JJ

JJの気まぐれブログ

最高の彼女ができた話し

1月シアトル後~

 

 僕のインスタをフォローしている人は言われなくてもわかっているだろうが笑、1月更新のブログ(えりちゃんラブ - JJ)に登場した、小学校が一緒だった幼馴染のえりちゃんと先月から付き合い始めた。そこに出会いや、今年の1月にシアトルで会った時の話しも具体的に書いてあるため、この記事はそれ以降の話しになる。

 

 えりちゃんとシアトルでバイバイをしたのは、16日土曜日の夜のこと。日曜日の朝の便で帰国のえりちゃんを、空港まで送りたかった気持ちは山々だったものの、学校の授業が入っていたため前夜に別れとなってしまった。えりちゃんラブの記事では「そして最後にえりちゃんとは感動の別れがあったのだが、そこは省かせてもらう。」と詳細はシェアしなかったが、実際は夜景を見ながら、お互い書いてきた手紙を読み合って交換し、号泣してハグをした。時間にしておよそ1時間ほどだったかと思うが、なんとも言えない切ない気持ちを抱いたのを今でも覚えている。結局次の日学校でも授業中に大泣きしてしまい、クラスメイトに慰めてもらったわけだが、それだけ自分の中ではえりちゃんへの好きが溢れていた。でもえりちゃんは大学院を3月に卒業し日本で社会人生活を始める中、自分はシアトルで社会人をしながらMBAが残り2年半もあるわけで、2年半遠距離確定の恋愛なんて難しすぎるのでは? とそもそも考慮すらしていなかった。そのため、なんとか切り替えなければと思い112日にブログを更新し、大好きなのは認めるけど、今回は状況的に仕方ないと割り切ろうと決めた。と思っていた。

 

 ラインもしすぎたら好きが止まらなくなりそうと思ったため、1日半ほど、スタンプだけ返して返信を控えていたものの、結局好きの方が勝ってしまいそこから毎日ラインをするように。そこからはお互い色んなことを話すようになり、よりえりちゃんのことを知るにつれ更に好きになっていった。僕は一度好きになってしまうと、そこから止まらないタイプのため、この時点で、結果は付き合うかフラれるかの二択だろうなとはどこかで予想していた。今までと大きく違うのは、遠距離ということで次に会うのがいつになるかわからないということ。夏に日本に遊びに行こうとは思っていたものの、その間にえりちゃんに彼氏ができている可能性もあるわけだし、半年間会えないままラインだけ続けるのも気持ち的にモヤモヤしそうとも思った。ラインを毎日するようになってから、えりちゃんに大好きという気持ちは頻繁に伝えるようになっていたし、半分冗談で遠距離って実際可能なのかな? みたいな話しもしていたのだが、信じられないくらいえりちゃんからの抵抗が一切なかった。そのため、あれ? もしかしてえりちゃんと付き合える可能性があるのか? と本気で遠距離恋愛について考え始めるようになっていた。

 

2月ハワイで初デート~

 

 えりちゃんは、1月は修論とその発表準備で忙しかった時期で、3月にはヨーロッパへの卒業旅行、そして4月からは社会人生活と予定が詰まっていることを知っていたため、僕は夏前に会うなら、2月末に予定を詰め込むか、3月にヨーロッパに合流するかで迷っていた。仲良い友達にも相談したが、3月のヨーロッパはえりちゃんは友達と行くわけで、そこに合流したところでデートにはならないから、予定さえ合うなら2月にデート誘っちゃえばという結論に至った。結局予定を合わせられたのは3日間のみだったが、ちょうど東京とシアトルの中間地点だったこともありハワイでデートすることに決めた。誘ってからイエスをもらうまではそこまで時間はかからず、どこかで、ハワイに2人で行くのに抵抗がないどころか乗り気なのなら、これは付き合うのもオッケーなのでは? と思っていた自分もいた。そこから当日まではハワイで何するかの話しで持ちきりで、僕は行く前から人生で一番楽しみにしていたイベントだった。

 

1日目~

 

 1日目はえりちゃんは先に着いていて、僕はお昼頃に空港に到着しレンタカーを借りて、アラモアナセンターにえりちゃんをピックアップに行った。会った時の喜びは言葉に表せないほどのもので、嬉しすぎてハグをしながらほっぺにキスまでした。まだ友達なのにやりすぎでは? と思われるかもだが、そこは既に行く前にラインで「えりちゃんハワイでほっぺにキスしていい?」と聞いて許可をもらっていたのでルールは破っていない。1日目はエアビーにチェックインした後、着替えてワイキキのビーチで泳ぎ、夜は夕陽とドライブを楽しんだ。ハグとほっぺへのキスは繰り返していたものの、それ以上のことはラインでは話していないため、僕としてはえりちゃんの反応を伺っていた。確か1日目の夜に唇にキスをしたいと言ったら、それは違うじゃんと言われたので、僕の中では、つまり付き合うのはなしってことなのかな? でもそれにしてはほっぺへのキスとかハグに対しては一切嫌がらないどころか、嬉しそうにしているのはなんなのだろう? と少し疑問に思っていた。

 

2日目~

 

 何もないまま2日目の朝が来て、日の出を見にダイヤモンドヘッドに行った。この旅一番のハイライトで、頂上から見た日の出と二重の虹は最高の景色だった。そしてこの日は島の東側をドライブしたのだが、ドライブ中にも外でも手は繋いでいたし(これも事前ラインで承諾済み)、前日同様ハグも一方的なキスもしていて、自分の中では一体二人の関係性はどうなっているのだろう? と真剣に謎だった。夜は二人で花火を見て、その後に夜景を見に向かった。そこでお互い避けてきた恋愛の話しをすることに。今考えるとここで僕がストレートに告白してれば良かったのだとは思うが、僕はなぜかフラれた気でいたので、やっぱり遠距離は無理だよね、でも大好きなのに切ないなー、という悲しいモードに入っていた。というのも、丘の上で付き合うのどう思う? とえりちゃんに聞いたら、一旦社会人にならせてほしい、とかえりも最近別れたばかりで切り替えができているかわからないということを言われたため、これは振る人が言うテンプレじゃんと思ったためだ。

 

 ということで、えりちゃんの気持ちを尊重するからハワイあと1日存分に楽しんで、また夏に日本で会えたら会おうと切り替えようとしたわけだが、そんなことを言ったら、普段穏やかなえりちゃんが、「勝手に決めないで!」と勢いで携帯のストラップを壊すくらいにちょいギレしていた。部屋に戻り、お互いシャワーを浴びた後に深夜になってまたこのことについて話し合った。そこでえりちゃんが、あまり言いたくなかったけど、「えりはちゃんとした告白を待っていたんだけど、するつもりはないの?」みたいなことを言ってきた。そこで僕が、「僕の中では好きってたくさん伝えていたし、キスもしたいって言ったから告白みたいなことでは?」と言ったら、日本スタイルではちゃんと付き合ってくださいと告白するのがスタンダードらしいことを教えてもらった。なるほどと思い、えりちゃんのこと大好きだから付き合ってくださいとちゃんとした言葉で告白したら、いいよと言ってもらいそこで付き合い始めることになったわけだ。

 

3日目~

 

 結局深夜3時に寝ていたため、3日目は寝不足だった。その中でも色々巡ったが、とにかく幸せだった。実は、僕はハワイに行こうと誘われたことは何度かあるのだが、大好きな人とデートで行きたかったので取っておいていた。そして、彼女と2人で旅行に行くこともずっと夢で、元カノとは色んな事情がありできたことがなかったため、人生初の彼女とのデートが夢のハワイでだったというわけだ。幸せいっぱいのまま3日目を満喫し、次の日の朝に空港に送ってバイバイした。シアトルでの別れと違い、今回はカップルとしてということで寂しさは少なかった。

 

~えりちゃんラブ~

 

