことを勧める。その方が、きっと後悔は少ない。
このブログで1円も稼いでいないし、これを読んだ誰かに影響を与えたいわけでもない。ただ、考えていることを書き残しておきたかった。そして、自分が選んできた道を正当化したいという思いもあるのだろう。人生の選択に正解や不正解はない。結局は、その出来事を自分の中でどう処理するかが幸せに直結する。 僕はこうして言葉として書き残し、誰かに共有することで、自分に、正解の道を選んだ、よくやったと言い聞かせたいのだと思う。この発信したいという欲求がいつまで続くかはわからないが、承認欲求も含めて、今の自分を突き動かすエネルギーであることは間違いなさそうだ。
長くなったが、今回はこのあたりで。
2025年自己採点
〜2025年もほぼ終わり〜
5年連続5回目となった年末自己採点。今年も各項目振り返って行きたい。
1, キャリア 10/10
今年はメインの仕事としては、メタのAIのプロジェクトにずっと携わっていた。その傍ら、夏には2ヶ月間製薬会社でインターンをし、無事リターンオファーももらうことができた。4月に大きな昇給、夏は2つの仕事をうまくこなし、来年からは念願のシニア・マネージャーになることも確定。満点をあげてもいい充実度だった。
2, 勉強 7/10
MBAは2年目から3年目に突入する時期で、少しやる気の面で中だるみはあったかに思う。そんな中、1〜3月に取ったストラテジーのクラスや、9〜12月で取ったプライシングのクラスなどはためになることが多く、これからのキャリア・人生に役立ってくるだろうとは思えた。来年3月に卒業ということで、ラストスパート、頑張りたい。
4, 仕事体力 8/10
仕事、インターン、学校、プライベートと全て良いバランスでこなせたため、体力面では及第点といったところ。メタの仕事を手抜きでやれたためではあるが、夏の苦しい時期に諦めずに乗り切れたことは評価したい。
5, お金 8/10
今年は年始九州、3月ハワイ、GW東京、夏神戸・香港・マカオ、11月LA、12月ハワイ家族旅行とだいぶ遠出が多い1年だった。そのため、出費も学費、車の残りローンと合わせてかなり多くなってしまい、1年を通してほぼイーブンだった。ただ、インターンの稼ぎはほぼノータッチで来年以降に回せたため、総合すると合格点である8点は与えられるマネジメントだったかと思う。
6, 恋愛 10/10
恋愛はこれから何年も連続で10点が続く予感さえする。数週間前には日本で一緒に婚約指輪を買いに行き、来年3月にハワイでプロポーズすることも決まった。来年は満点を超えても良いかもしれない。
7, 友達 8/10
去年とあまり変わらず、新しくできた友達はほぼいないが、数少ない大事な友達とは良い関係性を保てているため合格点。
8, 家族 9/10
年末のハワイ旅行など、人生で一番親孝行はできた1年かと思う。後数ヶ月もすれば一緒に住まなくなるため、良い関係をキープしたい。
9, 趣味 7/10
自分一人の趣味で言えば、去年と同じくファンタジー・プレミアリーグになってくるだろうか。その他は彼女との旅行が一番楽しいため、それに向けた準備をするのを趣味と呼んでも良いだろう。来年からは同棲することになるため、何か二人でできる趣味を見つけるのもいいなと思う。
10, 健康 8/10
10月に左膝は手術をし、痛みは完全に取れた。体重も上半期で減らすことができ、6年ぶりくらいに低い水準まで落とせた。来年はもう少しお腹周りの脂肪を落とし、心身ともにより健康になりたい。
11, 幸福度 9/10
色んなことが上振れた1年だったという印象。キャリアもプライベートも自分が想定してたよりうまくいったため、ほぼ満点と言っても良いだろう。ただ、やることは多く、やっている最中はしんどいことも多かったため、幸福度という意味では満点はあげられない。来年はMBA卒業から彼女と数ヶ月に渡る世界旅行が控えているため、幸福度満点も目指していけそうだ。点数の比較からもわかる通り、今年は過去5年で一番の年だった!
合計得点:84/100
2021: 71/100, 2022: 75/100, 2023: 75/100, 2024: 78/100
MBAing 8 〜来年夏に神戸移住決定〜
~経緯~
久しぶりのブログ更新ということもあり、現在までの経緯をまとめると以下のようになる。
2018年5月:慶應大学薬学部を1年で中退し、5歳から14年過ごした日本を離れ、家族と共にシアトル移住
2021年6月:ワシントン大学を生化学専攻で卒業し、同月よりBio-Rad Laboratoriesという化学物質系の会社で勤務。
2022年6月:1社目を1年で辞め、2社目はBristol Myers Squibb(BMS)という製薬会社へ転職。
2023年9月:BMSで働きながら、ワシントン大学のEvening MBA(3年間で取得できる夜間のMBAコース)を開始。
2024年3月:BMSを1年9ヶ月ほどで辞め、3社目となるメタに転職、これまでの化学・製薬系から一旦離れ、AI関連の仕事をリモートでするように。この年10月にアメリカ国籍を取得。
2025年6月:MBA卒業を翌年に控えたタイミングで、メタの仕事は夜と週末でやりくりしながら、アメリカの製薬会社(会社の人に何かの間違いで読まれたくないため、あえて社名は書かないが)の神戸支社で2ヶ月間のインターン。
2025年10月(現在):インターン先からリターンオファー(来年MBA卒業後、正社員として採用するオファー)を正式にもらい、熟考の末、サイン。
2026年3月~8月(予定):メタは来年の2月頃までには辞める予定。MBAは3月に卒業予定。神戸支社での正社員としての勤務開始を8月からにしてもらったため、4~7月はバケーション期間に。
ということで、今回のブログでは、インターンからオファーサインまでの話と、来年以降のプランについて書ければなと思う。
~近況報告~
前回のブログ記事は6月初旬ということで、実に4ヶ月半ぶりの更新となる。まあ以前どこかに書いたが、僕は彼女がいる時はブログの更新頻度が4倍ほど遅くなるため、これからもその傾向は顕著に出ると思う(笑)。この4ヶ月半の個人的ビッグニュースを振り返ると、まず大きかったのは6月から8月にかけて2ヶ月間やってきた神戸でのインターン。インスタのストーリーを見てくれてた人たちは知っているだろうが、まあ中盤から終わりにかけてはしんどかった。終わった時にはこんな所戻ってくるわけないと考えていたわけだが、こうして数ヶ月が経って、その会社に来年戻るオファーにサインしているとは人生わからないものだ。まあなぜサインしたかについてはゆっくり書くとして、一旦その他の振り返りをしたい。
夏のインターン後は、彼女と1週間ほど香港とマカオに旅行に行ってきた。どちらもなかなか良い場所で、インターン後のリフレッシュには最適だった。シアトルに戻ってきてからは、やっと時差がなくなりメタの仕事を日中するようになり、後は夏で太ったこともありダイエットに本気で取り組んだ。毎日8千歩以上のウォーキング、週3回の全身筋トレ、食事のカロリーは全て記録し毎日最低550キロカロリー分落としながら、タンパク質摂取量は体重x1.6gという4つの目標を守り続け、2ヶ月弱で6キロほど落とせた。これまで自分も脂肪をなかなか落とせず失敗を繰り返してきたが、その理由は食事での摂取カロリーを一度も記録しなかったからなのだと今回気づけた。もしダイエット(除脂肪という単語の方が個人的には好きだが)で余分な脂肪を落として、筋肉がある程度あるシュッとした身体を目指したい人は、変なダイエットの流行りやマーケティングに踊らされないで、基本に忠実な、摂取カロリー < 消費カロリーを心がける(そのためには食事のカロリーは全て記録)、筋トレとタンパク質の摂取は筋肉を増やす・残すためにする、をすれば誰でも絞れると思う。絞れてない人は過去の自分もそうだが、知らないうちに食事でカロリーを取りすぎていることがほとんどなので、飲み物・間食も含めて見直して、アプリやAIチャットボットを使って正確にカロリーを記録・計算するのがおすすめだ。
ダイエットにハマっていたため大分話しが逸れたが、それ以外のアップデートとしては、9月末から秋学期の授業が始まったことと、昨日左膝の半月板部分切除の手術をしたことだろうか。授業はまあ後2学期ということでなんとか耐えようと思う。半月板の手術に関しては、これも色々調べて長考したため長々と書けるのだが、簡潔にまとめよう。自分の場合、最初に膝に痛みを感じたのはマラソンにハマっていた2023年の春あたりで、ただその痛みは次第に消え、本格的に半月板の損傷が症状として現れたのはジムで120キロを担いでスクワットをした時だ。これは2024年1月のことで、そこからは痛みはたまにしかなかったものの、常に膝の曲げ伸ばしをするときに引っかかる感覚があったり、日によって違和感が変わったりと、何か日々の生活に大きな支障を与えるほどではなかったものの、走ったりジャンプしたりなどの運動は控えるようになった。この1年9ヶ月の間に何度か専門医との面談、MRI検査、理学療法などを経て、損傷している部分が外側半月板の内部の方で血流がほぼないため自然治癒はほぼ不可能であったことと、これからずっとこの不快感を膝に抱えたままだとQOLが下がるなと思い手術を決めた。なぜここまで手術を避けてきたのかというと、半月板の主な役割はクッションで、これを削るということは、クッションが少ない状態でこれから生きていくことになるため、年を取るとなる人が多い膝の関節炎になりやすくなるためだ。一度関節炎が発症すると、そこからは痛みのマネジメントくらいしかやれることがなくなり、手術といえば膝関節全置換になるため、できれば膝にはメスは入れない方がいいのだ。まあ色々考えた結果、この先ずっとQOL6点で生きていくよりは、10年20年でも9点10点で生きて、ランニングやジャンプなど膝に負荷がかかるアクティビティはなるべく控え、体重を落とし、下半身の筋トレは続けることで膝への負担をさらに減らし、高いQOLを少しでも長くキープするように努力を続ける方が、人生の幸福度的観点から見ると高いのかなと思った。結局長くなったが、術後既に歩けているし、引っかかりの違和感もなくなったので手術を選択したことに後悔はない。
~苦しかったインターン~
さて、前置きが長くなってしまったが本題に入ろう。なぜ夏はあんなに嫌がっていたインターン先に来年から正社員として戻ることに決めたのかについて。少し話を分かりやすくするために、インターンで何をしたのかについて軽くシェアしたい。僕はマーケティングのインターンということで、リウマチ関節炎に処方されている薬を扱うブランド・マーケティングチームに配属された。MBAインターン自体は合計4人いたが、それぞれ異なるチームでのプロジェクトだったため、ほぼ全て自分のみで進めた。内容としては、この薬の売り上げを市場で伸ばしていくための現実的で効果的なマーケティング・セールス戦略を提示すること。8週間の終わりにその戦略を英語のプレゼンで30分行うことがプロジェクトのゴールだった。まず最初の数週間はブランドマーケチームの人たち、一緒に働いているその他部署の社員から、この薬剤の現在の市場での立ち位置、特徴、戦略などについて聞き込みをして色々基礎知識をつけていった。その間に日本支社の社長や役員たちとキャリア面談をグループでさせてもらう機会もあり、プロジェクトを自分で進めながら、キャリアについても考えられる素晴らしい環境だなと満足していた。キツくなってきたのは中盤からだ。このプロジェクトの何が難しいかって、既にこの薬は市場に出て8年目で、マーケティングのスペシャリストが集まるチームの人たちが様々な戦略を既に試してきているわけで、現在やっていることもデータに基づいていて特に異論もなく、思いついて提案したアイディアは(1:ルール的にできない、2:既に過去にやったか今やっている、3:現実味がない)のどれかで跳ね返され続けた。そんな状況下で5週目に入り、マネージャー、ディレクター、人事代表、CMOの前で行った中間発表では言い方はもちろん丁寧だが、ボコボコにされた。正直これ以上どうアプローチしていけば良い案が出せるのかわからず茫然自失してしまった。翌日にあった仲の良いメンターの先輩社員との面談で、もうどうすればいいかわからない、明日にでもシアトルに戻りたいと泣くほどにはメンタルがやられた。
ただ、インターン後に彼女と日本発で香港マカオに旅行の計画を立てていたこともあったし、途中で辞めるのはあり得ないなと自分でも思っていたし、先輩にもどんなに辛くても最後まで逃げるなと言われたので、そこからは前半以上の覚悟で頑張った。定時過ぎの17時18時あたりで帰るのではなく、最低19時20時まで毎日残り、役員さんたちとも積極的に面談を入れて相談した。そして今までアドバイスをもらっては全て飲み込もうとしていたが、それを一旦辞め、何か理由をつけてノーと言われても、信念があるアイディアに関してはそれを上回る根拠を準備してもう一度持っていったりするようになった。面白いことに遅く残るようになってからは、社員さんたちにも自分の覚悟が伝わったのか、より積極的にデータや意見をシェアしてくれるようになった。やっている間は楽しくなんか一切なく、ただ単に自分はこんなものじゃないと証明したいという一心だけで頑張った。夜帰っても週末も心の余裕はなかったし、常にプロジェクトのことを考えていたからQOL的観点で見ると最悪だったし、食べ物なんて毎日外食でそれは太っても仕方ないわけだ。