 僕がえりちゃんのことを好きな理由は多々あるが、一番はとにかく一緒にいて楽しいことかと思う。びっくりするほど常に笑顔で、隣にいるだけでとてもハッピーになれる。えりちゃんの家族は羨ましいくらい仲が良く、良い家庭で育ったのが一緒にいるだけで伝わってくる。ポジティブ思考で、良い意味で考えすぎることがなくて、色々考え過ぎて疲れちゃうことが多々ある僕にとっては、この上なく相性が良いパートナーだ。そして、こんなにふんわりしてる感じなのに、実は芯が図太く、言いたいことはしっかり言うし、引かないところは一切引かないところが僕は大好きだ。周りに流されずに、決めたことは納得が行くまでやるその姿勢は僕と似ていて、えり達なら遠距離絶対できるからと言ってもらえたことが、付き合う決め手となったのも確かだ。

 

 後は細かい好きなところをあげだすとキリがないのだが、他に大きな点で言えば、僕のことをよく理解してくれていること。このブログを開設して5年経ち、その間計70を超える記事を書いているのだが、えりちゃんはそこまで仲良くなかった時から全部読んでくれている。それに加え、僕は2022年の12月人生最大の病み期に苦しんでいた時に30日間連続でYouTubeに動画をあげていたのだが(もちろん現在は全て非公開笑)、その時に応援メッセージを送ってくれた数少ない友達の一人だった。とにかく苦しくて抜け出し方がわからなかった時に、大丈夫? いつでも話し聞くからビデオ電話してねと言ってもらえたのは大きな支えになった。ブログには包み隠さずに自分のことを全て出していて、正直好感度が上がる内容より下がる内容の方が多いと思うが、それらを全て読んでなお、僕のことを好きでいてくれるえりちゃんは心の底から信頼できるし、素の自分でいられることがとても嬉しい。

 

~これから先~

 

 付き合う前からなんとなく感じてはいたが、付き合って確信したことが一つある。それは、えりちゃんと結婚したいということ。今までそこまで結婚願望はなかったが、えりちゃんに惚れてからしたいなと思うようになった。ここまでありのままの自分を受け入れてくれて、好きでいてくれて、自分も大好きで、一緒にいて本当に幸せで、自然と結婚するってこういうことなのかなと思えた。これ以上恋愛をしたいとも思わないし、幼馴染で、同い年で、使う言語も一緒で、コミュニケーションも取りやすくて、家族に付き合ったことを報告する時に多分結婚すると思うと伝えてしまったレベルだ。

 

 もちろんこの先全てがスムーズに行くとは思っていない。スタートから遠距離恋愛で、僕は大学院を卒業する2年後まではシアトルにいるわけで、えりちゃんも社会人生活が始まったばかりで、すぐに辞めてシアトルに来るなんて良いムーブではない。僕が卒業後は僕が日本に就職するか、えりちゃんがアメリカに来るかを決めなければ一緒に住むことはできないため、どちらかが相手に合わせる必要が出てくる。オプションを挙げるだけなら簡単だが、実際はビザ関連の書類申請などは交際関係によって左右されるわけだし、移動と婚約・結婚のタイミングなど、全てうまくいけばもちろん良いが、万が一うまくいかないとなるとお互いに取ってリスクが大きいのも承知している。という風に僕は考えすぎるタイプなのだが、えりちゃんはかなりポジティブに考えてくれているようで、2年なんてあっという間だし、絶対上手くいくから心配しないでやることやろうと言ってくれる最高の彼女だ。

 

 次のデートは実はもう決まっていて、僕がゴールデンウィークに日本に遊びに行く。本来であれば夏に会う予定だったが、付き合ってからカップルとしてはハワイで24時間ほどしか一緒に過ごしていないわけで、会いたくて仕方なかったため日本行きを決めた。僕にとっては2年ぶりの日本で、日本では彼女がいたことがないため、人生初の日本デートとなる。楽しみしかないし、残り1ヶ月弱となりテンションも爆上がりで正直仕事も学校もどうでも良くなっている笑 えりちゃんと毎日電話して、やることはしっかりやってくださいとうまくコントロールしてもらっているため、程々にこなしていこうかとは思っているが。えりちゃん大好き!!!! 付き合ってくれて本当にありがとう! 毎日とっても幸せ!

MBAing 4 〜メタでのキャリアスタート〜

~スケジュール&ビジネスモデル~

 

 詳しくは前回の記事に書いてあるが、メタに転職してから約3週間が経った。この期間でおおよそのビジネスと自分の役割を把握できたため、今回は可能な範囲でそれをシェアできればと思う。

 

 まずはシフトについてだが、一応は月~金の8時~16時半というスケジュール。ただ完全リモートということもあり、ある程度融通が効くことは入社前から想定済みだった。入ってみての現実は、想像以上に緩々だった。僕の今週を切り取ってみると、働いていた時間は月~木までどの日も1日合計3時間ほど。朝8時~9時に起床して10分くらいメッセージの確認と必要なやり取りだけ済ませた後に、日本にいるえりちゃん(彼女)と23時間電話。1012あたりはミーティングが入っていればそれに出て、それ以外は必要なメッセージのやり取り。そこからは昼寝やジム、ジョギング、ランチ、学校の宿題などを気がむくままにこなすのがルーティンだ。なぜそんなにサボっているのか?と思われるかもだが、これは僕のチームにおける役割が特殊なことにある。

 

 今回僕が入ったチームは、メタの Smart Glasses 開発に携わる QA (Quality Assurance) チーム。その中でも最近立ち上げられた翻訳部門の QA Lead としての採用となった。機密情報が多いためあまり具体的な内容はシェアできないが、チームの大きな目標は、高い水準の翻訳機能を Smart Glasses に使われている AI に搭載すること。実は AI 話し言葉の翻訳精度はまだまだそこまで高くないため、メタはこの分野で業界トップを狙うべく投資を進めているのだ。どう精度を上げていくかに関してだが、基本的なプロセスとしては、各ターゲット言語のネイティブのデータをたくさん集め、それをその言語と英語が話せるバイリンガルの人たちに翻訳してもらう。それらを集めたデータがメタに送られてきて、メタの QA チームが最終確認&数値化するという流れ。より多くのバイリンガルの翻訳が一緒であれば、それを答えとして AI に教え込ませる。この精度が上がり、法律的にプロダクトとして販売可能なラインになれば売り上げに繋がるというのが簡単なビジネスモデル。

 

 メタは昨年からこの翻訳部門に力を入れ始め、英語・スペイン語・フランス語・イタリア語・ドイツ語のプロジェクトをスタート。今年に入り日本語・韓国語・中国語が追加された形だ。最終門番である QA として働くためには高いレベルの言語力が求められる。僕は面接では日本語担当の QA を狙っていたが、ネイティブの僕ですら QA エンジニアとしては当落線上だった程に、言語としての高い理解度が要求されるポジションだった。ということでそのポジションには落とされたものの、代わりに QA リードという、所謂この全ての言語の QA エンジニアを統括するポジションとしてチームに加わることに。メタには既に PM (Project Manager) と呼ばれる、このプロジェクトのリーダーである人が二人(ペイジとシアン)がいるため、そもそもリードなんてポジションは存在していなかった。ところがどっこい、僕を面接したペイジが僕のことを大変気に入ってくれたため、メタ側に直談判しこのポジションを作ってくれたのだ。それは入社後初の 1:1 のミーティングでペイジに直接、”You know, I was so inspired by you when I interviewed you. I’m really glad you joined my team.” という最大限の賛辞で再確認できた。ちなみにそこまでペイジが僕のことを気に入ってくれた理由だが、僕が日本語・韓国語・英語のトリリンガルだったこと、とにかく明るかったこと、MBA 取得中の3つが大きかったと笑いながら言われた。ペイジは旦那さんが MBA 持ちで、メタは MBA 卒を採用しがちなこともあるので、MBA がなかったらそもそも入れてなかったように思う。

 

〜チーム内での自分の役割〜

 

 さて、肝心の僕のチームにおける役割についてだが、簡単に言うと、PM を含めたメタのビジネス側と、実際にデータを出すための仕事をこなす QA エンジニア達の間に入り、コミュニケーションを潤滑にすること。レポートをまとめたり、何か問題が発生したら報告をしたりといった、英語では Scrum Master とも言われる役割だ。このポジションをフルタイムで務めた経験はないものの、コンセプトとしてはとてもシンプルだし、僕が得意なタイプの仕事ではあるなとは感じた。個人的に大事だと思うことは、全体像を把握し、個々の役割・特性を詳しく理解した上で、それに合わせたコミュニケーションを取ること。そのため、最初の2週間は関わることがあるだろう全ての人と、1130分ずつミーティングをした。そしてペイジとシアンとはこのチームの役割を、より大きなスコープで説明してもらい、わからない部分はわかるまで聞いた。そして3週間が経ち、おおよそのプランが見えてきたわけだ。以下は具体的な考察&プランになる。