この追い込みモードを3週間強続けた結果、最終的には全員に褒めてもらえる戦略を提示できた。具体的には医者の新たなセグメント分けを提案した。この薬剤はJAK阻害薬というグループに属する薬で、特徴としてはこれまでメジャーで使われてきた生物学的製剤より効果はより強いものの、その分副作用も強いため安全性に懸念がある。JAK阻害薬が日本の市場に出てから10年ほどが経つが、リウマチ治療におけるJAKの処方割合は年々上がってきているため、医師の処方意向は徐々にJAKの使用に傾いてきてはいるが、医師の中には、安全性への懸念からJAKの使用に大反対の人も一定数いることが、データ分析から明らかになった。MRを初めとしたセールスチャネルによる各医師への投資額は、医師のポテンシャルでこれまで決められてきていた。ポテンシャルの定義は、どれだけ持っているリウマチ患者数が多いかと言う患者の絶対数で測っていた。それに加えて過去の処方意向が少し考慮はされていたが、現在使用されているセグメント分けでは考慮されきれていないことに気づいた。そのため僕は、各医師ごとのJAKの使用率を出し、縦軸をJAKの現在の処方数、横軸をJAK使用率とすることで、患者の絶対数という数のポテンシャルもこれまで通り入れながら、JAK使用率という医師の処方意向をより明確にグループ分けに入れることにしたのだ。この新しいセグメント分けのメリットは、患者数はたくさんいるものの、JAKに対する強い嫌悪感を持っている医師のプライオリティを下げられること、そしてJAKの使用率が中央値あたりで嫌悪感はないもののまだ理解しきれていない伸び代がある層を選定できることだ。JAK使用率のヒストグラムを見ると、面白いことに使用率0~2%くらいに大きな山があり、次に大きい山は10~12%ほどで中央値は4%くらいだったため、2~10%に属する医師群はまだ伸び代を感じたのだ。このアイディアを思いついたのはインターンの序盤にP2Pという、権威のあるリウマチ医が製薬会社から謝礼をもらって、他の医師に薬の良さを紹介する説明会があり、それに連れていってもらったのだが、その時に挨拶をした京都大学の大学病院で勤務している有名な先生に後日オンライン面談で質問をさせてもらった時に、「俺は薬の処方で迷うことがほとんどない。だってこういう時は生物学的製剤、こういう時はJAKって患者背景と症状で決めてるから。」と言っていて、一人一人最適だと思うJAKの処方率があるのではないかと思ったから。その先生はちなみにJAK処方率は15%ほどと高めだったが、全員が全員そこまではいけなくても、まだ大半が10%以下のわけで、まだまだ最適化しきれてない先生たちにフォーカスをして、逆に末端(0~2%)にいる10年も各製薬会社がセールス活動をしてきたのにROIが極めて低い、JAKを処方する意向のない先生は優先順位を落としてもいいのではと考えたのだ。
長くなったが、実際の発表ではこの案を具体的に紹介し、新しいセグメントにあったセールスチャネルの使い方まで提案した。発表は最後の週末を返上して練習したこともありうまくいき、原稿なしで30分スムーズに発表できたのは良い自信になった。質疑応答も提案の内容に関しては問題なく答えられたが、最後の方にCMOから今回のインターンで大変なことはあったかと聞かれた時に、ここまでやり切るのがとてもしんどかったと言いながら20人ほどの社員の前で大泣きしてしまった。人生でここまで精神的に自分を追い込んで何かに取り組んだのは初めてで、毎日インターンの同期にも、彼女にラインでも、インスタのストーリーでも弱音を吐き続けていたし、逃げたくて仕方なかったため、こんなこと二度としたくないとその時は思っていた。
泣いてしまったし流石に合格はしていないだろうなと思っていた矢先、プレゼン二日後のインターン最終日にマネージャーと人事の代表との三者面談が設けられ、リターンオファーが出ることが伝えられた。受かって嬉しい気持ちよりは、負けなくて良かったなという安堵の気持ちの方が大きかった。
~オファーにサインした理由~
インターンはしんどかったはずなのになぜ来年から戻ることに決めたか。色々理由はあるが、簡単にまとめると以下の3つだ。
- ここなら良いキャリアを築くための基礎力を付けられそうだと思えたから
- 結婚・子育てを考えた時に良さそうな環境だから
- もらった条件が良かったから
(1)キャリア成長機会
今回インターンをしたのは、会社の中でもcMBA(コーポレートMBA)プログラムの一環で、日本だけでなくアメリカ本社や諸外国の支社にもあるポジションで、このパイプラインで入社すると、簡単に言うと特別扱いを受けられる。これは(3)条件の部分にも繋がってくるのだが、僕が今回もらったポジションはSenior Managerで、年齢を考えるとかなり若くしてこの役職に就けたことになる。この上のポジションはAssociate Director、Senior Directorと部長職があり、その次はもう執行役員なわけだ。中に入ったら自由競争とは言っても、このプログラムで入社するとローテーションと言って色んな部署を勉強のために経験させてもらえる。実際僕は最初はセールス、その後マーケティングまたはセントラル・マーケティングのローテーションをする予定で、Senior Directorクラスを目指そうと思うと様々なポジションを経験しておくことは必須なのだ。そのアシストが既にある状態で入社できることはかなりの強みだ。cMBAで入社した先輩社員たちはこの会社の執行役員陣もそうだし、他社で役員または社長をやっている人もいて、レールという意味では製薬業界で上がっていきたかったらこの上ない。 入社してから変わる可能性もあるが、僕の入社後のスポンサーはCMO(Chief Marketing Officer)ということもあり、自分の味方に役職が高い人が就いていると常に成果を見てもらえるため、社内で立ち回りやすくなる。
アメリカのMBA用のポジションに就いてもここまでプレミアムな条件で入社できるケースは少ない。なぜならそもそもタレント数が多く、自分が目立てる強みも少ないから。ただ日本に行けば、そんな優秀なアメリカ人や他の国籍の人たちと戦う必要がなくなる。なぜならその人たちは日本語が話せず、日本志望の人もほぼいないこともあり、そもそもスタートラインにいないため。実際僕がアメリカで狙おうと思っていた似たような製薬のポジションはスタートの役職がManagerと、Senior Managerの一個下になる。ということで、アメリカでこのまま勝負するのも悪くはないが、自分をより高く評価してくれる日本という市場で、基礎からしっかり力をつけていく方が良さそうだなと感じられた。