 

 ペイジは僕のマネージャーで自分のメタのキャリアにおいて一番の重要人物だ。彼女に気に入られてチームに入ったわけで、話す度に彼女の僕に対する信頼度が伺える。年齢はまだ30歳前後と若いものの、とにかく頭がキレていて、コミュニケーションもとてもダイレクトだ。こういうタイプは簡潔で要点を押さえた報告を好む。そのため僕も、振られた仕事は的確にこなし、少しでもわからないことがあれば躊躇せずにすぐに質問をする。やることだけやっていれば後は全く干渉してこないため、13時間だけの仕事で問題がないというわけだ。シアンはもう一人の PM だが、彼女は仕事にそこまで興味がないタイプ。そのため彼女に連絡をすることはほとんどないし、仕事を振られても大抵時間がある時に適当にこなして、事後報告で何の問題もない。

 

 ここからはエンジニア陣だが、チームのほとんどの仕事をこなしている面々のため、より繊細なやり取りが必要になってくる。英語・スペイン語担当のアーノルド(30歳前後)はチーム所属歴が13ヶ月と最も長く、仕事も高いレベルでこなせるエース。彼の場合は、とにかくエースとして扱うことで気持ちよく仕事をしてもらえるため、何かエンジニア関連の複雑な質問があれば彼にするようにしている。フランス語担当のノエラニ30歳前後)はサボりがちで連絡を極力取りたがらないタイプ。そのため週に2回ほど最低限のチェックインをして、やることだけ終わらせてもらうことを心がけている。イタリア語担当のパオロ(50歳前後)とドイツ語担当のロザリー(50歳前後)はとにかく話したがり。テクノロジーが苦手で、スコープから外れたこともよく言うので、忙しい PM 陣からはあまり耳を傾けてもらえないのだ。こういうタイプは時間を設けて、話しを積極的に聞くようにするととても喜ばれる。時間を決めないと無制限にアイディアを話しまくるので、できるだけ電話は控えチャットで連絡するように伝えている。もう一人のドイツ語担当のセリーン(30歳前後)はきっちり仕事をこなしたいタイプ。彼女はチームに入ったばかりでまだよくわからないことも多いようで、僕が間に入ってやり取りを進めることで、具体的なインストラクションを上から貰えるように手助けしている。返信がとても早く、テクノロジーにも精通しているため、社用携帯のチャットだけでパパッと対応できるのは嬉しい。

 

 そして僕より少し先に入った韓国語担当のヘソンさん(40歳前後)と日本語担当のみほさん(50歳前後)は僕が彼女達の母国語を話せることもあり、とても信頼されている。二人とも英語は話せるものの、PM 陣とのやり取りが苦手なようで、その分を僕が担当している。そして最後に中国語担当が4月中に入るそうで、その人が入ればチームは完成形だそうだ。といった感じで、基本的にはメッセンジャーの働きをすればいいだけなので、レポートを書く時やミーティング、データ処理などをする23時間を除けば後は社用携帯だけ持って自由時間というわけだ。ここから先忙しくなる可能性はあるだろうが、今のところはなんて簡単な仕事に就けてしまったんだろう、と嬉しさが止まらない。本当はこの後彼女ができた話しも書こうと思っていたが、想定以上に長くなってしまったため、新しい記事にしようと思う。

2年ぶり2回目の転職

~転職先~

 

 まずは結論から。311日から新たにMeta (Facebook) ”QA Analyst Project Coordinator” として新たに働き始めることに決めた。現在勤めている製薬会社 Bristol Myers Squibb (略称BMS) 3月上旬を持って辞める予定だ。今回は転職活動を始めたきっかけ、この結論に至るまでの過程、そして様々考えたことを記し残したいと思う。

 

BMS内での転職活動~

 

 まずはBMSの内部転職活動の結果をざっとまとめたいと思う。僕は入社した20226月から20239月までは “QC Associate I”202310月から現在までは “QC Associate II” というポジションで働いていた。製薬会社には様々な部署があるが、製造ManufacturingQC (Quality Control)、そして QA (Quality Assurance) は中でもメジャーなものとして知られている。具体的な構図を書くと長くなってしまうので、ストーリーに必要な部分だけ切り取ると、僕は QC ではもう成長する未来が見えなかったので QA チームに入るために社内転職活動を12月に始めた。QAに入りたかった理由は大きく分けて2つ。より国際的なプロジェクトに取り組めることと、給料が上がること。

 

 これも結論から言うと12月に合計45ラウンドの面接を経て内定を貰えた。では、なぜこのポジションでなくメタに行くことにしたのか? そしてそもそもなぜメタにアプライしていたのか? ここからが本題になっていく。

 

~たまたま来た一件の連絡~

 

 実は僕はメタのポジションには自分からはアプライしていない。アメリカではLinkedInという、就活用のSNSを大多数の人が使用しているのだが、たまにリクルーターからこの仕事興味ありませんか? と連絡が来ることがある。大体は人が見つからない、低給料のポジションへの勧誘が多いため、大抵は来ても無視することが多いのだが、メッセージが来たのがちょうどBMS用の面接練習を始めようかと思っていた辺りの116日。派遣会社の人事部の人から、うちのクライアントが日本語を喋れる人を翻訳のエンジニアとして欲していて、あなたのプロフィールに日本語とあったから連絡してみました、と来ていた。大したポジションでも無さそうだしほとんど興味はなかったのだが、面接だけしてみるかと思いしてみた。

 

 まずはこの人事の人と話し、次の週にはテキサスにいる採用マネージャーと話したのだが、そこでクライアントがメタであることを知らされた。まあメタとはいえ契約社員のポジション(また後で詳しく説明するが)には全く興味がなかったため、練習だけしようと思って気楽に話してみたのだが、気に入ってもらえたようで数日後には彼女のチームのエンジニアと40分ほど面接。彼によると、採用しているポジションは、AIを使った翻訳の新商品開発に取り組んでいるチームに必要らしく、この新しいプロジェクトは日本語・韓国語・中国語がメインだそうで、その中の2つをペラペラ話せる僕を是非ともチームに加えたいとのこと。だが、僕はAIのことは何も知らないし、エンジニア向きの性格でもないため、面白そうだなとは思ったものの、自分以外に良い人がいそうだなと割り切ってテクニカルな質問(コーディングの経験、AIの知識など)には正直に何も知らないと答えた。

 

 すると次の週に予想通り人事の人から、日本語翻訳のエンジニアには他の候補者が選ばれたとの連絡が。まあそりゃそうかと思っていたが、次の日にプロジェクト・コーディネイターとしてチームに入ってほしいとの打診が。元々なかったポジションだったらしいが、聞くとテキサスのマネージャーとエンジニアの二人とも僕のことを気に入ってくれたようで、日本語・韓国語・中国語を話すエンジニアとビジネス側の架け橋として働いてほしいとのこと。MBA取得中、そして製薬会社で厳しいレギュレーションを守りながら働いてきた経験、スケジューリングをしていた経験などことも功を奏したのか、あっさり内定が来た。

 

~給料と待遇~

 

 メタから内定は来たものの当初の提示額は時給$39(年収換算$81,120)。BMSで貰っていた基本給が時給$35.1$73,000)、新しいポジションからの提示額の範囲が年収$80,000~$85,000と予想されていたため、正直そこまで魅力的なオファーではなかった。ということでメタの方は断る前提で、MBA取得中であること・製薬業界での経験値・トライリンガルであることの3つをアピールポイントに、10~20%給料を上げてほしいとお願いしてみた。すると次の日にあっさり17.5%も上げてくれ、新たなオファーは時給$45.90(年収換算$95,4721434万円程)に。ちなみにこの額はエージェントである派遣会社を通した後の提示額であるため、メタが払っているお金はこれの36割増しと考えられる。あくまで予想でしかないが、もしメタから直接同等のポジションに採用されたら、ベネフィットがあるため基本給が抑えられるとはいえ、確実に$100,000は超えていたと思う。

 