また、インターンがしんどかった理由は環境というより、自分の経験不足と弱さが出たからであって、会社の何かが嫌いというのは特になかった。社員は皆良い人ばかりだし、サポート体制もしっかりしているし、労働時間に関しても正社員で入ったらそこまで気にならないレベルだとは思う。この夏はインターンだけでなくメタの仕事もしていたし、後はアメリカでの生活との比較が頭にちらついていたので逃げたくなっただけであって、覚悟を決めればそこまで苦労しないだろう。人生大抵のことは覚悟があれば乗り切れると思っているタイプなので、もう既にサインをして覚悟を決めた自分からすれば怖いものはない。
(2)結婚・子育て
For Clarityにはなるが、まだ結婚もしていないし子供もいない(笑)。だが、このリターンオファーにサインすることにしたのは正直これがメインと言っても過言ではない。インスタやブログを見ている人は知っているだろうが、僕の彼女は日本国籍で現在も東京で働いている。幼馴染で、付き合ってから2年弱遠距離をしているわけだが、もうお互い26~27歳で、付き合って2~3年となる来年再来年あたりで結婚するのがスムーズな流れかとは思う。人生を一緒に歩んでいくパートナーとして申し分ないし、婚約指輪を何にするかも二人で見に行って決めているし、これまで婚約していない理由は僕のMBA後の進路が未定だったことが理由だった。サインをすることで大きな不確定要素が一個減り、二人の将来を考え始められるのは僕の人生においてかなりプライオリティの高いことで、それもあり早めにサインしたわけだ。そもそもその他の選択肢が、メタに残って彼女にアメリカに来てもらうのは(1)のキャリア成長機会という意味で、自分はメタに残りたくないため無し、アメリカで他のポジションを探すのは基本的に来年にならないと決まらないのでもっと待ってもらわないといけないためあまり好ましくない、という事情もある。 またアメリカに来てもらうと言っても、トランプ政権下で婚約者ビザの申請が通るまでどれくらいかかるのかも不確定要素だし、彼女のキャリアがこれからどうなるかも考えるのが難しい。
今回サインしたことで今後を考えやすくなるわけだが、順序としては今年の年末~来年の3月の間のどこかで婚約指輪購入・プロポーズ、2・3月あたりに彼女には仕事を辞めてもらって、僕の卒業&メタ退職後3~7月まで二人で婚約祝いを兼ねた世界旅行。7月に一緒に神戸に移住、その後新生活が落ち着いてきたら彼女は関西のどこかに転職、結婚式ということになっていくだろう。子供に関してはまだ考えるのが早い可能性もあるが、健康面で考えると初産の年齢は考えるべきことにはなってくる。神戸というか日本は保険制度もしっかりしているし、安全だし、何せ彼女の実家が日本であること、彼女の母国語が日本語であることは、もし子育てをすることになった時の苦労が、アメリカに来てするよりは相対的に少ないかと思う。もちろんキャリア的にも今後アメリカに戻ってくる可能性は大いにあるが、家族を優先に考えたい気持ちの方が強いため、まずは日本スタートで頃合いを見てアメリカにということで自分では納得している。膝の手術を考えた時もそうだが、人生における幸せとは何かについて考えることが増えてきて、自分にとって家族のために何かをするということはとても大事な要素だなと気付かされた。幸せな家庭を築けるようにこれからも頑張っていきたいなと思う。
(3)条件
これはMBA入学を迷っていた時の記事で書いたが、そもそも僕がMBAを出て欲しかったものは「自分にとって大切な人たちと共に楽しい時間を過ごすこと。その人たちにセーフティネットを提供してあげられる余裕を持つこと。自分がしていることがある程度社会的に意義があることで、周りから一定のリスペクトを得ること。」だ。
最初のパートは(2)の家庭を築くに繋がる部分だし、余裕を持つことは(3)の条件に繋がる。そして後半パートは(1)の製薬業界である程度高いポジションに就いてこれからも成長していくことであり、実は2年前に欲しかったものが全部手に入るのがこのオファーだったのだ。お金に関してはもう自分だけのものでも無くなるし詳しく書くつもりはないが、MBAを出てMBA用のポジションに就けばある程度の給料は保証されるため、年齢の割には良い方だとは思う。もちろんコストを考慮せずに収入の絶対額だけを比較すればアメリカで働く方が多くもらえるのは確かにそうだ。だが、生活コスト指数を考慮して考えると、今回もらった給与の条件は、シアトルやその他アメリカの大都市でMBA卒1年目として貰える給料の中央値ほどの価値はあったため、一切交渉せずに条件を呑むことにした。
~これから~
これからについてだが、来年の入社まではあまり仕事やキャリアのことは考えずに今を楽しもうと考えている。まずは膝のリハビリをして、学校の授業・課題、メタの仕事はこれまで通りしっかり取り組み、後の時間は趣味のスポーツ観戦と、来年の世界旅行に向けた準備とリサーチをしていこうと思う。これまでの人生、色々考えすぎてその時々を楽しめなかったことが多くあった。ブログを以前から読んでくれている人は知っているだろうが、信じられないくらいの病み期も何度か経験したし、今回のオファーにサインして将来が見えてきたことで、なんかやっと人生が拓けそうだな、自分の力で始めていけられそうだなと思えてきた。この人生の大きなターニングポイントを毎日明るい笑顔で過ごせるように、一旦今までの自分の試行錯誤を認めて褒めてあげようと思う。
MBAing 7 〜勝負の夏〜
~気づけば6月に~
実に3ヶ月半ぶりの更新になるが、一つ一つ振り返れば濃いが、全体的に振り返ればあっという間だった気がする。2月にインターンの内定をもらってからは、就活は一旦休みで、冬学期(1~3月)の授業、春学期(4~6月)の授業、そして旅行(3月ハワイ、GW日本)にフォーカスを置き、仕事はクビを切られない程度に適当に乗り切った。順位をつけるのは難しいが、一番のハイライトを選ぶとすれば、冬学期に履修したビジネス戦略の授業はMBAで履修した中で一番タメになった。冬学期、春学期と連続で、シアトルをベースとして活動している会社に対してコンサル活動をしたのだが、マーケティングや戦略の授業で習ったフレームワークを実際のビジネスに落とし込む良い練習になった。スケジュール的に全てに全力を尽くすのは難しく、データ分析のクラスやマクロ経済学などは自分の中で優先順位が低かったため、そこまでコミットできなかったことが少し後悔ではある。
~勝負の夏~
今回久しぶりにブログを更新しようと思った理由は、夏のインターンが始まる前に自分の意気込みや今の考えを書き残しておきたかったから。ざっとどんなインターンなのかを書くと、期間としては6月中旬から8月初旬までの8週間。場所は神戸本社で、アメリカの製薬会社の日本支部でのインターンになる。インターンは他に2人か3人いるかもと数ヶ月前に聞いたが、それぞれ期間も所属チームも異なるのであまり接することはないかもしれない。スタイルとしては、課題が与えられ、その課題に対するプレゼンを8週間の最後にするという形。まだ課題はわからないのだが、インターン直前に伝えると言っていたので、今週か来週あたりには送られてくると思う。ちなみに過去与えられた課題としては、”海外市場では大成功していて日本でも2年後に発売が予定されている大型新薬の発売までの2年間に、日本マーケットの状況をいかに整えて発売を成功させるか、という戦略の立案”や、”現在開発中のある薬について、開発の段階から発売までの間に、望ましい価格で、必要としている患者さんに薬がいきわたるようにする為には、どういうマーケティング活動を行い、どんな問題点を解決していけばよいかというプランの立案”など、メインは市場調査と聞き込みを基にしたマーケティング戦略の立案になるが、予想としては僕の現在のメタでのポジションや製薬業界の動きを考慮するとAI関連の課題になる気もしている。
このインターンでの自分のゴールは明確で、来年MBA卒業後にGLDP (Global Leadership Development Program)として迎え入れてもらうためのリターンオファーをもらうこと。その中でも、オファーとして考えられるポジション Senior Associate, Manager, Senior Manager の3つのうち、Manager以上のオファーをもらうこと。過去の先輩たちの経歴を分析すると、いきなりSenior Manager採用はMBA卒業時点での年齢が30代の人しかおらず、卒業時27歳で社会人経験が4~5年の自分では厳しいのかなとは思う。となると最初の2つの2択なのだが、Managerにこだわる理由は、待遇と執行役員(VP : Vice President)になるまでにかかる時間。アメリカの大手製薬会社のマネジメントは大体、(Senior) Associate → Manager → Senior Manager → Associate Director → Director / Senior Director → Associate VP → VP / Senior VP のようなペースで昇進していくのだが、1つ上がるのに最低2~3年はかかるので、Associateスタートだとどう頑張ってもAssociate VPに辿り着くまで15年ほどはかかってしまう。もちろん飛び級する人もいるので、あくまで一般的なペースでの概算ではあるが。僕は30代でAssociate VPになるのを現在1つの目安の目標としているため、できるだけ上の位からスタートしたいのだ。あとは位によって年収を含めた待遇が明確に変わってくるため、Associateの条件だとそもそも日本に行く可能性はなくなるのかなと思う。長くなったが、リターンオファーをもらうというゴール達成のために必要なことは明確で、全力を出すこととネットワーキングを通してポテンシャルを評価してもらうこと。日本支社のCEOを含めた経営陣と対話する機会も設けてもらえるとのことなので、このポジションに自分が適したバックグラウンドとスキル、そしてポテンシャルを持っていることをしっかりアピールしてきたい。
今自分が考えているアピールポイントは、言語力(日本語、英語がビジネスレベル+韓国語も操れるので将来東アジアのマーケット担当として有力候補になれる)、学位が生化学&製薬業界での社会人経験(製薬に関する基礎知識がある&製薬会社の動きに慣れている)、アメリカでの社会人経験(本社がアメリカのため、コミュニケーションを取る上でアメリカのスタイルに慣れているのは大きい)、アメリカ国籍保有(GLDPの一貫や昇進の際、本社採用を考慮された時、ビザの心配がないため有利になるかも)、メタでの経験(現在LLMを用いたチャットボットだけでなく、AlphaFoldなどR&DにもAIが活用されてきている中で、AIのプロジェクトに携わってきた経験は、長年製薬業界だけで働いていた経営陣にはないもので重宝される可能性あり)などだ。最低要件は海外MBAで日本語が話せることなので、それにプラスしてここまで製薬業界のLDPにマッチしている人はそこまでいないかと自分では分析している。ただ、評価をするのは自分ではなく、日本支社の経営陣であるため、向こうのスタイルに合わせながら、自分の強みをしっかりアピールしていきたい。
~卒業後の進路~
一つ前のブログで、来年3~6月の卒業後のプランは
50%:アメリカベースの製薬会社(A)
30%:リターンオファーにサインをして今後3年は神戸(B)
10%:メタ含むアメリカの他業界ポジション(C)
10%:その他日本ベースのポジション(D)
と書いたが、現在はA:20%、B:60%、C:0.1%、D:20%だ。Bが一気に上がった理由としては、インターンのオファーが想像以上に良かったから。これをベースにして考えると、リターンオファーの年収も自分の希望額に達しそうだなと思ったので、夏のインターンの経験がポジティブで、この先3年はここにいても良さそうだなと感じられればBになるかなと思う。ちなみにリターンオファーの有無は9月くらいまでに、オファーの詳細は年末までにが目安になってくるらしい。Aが第一希望ということはそこまで変わっていないのだが、20%にまで下がった理由は、アメリカベースの大手製薬のLDPを勝ち取れる可能性が低いだろうと自己分析しているから。そもそもBを超える魅力のあるポジションは、全米を見渡しても3~5個あるかないかで、以前にも書いたように競争が激しすぎるため、面接が来る可能性もかなり低いのかなと予想している。もし満足のいくオファーが卒業までに来れば、そこからはポジションと待遇を比較して決めることになるかと思う。Cは中途半端に残したくないため自分の考えからはほぼ排除している。クラスメイトなどを見ると、アマゾンやマイクロソフトをはじめ依然人気のシアトルベースのIT企業に行っている人は多いが、万が一オファーをもらえたとして、自分の興味と強みを考えた時にあまりマッチしないなと思うので、基本的にはアプリケーションすら出さないと思う。Dに関しては万が一、A、Bともに失敗した時の保険的扱いだ。日本ベースのポジションは選考が始まるのが早いため、インターン直後から冬までの間に結果が出ていると思う。
~ついにシアトルを離れることになるか~
シアトルに移住してこの5月で丸7年が経過した。2018年に移住した時にはここまで長くシアトルにいるとは思ってもみなかった。4年前の大学卒業のタイミング、そして2年前と、2度シアトルを離れられるタイミングがあったものの、前者はコロナ、後者はMBA入学とタイミングの問題で長引いてしまった。順調に行けば、来年の3月にMBAを取得し大学院を卒業することになる。卒業式自体は6月初旬で、4月5月はできれば新生活に向けての準備+旅行をしたいなと思っている。来年の6月にはシアトルを含めた北米各都市でワールドカップも開催されるため、できればそれを満喫してから7月あたりから新しい会社で働き始めたいと考えている。