 さて、ここまでだけを見るとお金的にメタの圧勝じゃん! と思う方もいるかもしれないが、ここからが契約形態を含めた具体的な計算になっていく。

 

金額・詳細

項目

BMS

メタ

基本給

$83,000.00

$95,472.00

保険

-$1,440.00

-$3,120.00

ボーナス(8%)

$6,640.00

$0.00

年金積立(9%)

$7,470.00

$0.00

有給

56週間

2週間

病欠

無制限

1週間くらい

シフト

月金 7~15時、週2日リモート

時間自由、フルリモート

契約形態

正社員

612ヶ月契約

保険込み総額

$95,670.00

$92,352.00

保険抜き総額

$97,110.00

$95,472.00

 

 見ての通り、実はお金だけで見ても、ベネフィット込みで考えるとBMSのオファー方がメタに勝っている。ここには省いたが(後に詳しく説明する)、学費補助も50%ある(年$15,000程度)のに加え、その他これまでに配布された、年数に応じて自分のものになる自社株や年金積立分などまで合わせると、BMSに長く残れば実質1年あたり$120,000に近い契約となっている。そして、解雇される可能性もほぼないため、基本は他から相当良いオファーがなければ辞めないのが一般的だ。ということで、メタからのオファーは、基本給だけで見ると魅力的だが、ベネフィットなしに加え、1年後には次の契約があるか分からない大きな不確定要素もある。

 

~この先数年間のプラン~

 

 さて、ここからはなぜこんなに安泰であるBMSのポジションを捨ててまで、リスキーな契約社員のポジションを選んだかについて語っていこう。まず、カギになってくるのはMBAインターン。昨年の9月からプログラムに入り、卒業予定は2026年の6月なのだが、業界を変えたりキャリアを大きくスイッチさせたい人に強くオススメされているのが、卒業1年前の夏の長期(3ヶ月ほど)インターン。仕事をせずに2年のフルタイムMBAをしている学生はほぼ必ずやっているのだが、僕のプログラムは3年かかるパートタイムで、大半が既にフルタイムの仕事を持っているため、仕事を辞めてまでインターンをやりたいという人は少ない。僕はというと、7割くらいの気持ちでインターンはしたいなと考えていた。狙いは金融・コンサル・またはテクのプロジェクト、プロダクトマネージャー辺り。

 

 インターンのメリットは、MBA新卒というカードを使った就活をできること。MBA就活がうまくいけば、卒業予定の2026年夏には年収$150,000+サインボーナス+ベネフィットと、年平均$200,000を超える契約を勝ち取ることができる。デメリットは、2025年夏のインターンのためにフルタイムの仕事を辞めなければいけないため、卒業までの9ヶ月間ほどは無職になること(勿論インターン後に契約のポジションなどで一時的に就職することはできる)。ただ、このインターン探し・そしてMBA就活は相当頑張らなければ勝ち取れないため(このプロセスにオールインしているフルタイム勢との競争がしんどい)、パートタイムの多くの人は荒波に飛び込むより、今いる会社での昇進・普通の転職を選ぶケースが多いのだ。

 

 このインターンをするかしないか問題だが、大事になってくるのは僕がここから数年間でどの道に進みたいかだ。製薬業界でキャリアを積むことにフォーカスするのならば、インターンはせずにBMSに残ればいい。BMSに残り続ければ、毎学期後の返済日から2年間勤務すれば確定できる学費補助(総額$45,000202512月末から3ヶ月おきくらいに$5,000ずつ確定できるため、インターンをするために辞めると一切キープできないが、残り続ければ20286月を持って全額キープ可能)もあるため、昇進やその他前述のベネフィットも含めると卒業時には年間込み込みで$140,000ほどの契約にはなる。ただこのオプションは自分の中では3割くらいだった。なぜなら、次のパラグラフのテーマになってくるのだが、モチベーションと学びの部分に不安があるから。

 

 ここまでをまとめると、インターンをする場合(7割)、来年の夏にはBMSであれメタであれ5月に辞めるのは確定。インターンをしない場合(3割)、BMSであれば残留、メタであれば契約が切れる予定の3月(612ヶ月契約とは書いてあるが8割型12ヶ月は確約される見込みだそう、延長は月毎で可能だそうで、もちろんフルタイムコンバートの可能性もあるが全て未知数)で辞めたら、また新たな仕事を探す必要性が出てくる。インターンをして新しい業界に飛び込んだ場合、卒業までの2年間は収入は減るが、卒業後は年$200,000以上の大型契約が期待でき、インターンをせずに製薬業界に絞った場合、今から順当に、ゆっくり右肩上がりの契約を、あまり不確定要素なしに毎年ゲットできる。5年間の総額を比較すると、新しい業界に行く方が勝率は高いだろうが、それ以降は今は未知数であるためあまり比較する意味もなく、結論どっちの道を選んでもお金の面では8割くらいの未来では大差がない。

 

~将来への投資・仕事での学びの重要性~

 

 ここからはお金に大差がないことを踏まえて、どっちの道を選びたいかという話しだ。結局メタに決めた大きな理由は、簡単に言うと、よりワクワクすることがしたかったから。

 

 製薬はとても良い業界だと思う。有給の多さや産休の充実具合など、ワークライフバランスがとても良いため、子育て層や定年間際の人には持ってこいな仕事環境だ。仕事内容も大して難しくないし、解雇されることもほとんどなければ、テク業界には劣るが給料も待遇を合わせると及第点以上だろう。だが、個人的には3年弱製薬業界にいてみて感じるのは、良い意味でも悪い意味でも刺激がなさすぎること。仕事内容はある程度慣れるとルーティンでしかなくなってきて、全く考えることをせずに仕事をこなせてしまう。たくさん仕事をするインセンティブもほとんどないため、段々と最低限やることだけやって後は自由時間となってしまう。僕は大半の時間をMBAの課題や試験勉強に使っていたのだが、それでも仕事で得られるものが、時間とトレードしてもらえる給料だけの実態に段々と危機感を持ち始めていた。せっかく週40時間を仕事に割いているのに、学びも刺激も特になく、そんな毎日が続くとやる気も無くなっていく。こんなんを5年間続けたところで、目標であるアジア支部の代表のポジションに就けるのだろうかと。一体うまくサボる以外なんのスキルがつくのだろうかと、少しばかり不安が出てきた。

 

 一方メタはどうだろう。まだ市場に出ていないAIの新製品の開発に携われるということはもちろん学びも多いだろう。それも自分のユニークなスキルであるトリリンガルという強みも最大限活かしつつ。人間誰でもそうだと思うが、誰でもできる仕事よりも、自分にしかできないことを任される方が自己肯定感もモチベーションも上がるものだろう。インタビューをしてくれたマネージャーとエンジニアから、どうしてもチームに欲しいと求められたのはとても嬉しかったし、トリリンガルだけでなくMBAでの学びもダイレクトに使えるこのポジションは、自分のキャリアにおける強みを形成するために最適だと感じた。そして何よりも、この新たな業界・環境で自分はどれだけ通用するのか、どんな学びがあるのか、純粋にワクワクが止まらない。もちろん、契約が切れた時に仕事がないことへの不安や、安定した製薬業界でのキャリアに一旦別れを告げることに未練がない訳ではない。だが、その不確定要素を求めている自分がいることも確かだ。

 

 全てが見えてしまう製薬業界は面白くないし、支えるべき家族もいなければ、経済的にも特に困っていない僕が、来月25歳というまだまだ若い時期に、刺激とチャレンジを抑えてまで安定を選ぶ理由がないなとも感じた。今回もBMS、メタと就活は22勝だし、面接で落ちた経験も人生でほとんどないため、契約が切れたとしても、次の仕事も正直すぐ見つかるだろうと思っている。製薬業界に関しても、一度離れるだけでいつでも戻れるのも事実だ。つまり、今このタイミングで正社員を捨ててまで契約社員のポジションを取ることは、僕にとってはリスクほぼ無いに等しい。であれば、少し貰えるお金の総額は減ってでも、将来への投資という意味で、仕事を通した刺激と学びを優先しようと考えたわけだ。フルリモートということで学校との両立も難しくないし、少し考えを整理するまでに時間はかかったが、納得のいく結論を出せて満足している。ということで、今回はこんなところで。See ya later!