さて、その新生活がシアトルになる可能性は正直ゼロに近い。個人的に人生において環境はとても大事なものだと思っていて、家族もいるし、実家もあるし、来年卒業時には住んで8年になるこのシアトルの街は居心地は良いし、特に文句はない。だが、20代も中盤になって、大学院も卒業して、親から離れ、新しい場所で、自分の力で人生を歩んでみたいという気持ちが強いのも正直なところだ。親には感謝しているし、これまでしてもらったサポートは、世界でも余裕で1%に入るくらいだと自負している。大学の学費も全て払ってもらい、家賃もこれまでずっとゼロ(一時期払っていた分も大学院の学費にしてと返してもらった)、それに加えて車の保険代や食料費など、生活にかかる諸々のコストを負担してもらい、物欲がなくなるくらいにはこれまでの人生様々なものを与えてくれた。感謝という言葉では足りないほど尽くしてもらったし、一生をかけても恩を返せるかわからないと言っても過言ではない。おかげで仕事と学業にだけ専念できる環境で、特に苦も無く学費も旅費も自分の娯楽費も全て払えて、貯金も投資も年齢を考慮するとかなりの額できた。ただ、歳を取るにつれて罪悪感が募ってきたし、これはそろそろ自立すべきだという合図だろう。そのためには、物理的に親から離れ、できれば自分が住んだことのない場所で、新しい一章を築いていくという決断になるわけだ。場所の候補としては、アメリカのその他都市または日本だったら神戸になってくる。
~婚約のタイミング~
その新生活を一人で送りたいとは思っていない。以前ブログでも書いたが、20代で結婚したい気持ちがあり、現在付き合っている彼女と数年以内には結婚したいと考えている。将来のことは誰もわからないので絶対はないが、高い確率でこのまま結婚まで行く気はしている。去年何回かに分けて詳しく書いたのでリピートするつもりはないが、ここまで一緒にいることが自然で楽しくて、ずっと好きでいられる相手もいない気がしている。今月で付き合って1年4ヶ月で、誰でもうまくいっている時は言うことだろうが、どうやったら別れられるかわからないくらいには順調だ。となると自然な流れとしては次のステップは婚約になる。個人的に理想のタイミングとしては、来年以降どこに住むか決まってから、ここについてきてほしいという形でプロポーズをしたい。彼女は現在東京で仕事をしていて、僕が東京に行く確率は低いため、高い確率で僕が行く場所についてきてもらうことになると思う。既にそれに関しては伝えてあるし、彼女からも了承をもらっている。仕事を一旦辞めてもらうことになるため、彼女が仕事をしなくても余裕のある暮らしができる収入があるのは自分の中では最低条件だ。
彼女も理系の大学院卒でキャリア志向もあるため、転職をするならば最大限サポートしたいが、それを考慮すると新生活は日本で始めた方がスムーズな気もしている。僕が日本の労働ビザをもらうことは簡単だが、彼女にアメリカの婚約ビザの取得と、転職先を見つけてもらうのは、移民排斥気味のトランプ政権下では難易度が高いと見ている。また、ビザで言うと、先にアメリカに来て彼女が婚約ビザから永住権を取ってしまうと、もし日本に本帰国すると彼女はそれを放棄せざるを得ない。放棄すると次にアメリカのビザを申請する上で不利になりやすかったり少し面倒なことになる。それよりかは、僕が日本で労働ビザ→結婚後配偶者ビザ→永住権を取った方が、日本で一度永住権を取ると5年に1度更新するだけで一生キープできるため、あまり困らずに両国をカバーできる。大体日本の永住権は取得まで最低2~3年かかるため、プランBで神戸3~4年過ごして永住権を取得後、その後行きたいポジション次第でアメリカ本社や他の会社に転職をする方がスムーズなのかなと思う。トランプ政権もあと3年半ほどで、タイミング的にも民主党政権に戻ってから(戻らない可能性ももちろんあるが。個人的には政治はなるようになると思っているので、どちらになろうがそこまで興味はない)アメリカに戻ることもできるので、フレキシビリティーを残す意味では日本スタートも良いと考えている。
長くなったが結論、プロポーズは早くて今年の秋冬、可能性として高いのは来年の上半期なのかなと思っている。付き合って2年で婚約、3年で結婚はお互いを知る上で程良い期間な気もするし、今のところはそう考えている。もう既に指輪も一緒に見に行っているし、ここで時期についても書いているので、正直そこまでサプライズにならない気はしているが笑 久しぶりの更新となったが、色々順調な時ほど気づかぬトラップが待ち受けていたりするので、健康や不必要な人間関係には気をつけて夏のインターンを精一杯乗り切りたい。次の更新は夏後になると思うが、今回はこんなところで。
MBAing 6 〜夏のインターン先決定〜
~地獄の冬の終わり~
ブログに毎年の様に書いているが、僕はシアトルの冬が大嫌いだ。冬がいつかの定義だが、個人的にはデイライト・セービング・タイム(3月初め~11月初め)外の期間、まあつまり11月から2月までの4ヶ月間。なぜ、冬が嫌いかについてだが、太陽が出ている時間が短い&天気が曇り・雨っぽいことが大きい。ただ、今年に関しては天気も良かったし、これら外的要因より、内的要因の影響が大きかった。何が大変だったかというと、インターン探し! 前のブログで詳しく書いたのでここではざっとまとめるが、僕は昨年9月~今年4月の期間中に今年の夏用のインターンを探すことを目標にしていた。これが想像以上に精神的に過酷だったことを今回はシェアしたいと思う。
~インターン探しの現実~
まずは軽く概要を説明したい。MBAインターンとはフルタイムのMBA生が1年目と2年目の間の夏(学年は8・9月~5・6月)に2~3ヶ月かけて会社でプロジェクトに取り組むことを言う。様々なインターンがあるためごっちゃにされがちだが、MBA生が狙っているのは、MBAトラックと言われる、所謂MBA専用のインターンだ。このメリットは給料が高いこと(アメリカでの相場は時給40~60ドルと言われている。もちろん業界・ポジションによってレンジは変わるが)とその後のフルタイムの就活がしやすくなること。運が良ければインターンの直後にリターンオファーという形で、翌年卒業後のフルタイムのオファーを貰える。