えりちゃんラブ

~記憶のない小学時代~

 

 えりちゃんと出会ったのは小学2年生の時。記憶が曖昧ではあるが、確か2学期に同じタイミングで東京都日野市の旭ヶ丘小学校に転校してきた。もう10何年も前のことなのであまり覚えていないが、卒業アルバムを久しぶりに見たら、最後の2年間はなんと同じクラスだったらしい。親同士が仲良かったこともあって存在はもちろん把握していたし、笑顔が一番素敵という印象を持ってたのは今でも覚えているし、きっと本人同士の仲も良かったのだとは思う。だがしかし、当時僕がえりちゃんのことをなんと呼んでいたか覚えていないくらいには思い出がない。

 

 卒業後は僕は受験を経て中高一貫の立川国際というところに進学し、えりちゃんは他のみんなと共に地元の中学に行った。そこからはお互い何をしているのか知る由もなく67年が過ぎた。えりちゃんと再度連絡が取れたのは20188月のこと。小学校卒業が20113月なので、月日にして7年半が空いた。ちなみに連絡が取れたと言っても全く記憶はなく、インスタの個チャを遡って事実確認をしたところたまたま見つけただけだ。2018年と言えば、僕が3月を持って慶應1年で中退し6月からシアトルでの大学生活を始めていた時期で、そもそもなぜインスタで繋がっていたかすらわからないが、SNSなんてそんなものだろう。そんな7年半ぶりの連絡の内容はというと、僕のストーリーにえりちゃんが、なんか、すごいわかる。感慨深いと返していた。気になってストーリーを見返してみたところ、僕が”Proだって、猫にとっては、枕以下というしょうもない川柳を、猫がMacbook Proの上で寝てる写真と共に載せていたらしい。全く記憶はないし、結局返信もいいねもしていなかったようだが、この川柳に感慨深さを持てたえりちゃんの感性はやはりすごいなと今になって思う。

 

11年ぶりの再会~

 

 次に連絡を取ったのは20194月のこと。このブログを開設した時に、最初は興味のある人に個人でリンクを送っていて、えりちゃんが興味があると連絡してくれた。そこからはブログを読んで何か感想があると送ってくれたり、ストーリーに反応してくれたりするレベルの距離感に。UW編入が決まった時や初就職が決まった時など、何か大きなイベントをシェアするたびにメッセージが来ていたようで、今見返しても嬉しくなるものだ。そして、20223月。僕は4年ぶりに日本に遊びに行ったのだが、会ってくれる人いたら連絡してくださいというストーリーにすぐ反応してくれたので11年ぶりに会うことに。その時は17日間で60人くらいの人たちに会っていたこともあり、一人一人と過ごした時間はそこまで長くなかったのだが、えりちゃんとは4時間くらいは一緒に過ごせた。新宿で海鮮丼を食べに行き、本来だったらご飯だけでバイバイなのだが、11年ぶりに会ったのに気まずくもなく、相変わらず笑顔も素敵で、なんでも笑ってくれるえりちゃんといるのが楽しすぎて、桜が咲いてた時期でもあったため桜を見にいきたいと少しおねだりをして、えりちゃんの通っていた学習院大学に連れて行ってもらった。そこでは馬術部の新歓に新入生のふりをして体験乗馬をしたり、桜の写真を撮ったりと楽しい時間を共にした。どれだけ嬉しかったかは、後日会った人向けに書いたブログ”4年ぶりの日本(2)”35番を見てもらえれば明らかだが、えりちゃんへのコメントが

 

35, E.T. (T) 4/1 新宿海鮮丼、目白学習院大学

小学校ぶりに会ったけど、本当に最高だね!小学校の時から最高の笑顔だなと思ってたけど、今でもそれをキープどころかさらに進化させてて、シンプルに感動した!11年ぶりとかなのに変な感じなく話しててすごく楽しかったし、また会いたいなって強く思った!新入生のふりして馬に乗るっていう面白い思い出も作れたし、今からでも学習院大学編入しようかな、って本気で迷った。専攻もほぼ一緒だし、在学中もだけど就職してからもまた色々話したいな!今回11年分の空白を埋めることができて本当に嬉しかった!大切な友達だと思ってるから、これからも是非仲良くしてほしい!

 

と、かなり熱が入っている(笑)

 

 会ったことで距離感は大分縮まりえりちゃんから連絡が来る頻度は上がったものの、言うても過去11年で1度しか会ってないわけで、その前の思い出もあまりなかったため、自分から気軽に連絡するほどの友達になったわけではなかった。それでも2022年12月のどん底時など、孤独でしんどかった時にビデオ通話しよう! と連絡してくれたり、ブログの感想を送ってくれたり、結局電話は躊躇してしなかったけど、この子すごく自分のこと応援してくれてるなとは思うように。去年の夏には僕がオーストラリアを旅行しているタイミングでえりちゃんも来ていたらしく、会えるか模索したが、結局いる都市とスケジュールが被らず断念。それでもこんなに一方的に連絡をし続けてくれるえりちゃんに感動したのも事実。

 

~シアトルで過ごした濃密な5日間~

 

 そして、先月。夏ぶりに連絡が来て、今度はなんとシアトルに遊びに来るとのこと。それも年始の火曜日から日曜日というまあまあの長さのスケジュールで、来る理由も僕と一緒にシアトルを巡りたいというのがメインらしく、嬉しかったはものの、正直言うととてもびっくりした。ブログやストーリーにこんなに自分を曝け出しているのを全部読んでいるはずなのに、それでも全く好感度が落ちてないどころか、5日間も一緒に遊んでくれるの??と。ということで、これは最高の思い出にしてあげねばと思い案内は頑張った。

 

 まずはスケジューリング。本当は木金土の週末だけ会う予定だったが、せっかく来てくれたからとの思いで、頑張って時間を空け、火曜は空港迎えから少しシアトルを巡って最後に夜景。水曜は仕事と夜の学校の間の数時間で、スタバリザーブUWのキャンパス案内と、後輩の助けも借りながら出来る限りは尽くした。ボーイングとアマゾンのスフィアの見学をしてみたいということは聞いていたので、水曜の夜にはボーイングで働いているMBAのクラスメイトに明日朝のツアーのチケットを急遽お願いし無事ゲット、そしてスフィアは金曜日に向けてアマゾンで働いているドンちゃんに頼み込んでおいた。

 

 クラスメイトのファインプレーもあり木曜日は朝はボーイング、お昼は家の見学をしたいとのことで少し寄った後、夕方2時間離れたドイツ村、Leavenworthへ。冬はライトが綺麗で、美味しいホットドッグとドイツビール、そして夜はホテルで大富豪やマジック、就活話しに花を咲かせた。金曜日はSnoqualmie Fallsというワシントン州で一番綺麗な滝に寄った後、計画通りスフィアでドンちゃんと合流。夜はUW近くのUビレッジでピザを食べた。日曜日はどうしても抜けられないMBAの授業が1日あったため、最終日となった土曜日はベレビュー、フリーモント、バラード、ディスカバリー・パークと、観光客というよりは、シアトル市民に人気な場所を一通り案内。最後はガス・ワークス・パークという夜景が綺麗な場所で一日を終えた。そして最後にえりちゃんとは感動の別れがあったのだが、そこは省かせてもらう。

 

~幼馴染から親友へ~

 

 ここまで読んで気づいた人もいるかもだが、今回シアトルに遊びに来てくれるまで、僕の中でのえりちゃんは、笑顔が素敵な小学時代の友人であり、それ以上でもそれ以下でもなかったように思う。だから自分から連絡することはほとんどなかったし、火曜に空港で会った時も、これから5日間どう案内しようかな~と少し不安の方が大きかった。後は、最初に言ったように、呼び名をどうすればいいか問題を自分の中で解決できておらず、名字にさん付けはおかしいし、えりぱんという呼んだことないあだ名もしっくり来ないし、えりと呼び捨てにするのも変だしとかなり悩んでいた。初めて名前を呼んだのは確かえりちゃんの友達が合流した火曜日の夜だったかと思う。友達とは初対面で名前があいりだったので、あいりちゃんと呼んだ勢いでえりちゃんと呼んでみたら特に止められることもなかったのでそれで行くことに。

 