僕の場合は、既にフルタイムで仕事をしながら、MBAの方はパートタイムで3年間のプログラムをやっているので、2年目と3年目の間の夏(今夏)がインターン期間に相応する。前回詳しく書いたが、僕が狙っていたのは製薬会社のLDP (Leadership Development Program) のインターン。もちろんインターンをせずに、卒業間近までこのままメタで働いて、卒業後のフルタイムのポジションを狙っていく戦略も大いにありだ(実際、パートタイムのクラスメイトにはこの戦略の人が多い。)だが、僕がインターン探しをした理由は勝率を上げるため。既に卒業後に製薬のLDPに入りたいことが決まっているのであれば、来年フルタイム一本で就活をするより、今年インターンからのリターンオファーを狙って、ダメだったら来年フルタイムの就活をする方が勝率が高いのは自明なわけだ。この戦略のデメリットとしては、(1) インターンが決まった場合、現在働いているフルタイムの仕事を辞めなければならず、夏のインターン後から卒業までの約9ヶ月間無職になる可能性があることと、(2) たくさん落とされるために精神がやられることが大きい。
シチュエーションをまとめると、既に仕事を辞めて本業学生でやっているフルタイムのMBA生は意地でもインターンを取りに来るが、仕事をしているパートタイムのMBA生は勝負を挑む必要がないとも言える。←実はこれがこの冬僕がしんどかった理由だ。なぜなら、MBA専用インターンの競争相手はこれに全力をかけてくるフルタイムMBA生なので、僕みたいに仕事をしながら生半可な気持ちでインターン探しに望むと、待っているのは過酷な現実だ。
~インターン探しの結果~
僕がインターン先として出した会社・ポジションはトータルで40社52ポジション。内訳と結果は以下の通りだ。
|
枠組 |
業界・ポジション |
出願数 |
面接数(合格数) |
|
本命 |
超大手製薬LDPインターン |
10 |
3 (1) |
|
ちょい妥協枠 |
超大手製薬LDP以外 |
33 |
0 (0) |
|
ワンダー枠 |
他業界 |
9 |
0 (0) |
結論から言うと、書類が通ったのは52分の3 (5.8%) 、面接が来たうち1か所は一次面接で不合格、もう1か所は最終面接で不合格、そして最後の1か所は無事合格となった。ここで面白い事実を紹介しよう。今回僕が出したポジション52個のうち、アメリカベースのポジションは51個、日本ベースのポジションは1個だった。合格したのはその唯一の日本のポジションだった笑 本社はアメリカで、LDPもある超大手の会社(会社名は明かさないが、ヒントは製薬業界で時価総額が世界一で神戸に支社がある)なので、自分の中では総合3位には入るくらい欲しいインターンではあったが、難易度の違いは明らかと言える。
ここで少し、MBA生の就活目線から日米の違いを紹介したい。そもそも日本で海外MBA卒専用のポジションを設けているのは20~30社ほど。ほとんどは外資系コンサル、金融、製薬、テクの中で名前が知られた超大手達だ。そのポジションに入れる人にどんな人がいるかというと、ほとんどは日本で一度社会人をした後自費で海外のMBAに留学している日本人。大抵のポジションは最低要件が日本語英語のバイリンガルのため、他国籍の人(アメリカ人、インド人など99%のMBA生)は出願できない。となると、競争相手は日本人のみとなる。もちろん優秀な日本人でMBA留学している人は一定数いるが、わざわざ数千万円のお金をかけて海外に出ているため、超優秀な人たちは日本には戻らずに、アメリカなどより給料の高い国で現地就職をして投資回収を図るケースが多い。つまり何が言いたいかというと、アメリカのMBAポジションはハーバード、スタンフォードなど一流校から、僕が通っているワシントン大学やUC系の大学など中堅校にいるMBA生全員との競争に勝たないといけないわけだ。それもフルタイムのMBA生で、このインターン探しにフルベットをしている人たちを相手にするわけで、面接が来ないのも、運良く来ても受からないのも、仕方がないとも言える。一方、日本はかなりニッチな要件なため、競争率が圧倒的に低い。では、なぜ僕が他の日本のポジションに出さなかったかという話しだが、前述の通り、僕は製薬のLDPしか見ていなかったため、その条件に当てはまる会社がそもそも1個しかなかったというわけだ。
~この先1年間のプラン~
とりあえず6月の1週目までは授業があるため、メタでフルタイムで働きながら、週2、3のペースで夜学校に行き卒業に向けて単位を取得していくのは変わらない。インターンは神戸で8週間の予定で、日本には大体6月中旬から8月下旬までいる予定だ。デメリットのセクションでも軽く話したが、インターンをしに日本に行くということはメタは辞めるのか? についてだが、僕にはプランがある。いつか気が向いたら事後報告という形で説明しようと思う。
インターンが終わったら、かなりの高確率でリターンオファーが来ることが予想される。もちろん僕のインターンでの成果次第ではあるが、そこに関してはある程度自信があるので心配していない。リターンオファーの詳細によってこの会社が第一志望になる可能性もあれば、滑り止めの扱いになる可能性もある。現在のプランは以下の通りだ。
50%:神戸ではインターンだけをして、来年は就活をしてアメリカベースの製薬のLDPに入る(プランA)
30%:リターンオファーにサインをして、卒業後も神戸。昨年アメリカ国籍を取得済みなため、いつでもアメリカに戻って来れるオプションはある。
10%:メタ含むアメリカのその他ポジション
10%:その他日本ベースのポジション
プランAに関してはインターン探しの時にも苦労したように、相当高難易度であることは確かだ。本気でプランAを狙いに行くための作戦は至ってシンプルで、とにかく大手製薬LDP人事周りの人脈作りに全力に励み、履歴書と面接対策を仕上げること。今回のインターン探しではこれらに関してそこまで頑張れなかったため、良く言えばフルタイムの就活に向けて伸び代があるとは言える。現実的に言えば、これらの準備を授業と仕事と並行しながらこなしていくには相当の精神力が必要になってくる。追い込める覚悟のある人には良いが、僕は基本的に自分に甘いので、正直そこまで頑張れる気はしない。
~自分のキャリア志向~
僕は自分の興味があまりないこともあり、製薬業界以外に触れないが、MBA生に人気の就職先はコンサル、金融、テク業界あたりだ。製薬を狙う人なんて全体の10%もいない。じゃあなぜ僕が製薬業界にそこまでこだわるかだが、これはシンプルな理由で、自分が勝てるフィールドで戦いたいから。王道業界に興味がないと言ったが、これは語弊で、本音を言うとそれらの業界で勝てる道筋が見えない&自信がない。クラスメイトにこれらの業界で働いている人たちが多数いるが、コンサルの人達の話しの上手さには一生勝てる気がしないし、金融はそもそも大学の学部でファイナンス系を出ていないとなかなか入れてもらえない。ここ10年大変人気なテク業界(アマゾン、グーグル、マイクロソフト、メタなどなど)には頭の良い人が多数集まっている。メタで働いているのにここで長年働くことを一切考えていないのは、仕事をしてみてここで生き抜いていける自信が一切湧いてこなかったから。大学でコンピューターサイエンスやマシーンラーニングを専攻したわけでもないし、トップのプログラム・マネージャー並みに頭が切れるわけでもない自分が生き残る道はほぼないと感じた。