 僕のえりちゃんに対する感情は徐々に変わっていったのだが、一番大きかったのは金曜夕方にドンちゃんに会った時。以前ブログでも書いているように、とても美人で、エリートで、年上で、自分の中では憧れな存在で、スフィアではえりちゃん達のことは気にも介さずにずっとドンちゃんと話していた。帰りはドンちゃんを駐車場まで送り、一緒にいたのは1時間程度だったのだが、その後に疲れがドッと来た。その時に、自分がドンちゃんやテイラー、そしてその他MBAや会社の友達と一緒にいる時は相当背伸びしていたんだなと気づかされた。みんなの前では、とにかく負けないようにと背伸びして、ビジネスの話しをしたり、相手の仕事内容に一生懸命に耳を傾けたり、知らない話題の時は相槌のタイミングだけは間違えないようにしようと気張ったり、、、。それを全て自分の第一言語でもない英語でやっているわけで、心の底から楽しめているかと言われるとそうではなく、ただそこに入れている自分に酔いたかっただけなのかもしれないと。それが悪いことではないし、これから辞めようとも思わないけど、本来の自分が出せない環境だからこそ、何かしっくりこない部分があったり、急に孤独感を持つことがあったのかなと思った。

 

 この疲れた状態で助手席のドンちゃんを降ろして、UWのお土産屋さんに向かった。そこからの僕はずっとえりちゃんに付きっきりだった。あいりちゃんには申し訳ない気持ちはありながらも、そこまで気が遣える余裕があったわけでもなく、とにかくえりちゃんの隣にいることが気楽だったのでそれに甘えてしまった。そしてディナーはピザを食べに行ったのだが、初めて隣に座って欲しいと頼んでしまった。これまでは一方的に応援してもらう側だった僕の方が、えりちゃんにゾッコンになった瞬間だ。ということで、最後はゾッコン記念としてえりちゃんへのラブを書いて終わろうと思う。

 

~えりちゃんラブ~

 

 このブログを長年読んでくれている人ならわかるだろうが、僕はかなりの恋愛体質だ。人を好きになるのが早いのは自分でもわかっていて、今回もストーリーにたくさん載せたりしているので、どうせえりちゃんのこと好きなんでしょ? と思っている人もいることだろう。結論から言うと、大好きだ。というか、好きにならないわけがない。そもそもブログを書いているのは読んで欲しいから書いているわけで、書き始めた当初から常にチェックしてくれて、励ましのエールを送ってくれる人への好感度は高くて当たり前だ。そして僕はE-girlsAmiちゃんという人がとても見た目がタイプなのだが(テレビでたまたま見て可愛いと思っただけで、E-girlsのこともAmiちゃんという方のこともほとんど何も知りません。ガチファンいたらごめんなさい)、今回久しぶりに会ってえりちゃんの方が可愛いということに気づいた。僕は髪をワイルドに染める人が好きで、えりちゃんの銀色みたいな髪色はほんとにかっこかわいかった。Amiちゃんのことを可愛いと思った理由でもあるのだが、僕の可愛い基準は髪色を除くと後はメインは笑顔の素敵さで、知り合いの中でもトップクラスの笑顔を持つえりちゃんはそりゃ可愛いわけだ。

 

 こんなに可愛い子が、どんな話しをしても笑ってくれて、ユーモアの感覚も似ていて、日本のお笑いの話しとかアメリカの友達には話せないような話題も話せて、そりゃ一緒にいて気楽なわけだと感じた。それでいて心の奥底には熱い部分も持ってて、目標を達成する力もちゃんとあって、まあ後は勉強した分野が似ていることもあり、知らないうちに大好きになる要素が揃いすぎていた。

 

 と、このパターンだともう確実に大好きすぎて、付き合いたい結婚したいまで感情が先行してしまうし、それを書いてしまうのが僕なのだが、今回は少し違った路線になるかと思う。まず、僕が本当にえりちゃんが運命の人だと感じて、大好きすぎて付き合って最終的には結婚したいと思っていたとしよう。そしたら多分僕は今している全てのことを捨てて日本に行くと思う。なぜならそれくらいハマると抜け出せないタイプだから。ただそれをすることは今はない。仕事はともかく、MBAは今の自分の人生での最優先事項だ。20266月に卒業するまではシアトルの地を去ることはない。それは自分で言い切れる。もちろん何かにコミットしたら犠牲になることも出てくるわけで、自分はどんな素敵な出会いがあったとしても、魅力的な仕事のオファーがあったとしても、MBAを取るまではブレることなくやり切りたい。

 

 まあ後もしかすると一番大きな要素かもしれないが、えりちゃんのことをここまで好きでいられて、僕もある程度はえりちゃんに好かれている理由は、良い意味でお互いのことを知りすぎていないからだと思う。今回を除けば過去に思い出はほとんどないし、いくらSNSで繋がっているとはいえ、記憶を浄化するのも簡単な訳で、ここまで綺麗な友情を築けたのは離れた場所に住んでいるからというのも大きい。実際僕が日本に住み続けていたら、ここまでの関係になれていたかはわからない。旅行というのは特別な思い出になりやすいものだし、5日間だけだからと割り切ってサービスに徹していた部分があるのも事実だし、人間関係は物理的距離や明確な期限があった方が素敵なストーリーになりやすいのも実感した。ここまで冷静になっているのは、ならないと大好きという感情に心が左右されてしまいそうだから。お互い忙しく拠点も遠いため当分会うことはないし、5日という僕の感情が一線を越えるギリギリのところで帰ってもらえたのは感謝している笑

 

 ただ1つ学べたのは、いつも年上好きを公言している僕だけど、ドンちゃんやテイラーみたいに年上でエリートで美人で自分が尊敬しすぎてしまう人よりも、えりちゃんみたいに一緒にいて気楽で楽しく過ごせる人との方が、人生のパートナーという意味ではうまくいきそうだということ。すぐ恋に落ちてしまう僕がこれから永遠に恋愛をしないなんてことはないと思うし、見つけようとしなくても今回のように想定外の形で落ちかけることもあるので、また自然に落ちてしまう時までは一旦恋愛は封印して、やるべきことにしっかりと取り組んでいこうと思う。長くなりすぎて書かなかったけど、えりちゃんと別れた後に色んなことを考えさせられて、一通り色んな感情で泣いた後にスッキリ切り替えられて、久しぶりに好調期に突入したため、またどこかで仕事や学校関連のアップデートがあるかと思う。

 

 これ最後まで読んでるのえりちゃんくらいだろうから、最後は個人のメッセージで締めるね笑笑

 

 えりちゃん、今回わざわざシアトルまで来てくれてありがとね! 一緒に過ごした時間、とても楽しかったよ! 初めてくらいに昨日長めの近況報告ラインしたけど、これからも定期的にしていくかもしれない笑 いつも遠くから応援してくれてありがとう! もう大好きすぎる!!!!!! 1年で5日以上会うと好きがセーフティライン越えちゃいそうだから、多くても年2回くらいのペースで会おう笑 ブログめちゃ読んでくれるの知ってるから、ついつい書きすぎてしまった笑 3時間ノンストップで書いて6000字オーバーなんだけど、修論はきっともっと長いよね。MBA修論ないから、これが僕の修論ということで! 卒業式サプライズで日本行ったり、卒業旅行にヨーロッパ突撃合流するプランはないから笑、次は夏に僕が日本かアジア周遊することがあれば会おう! このブログは恥ずかしすぎるから、家族には共有しないで笑笑 うちの親ブログの存在知らないから、巡り巡り回ってバレたら恥ずかしすぎる笑 ではE-girls Amiちゃん超えの可愛い可愛いえりちゃん、お元気で!!!!!

2023年自己採点

2023年もほぼ終わり~

 

 2023年も残すところ後2日。年末ということで、今回で3年連続となった1年振り返り自己採点をしていこうと思う。今年は24歳になった年で、大きなイベントとしては、4月に人生初マラソン6月に親とテリヤキ屋さんを買収・経営開始、8月にオーストラリア・ニュージーランドに一人旅、9月からはフルタイムの仕事と掛け持ちでMBAスタートといったところか。下半期は忙しさでなかなか物思いに耽る時間が取れなかったが、年末の数週間は学校は冬休み、仕事は楽なスケジュールだったこともあり、様々なことを振り返れた。今回はその一部を、昨年までのフォーマットを基にシェアする。

 

1, キャリア 9/10

 

 昨年、来年に向けての課題はなかなかレベルが高い。きっとこの超優良ホワイト会社で残りもう一年働くとは思う。… … 仕事をこなしながら、何か新たな刺激を得られるように試行錯誤していくのが来年の目標だ。2023年末には「今年は様々なことを学び、来年以降に向けてのビジョン・目標もより鮮明に見えてきた」と言えるような一年にしたい。と記したが、目標は達成できたかと思う。最速昇進に加え、MBAという形で新たな刺激も得られた。

 満点でない理由は、来年以降のビジョン・目標がそこまで明確には見えていないこと。選択肢は多々あるのだが、どれにコミットしたいかを決められていない状態だ。ただ、キャリアに関しては全く心配していない。数あるオプションの中から何を選ぶことになるのかは来年末になってみないとわからないが、どの道を選んでもうまくやっていける自信があるため、あえて2024年は「自分を信じる」というシンプルな目標で挑むことにする。

 

2, 勉強 9/10

 

 人生は一生勉強だ。昨年4点、今年3点と自分では全く満足できていないため、来年は最低6点は出せるようにGMAT初めビジネス関連の勉強、そして興味のあることの深掘りにより積極的に時間を割きたいと思う。というのが去年の総評だが、今年はMBAを始めたことが大きな転機となって勉強はたくさんした。最初の学期となった秋クオーターでは、必修のAccoutingEconomicsを無事どちらもGPA 4.0で終えることができた。どちらの授業も4.0を与えられるのはトップ10%のみで、総合成績トップ10%に入るとDean’s Listという成績優秀者の称号を手に入れることができる。85人程度の学年なので、各クオーターで89人しか取れない狭き門なのだが、僕は最初のクオーターで確実にこのリストに入っておきたかったため、試験対策は余分に頑張った。入りたかった理由は極めてシンプルで、キャリアやプレゼン力などで自分を凌駕するクラスメイト達に、自分も負けてない部分あるんだぞと証明したかったから。周りからの評価もそうだが、自分の自信に大きく繋がる目標達成となった。

 2024年の目標は、授業とプロジェクトを通じて、よりビジネスに関する知識を増やすこと。理想を言えば冬、春クオーター、そして2年秋クオーターも全てDean’s Listに入りたいが、これは相対的評価であるため目標としては設定しない。

 

3, 副業 4/5

 

 5点満点に変えた理由は学校に戻ってから副業の重要性が下がったため。6月にテリヤキ屋さんを買収してからは、親と共にかなりの時間を費やしているが、経営は想像以上に順調だ。インスペクション対策や、新規POSの導入、内装工事、メニュー変更・追加など多くのことをこなした半年間だった。来年も空いた時間で出来る限りの試行錯誤ができればなと思う。1点減点は夏に、1年半続けていた新聞の執筆・編集を飛んでしまったこと。仕事・学校準備・テリヤキ屋さん・プライベートと様々なことが積み重なり、精神的に参って切ってしまった。製薬フルタイム・MBA・テリヤキだけでも十分忙しいので、来年は新たな副業に手を出すつもりは今のところない。

 

4, 仕事体力 8/10

 

 去年に比べると少し体力が落ちたかなと感じたが、忙しいスケジュールを淡々とこなせてはいたわけなので、8点はあげてもいいかと思う。来年のテーマは運動と睡眠のルーティン化だ。

 

5, お金 7/10

 

 ちゃんとは計算していないが、今年はそんなに貯金は増えていないはずだ。旅費と学費が出費のメインではあるが、来年再来年はもっと増える予定で、足りない分は去年まで貯めたお金でやりくりする予定だ。MBA卒業までの2年半は、自己投資をメインに考えているため、借金しなければいいなが現実的な目標となる。

 

6, 恋愛 2/5

 

 これも勝手に5点満点に変えたが、正直書くことがない。1個前のブログが恋愛関連なのに1ヶ月ちょっとで何があったんだと思うかもだが、冬休みに入り精神的にリセットできてからは恋愛に関しては考えることがなくなった。来年もシングルで別に構わないし、今は自分の時間で取り組みたいことがたくさんあるため、誰かのために時間を割く気力がない。

 

7, 友達 6/10

 

 旅行と学校でたくさん友達ができた1年だった。失った友達も何人かいるが、まあ仕方ない。友達に関しては特に目標はない。仲良くなる人は自然になるものだし、会いたくない人に会うほど気力もないため、そこまで気にせず本来の自分で行こうと思う。

 

8, 家族 9/10

 

 去年からの1点プラスとしては親と一緒に働けたこと。特にお父さんはずっと夢だった個人経営ができてとても嬉しそうだ。もちろん困難もあるが、家族一丸となってビジネスをできているのは楽しい。妹はついに来年大学生に。今は大学受験期ということでストレスも多いようだが、終わったら多額のボーナスをあげるつもりだ。

 

9, 趣味 8/10

 

 今年新たにチャレンジしたこととしてはマラソン。去年までは長距離走と言っても10数キロが限界だったが、3月にハーフマラソン(21キロ)4月に初フルマラソン(42キロ)、そして7月に2度目のフルマラソン3時間14分というかなりの好記録を残せた。来年は3月に人生3度目のフルマラソンが控えているため、この冬も走り込んでいる。

 また、新たな趣味としては筋トレを始めた。リサーチを重ね、冬休みからジムでトレーニングに励んでいる。現在一番好きな種目はスクワット。始めて数日で245lbs(110kg)が上がったところで、来年の目標はとりあえず3プレート(=315lbs=143kg)。ベンチプレスに関してはまだ130lbs(59kg)しか上がらないため、ゆっくり伸ばしていければと思う。その他はデッドリフトはやらずに、ダンベルとマシンで全身をバランス良くやっていく予定だ。

 2024年は理想を言えば毎週走行距離35マイル(56km)、筋トレ3日、水泳160ラップ(4km)はこなしていきたいのだが、現実的には25マイル(40km)、筋トレ2日、水泳はできればという感じだろう。大きな目標としてはフルマラソン3時間10分切り、トライアスロン70.3(水泳1.9km、自転車90km、ラン21.1km)ウルトラマラソン(距離がフルマラソン以上)完走のどれか1つは確実に達成したい。準備的にウルトラマラソン完走が一番楽ではあるが、いずれはマラソン3時間切り、トライアスロンiron man(水泳3.8km、自転車180km、ラン42.2km)をこなしたいため、基礎体力を上げていきたい。

 

10, 健康 7/10

 

 冬休みになってやっと筋トレを始められたため少しはスコアが改善したが、忙しいと食事と運動が疎かになりがちということを実感したため、来年はもう少し身体を大事にしたい。筋トレ、ジョギング、水泳を基盤に、食事にも気を配り理想のボディーに近づけていければと思う。

 

11, 幸福度 6/10

 

 勝手に2項目で5点ずつカットしたため10点余った分で新項目を作った。幸福度はなかなか指標にするのは難しいが、今年は感覚的には6割程度だった。これは何を成し遂げたかよりも、それらを自分で捉えたかの方が要素的には大きい気がする。

 

合計得点:75/100

 

 なんと去年と同じ75点という結果になったが、下がってないだけマシだろう。今年は、1年間大きな怪我なく健康でいられたこと、自分にとって大切な人が誰も死ななかったこと、仕事でストレスがほぼなかったこと、数年間悩んでいたキャリア次への一歩をMBA合格&入学・テリヤキ屋さん買収という形で踏み出せたこと、マラソン・筋トレという心身に好影響のある新たなパッションに出会えたこと、1ヶ月に渡る海外一人旅で収穫が多かったこと、などプラス面はとても多かった。これらに一定の満足はしながらも、もっとできたなと思う部分は多々あったし、まだまだ自分の中で成長しなければならない側面が見つかった1年でもあった。

 来年は、「自分のコントロールできることに全力で励む」というテーマで1年を駆け抜けて行きたい。例えば、成績でトップを取りたいという目標は他者の努力・実力次第な部分もあるので、それよりかは自分の立てた試験対策プランを完璧に遂行するのを目指したり、昇進を勝ち取りたいというのは会社やチームの都合もあるので、任されたプロジェクトを責任を持って終わらせるにマインドセットを変えるなど。冬休みの精神リセットの効きがかなり良く、ここ数年でも1番くらいに調子が良いが、これが1年続くほど人生が甘くないことはわかっている。せっかくの好調期を活かして2024年、力強いスタートを切りたい。では皆さん、良いお年を! 来年もどうぞよろしくです!