僕は大学の学部は生化学、卒業後は製薬業界のオペレーション(ラボ系の仕事)で3年働いた経験があるため、これにMBAを加えると製薬業界だったら、マーケティングやストラテジーのビジネス系のポジションで十分勝っていける。そして一番大きいのは周りの人のレベルと仕事環境。製薬業界にも優秀な人はたくさんいるが、王道業界の上位層と比べるとやや劣る。これは僕が実際働いてみて感じたことで、製薬業界だったら、大手で執行役員くらいまでならあまり苦労なく上っていけそうだなと確信できた。この考え方はチャレンジ精神がないとも解釈できるが、僕の中では現実的に自分のポテンシャルを分析した結果の結論なので納得している。僕は、プロであまり活躍できない選手で終わるよりは、アマチュアでエースとして活躍する方が人生としての幸福度は高いと考えている。これは実際これまでの人生で下してきた大きな決断にも垣間見れる。大学もMBAも自分が上位10%には入れる確信のある中堅校であるワシントン大学に入り、実力的にはもう少し上も狙えたが、そもそもその他の大学には出願すらしなかった。部活や趣味も少し限界が見えたら、それ以上の無駄なエネルギーは使わずにほどほどに楽しむスタイルを取ってきた。キャリアに関してもこの考えで、自分が勝てる自信のあるフィールドでほどほどに努力して幸せな人生を送りたい。この考えだと大金持ちになることはないだろうが、相対的にある程度高い給料で、確かな知識と戦略で堅実な資産運用をし、浪費をしなければプチ富裕層にはなれる。そのお金と余裕で、家族はじめ自分にとって大切な人達と楽しい時間を過ごせればこの上ない幸せだ。長期的にずっと製薬業界でサラリーマンをやるか、どこかでスモールビジネスを始めて独立をするかはまだ未定だが、ここ数年で自分の今後の人生プランは固まってきたような気はする。では、今回はこんなところで。
2024年自己採点
~2024年もほぼ終わり~
4年連続4回目となった年末自己採点。今年はいつもより少し早いが、1年の振り返りをしていこうと思う。4回目ということで、過去3年のデータとも比べてみたい。
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2021 |
2022 |
2023 |
2024 |
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1, キャリア |
9 |
10 |
9 |
7 |
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2, 勉強 |
4 |
3 |
9 |
8 |
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3, 副業 |
9 |
10 |
4/5 |
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4, 仕事体力 |
9 |
9 |
8 |
7 |
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5, お金 |
10 |
10 |
7 |
9 |
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6, 恋愛 |
7 |
7 |
2/5 |
10 |
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7, 友達 |
5 |
6 |
6 |
8 |
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8, 家族 |
7 |
8 |
9 |
8 |
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9, 趣味 |
3 |
6 |
8 |
6 |
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10, 健康 |
8 |
6 |
7 |
7 |
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11, 幸福度 |
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6 |
8 |
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合計 |
71 |
75 |
75 |
78 |
1, キャリア 7/10
今年は3月に2年弱勤めていた製薬会社からメタに転職した。学校との両立はしやすいし、待遇に関しても全く文句はないのだが、サボれすぎてしまって、このままだと良くないなという危機感は持っている。プロジェクト自体は面白いのだが、自分の中でパッションがあまりなく、頑張ろうと思えずに、学校やプライベートなど仕事以外のことを優先してしまっている。
2, 勉強 8/10
MBAもちょうど折り返し地点で、勉強に関してはまあ頑張っている。
3, 副業 0/0
今年は副業は一切していないためスコアなし。
4, 仕事体力 7/10
体力は落ちた1年だった気がする。仕事と学校は両立できたため及第点といったところだろう。
5, お金 9/10
今年は例年以上にしっかり支出の管理をした。出費は多かったものの、無駄は省けた気がする。
6, 恋愛 10/10
えりちゃんラブ!
7, 友達 8/10
友達関連のストレスが一切なかったため合格点だろう。新しくできた友達は少ないが、MBAのクラスメイト何人かと仲良くなれたのは嬉しい。
8, 家族 8/10
可もなく不可もなくといった1年。
9, 趣味 6/10
膝の怪我によりほとんど走れなかった。趣味になるかはわからないが、ファンタジー・プレミアリーグにどハマりした1年だった。現在1000万人中3千位というかなりの好成績でシーズンも半ばに差し掛かった。
10, 健康 7/10
左膝の半月板を損傷してしまい、運動は思うようにできなかった1年だった。それでも上半身の筋トレや水泳、ハイキングはできたことで、体重は増えていないのは良かった点だ。
11, 幸福度 8/10
ある程度ハッピーな1年だった!
合計得点:78/100