MBAing 3 〜テイラー&ドンちゃん〜

~秋クオーター中間報告~

 

 今クオーターも後3週間で終わりというところまで来ているのだが、正直授業は簡単だ。成績は学年86人中トップ5には入っているし、試験は高校時代の定期試験よりも易しい。これで証明できたが、社会で成功することと勉強=ペーパーテストに強いことにそこまで相関はないのかもしれない。ということで、人生で一番くらいに成績や試験の点数には無関心になってきたのだが、キャリアに関しては視野が広がったことで悩みは増えた。自分の強みを活かすならコンサルやファイナンスでバリバリ働いてみるのもありかなと思う一方、もう既にいる製薬業界でいけるとこまで上ってみるのも面白そうとも思う。

 MBAを始めてから一番しんどいのは睡眠のコントロール。日月火水朝6時から午後4時半に仕事、月水午後6時(キャリア講習会などがあるため実質午後5時スタート)から午後9時半というスケジュールで動いているため、週の前半に色々詰まりすぎて睡眠不足になる。会社と家は車で5分の距離にあるものの、会社と学校間は3040分かかるため、月曜は朝6時~午後10時過ぎまではフルで仕事、運転、または授業で、火曜朝は5時半起床となる。授業中は脳が活性化されているため、帰宅後すぐに寝落ちできるわけではなく、早くて眠りにつけるのは午後11時すぎほど。僕は最低7時間は寝ないと次の日の活動効率が3割以上落ちるため、この影響は大きい。火曜日を眠い目をこすりながら耐えて、今度は月曜日以上に長い水曜日となるわけだ。水曜日は授業後にハッピーアワー(飲み会)があり、MBAのエッセンス、ネットワーキングチャンスのため、木曜日が休みの僕に行かない選択肢はない。それもあり、水曜の夜は数日の疲れがマックスまで溜まり、インスタに長文ストーリーを投稿しがちなのだ。

 まあとはいえ、木金土は毎週仕事も学校もないため、恵まれている方だとは思う。今週はサンクスギビングウィークということで、今日(水曜日)は授業がなく、仕事も午後2時に出れたため、ジョギング、シャワー、夜ご飯、飲酒、ダラダラ、ブログ更新というゴールデンリレーをかませている。キャリアのことや同級生・先輩方から学んだことなどをもっと書いても良いのだが、そんな真面目なことを書く気分ではないので、本題の恋愛話しに入ろうと思う。

 

~テイラー~

 

 MBAは僕にとっては最高すぎる環境だ。ほぼ全員年上で、キャリアも自分よりエリートで、喋りも上手な人が多いため、年上好き恋愛体質の僕がクラスメイトに惚れてしまうのは自明とも言えるだろう。ただ先に断言しておくが、主観的に見ても客観的に見ても、誰かと付き合える可能性は限りなくゼロに近い。そもそもレッドフラッグが他の人と比べて多すぎるし(ブログに全てを書いたり笑、細かすぎたりなどなど自分でもちゃんと理解してます)、これは自分の感覚でしかないが、ほぼ大半のMBA生には子供扱いされているような気がするため、恋愛対象になるはずがないかなと笑 ということで、妄想を楽しませてほしい。

 さて、一人目は僕の中で好きな人ランキング暫定一番のテイラー。カリフォルニア出身、大学は東海岸でフィルムと経済学専攻で、メディア関連の仕事に長く勤めた経験があり、NBCでは6年、その中でロンドンは3年ととにかくキャリアがカッコいい。現在はアマゾンで働いていて、プログラム・マネージャーとMBA卒にも大人気のポジションに既に就いている。歳は7個上の31歳で、趣味でヨガインストラクターをやっているほどフィットネスに尽力していて、ピラティスとボクシングを長らく習っているらしい。そんな彼女は同じクラス(学年は86人だが、半分ずつに2クラスに分けられている)で、初めて話したのは10月初週のハッピーアワーでのこと。インスタのストーリーでも度々載せているが、そこからはほぼ毎授業隣に座るほど仲良くなり、一緒にラグビーの試合のパブリックビューイングに行ったり、ピラティスのクラスを取ったりと、プライベートで会っている唯一のクラスメイト。

 テイラーの惚れポイントは、とにかくフレンドリーでたくさん誘ってくれること。ここ行きたい? これ一緒にやりに行かない? などとフランクに向こうから誘ってくれるため、勇気を振り絞ってこちらから誘わなくて済むのが助かる。ちなみに他のクラスメイトも誘っているようだが、テイラーが仲良いのは僕以外基本女子ばかりだそうで(というかパートナーいる率が高すぎて、異性で誘える人がそもそも限られてる)、皆忙しい+テイラーの誘いは基本運動系なので断る人が多いらしい笑 その中で僕は誘いを断らないので(断るわけがない)頻繁に誘われているというわけだ。私事情があり結局無しになったが、今週もサンクスギビングディナーに誘ってくれていたように、毎週何かしらに誘ってくれているので、お陰様でここ最近は楽しめている。

 恋愛に発展する可能性に関してだが、妄想込みで10%といったところだ。何か狂ったことが起こらない限り無いに等しいと言い切れる。その理由は、クラスメイトに大っぴらに今日JJここに連れて行ってきたんだよねと、なんの躊躇もなく言って、普通なら男女2人で??となりそうなところだが、皆の反応も、楽しかったみたいで良かったね!と、子供扱いだからだ。テイラーは、名の知れた本や映画はほぼ網羅しているので知っていることが多く、それをシェアするのも好きで、僕は基本知らないのでコクコク頷きながらテイラー凄い! という反応で返すので、それが気持ちいいだけなのかもしれない笑 まあ、理由は正直なんでもいいが、憧れな人とこんなに仲良くできてるのは素直に嬉しい!

 

~ドンちゃん~

 

 お次は、僕の中ではこれからに期待枠、僕のことをよく知る林飛鳥からはナンバーワン評価を得ているドンちゃん。実はドンちゃんに関しては、MBAing 1のブログで既に触れている。以下が抜粋だ。

 スケジュールが忙しいのと、今は新しい生活に慣れるのにエネルギーを奪われているため、好きな人ができるまでには至ってないが、このお姉さんともっと話したいなという人はいる。その人は大学の卒業年的に僕の5個上で、大学まで中国、7年前に大学院留学という形でアメリカに来た美女。既に何回か話したのだが、キャリアはスーパーエリートなのに、個人で話す時はほんわかしているのが魅力的すぎる。基本グループのメンバーとばかりいるため、同じクラスであってもあまり話す機会はないが、イベントやハッピーアワーで一緒になる機会があればまた話したい。この話しにアップデートがあるかないかはわからないが、続報に乞うご期待!https://jjseattlejj.hatenablog.com/entry/2023/10/04/153342?_gl=1*8esiag*_gcl_au*MTAzMjg5OTM1LjE2OTg5MDM5MjY)

 そう、ドンちゃんは一目惚れするくらいとにかく可愛い。インスタのストーリーにも載せたが、ハロウィンのイベントでツーショットを撮った。少し経歴の補足をすると、大学は中国で英文学専攻で、大学院はコロラドでビジネス・アナリティックスを出ている。卒業後は5年間BI(ビジネス・インテリジェンス)関連の仕事をしており、林飛鳥によるとBIはかなり優秀らしい。しかも現在はテイラーと一緒でアマゾンに勤めているため、相当エリートであろうことは間違いない。

 同じクラスではあるものの、テイラーと違ってスーパーフレンドリーというわけではないため、僕から話しに行かない限りは基本何も起こらない。これまで5分以上の長さで会話できたのは2回だけで、1回はハロウィンのイベントで、もう1回は日曜日に学校にプロフィール写真を撮りに行った時にたまたま順番が近く、そこで長話ができた時。声がとてもほんわかしていて、時折見せてくれる笑顔がアイドル級の可愛さだ。そしてアジア圏に住んでいたことも影響しているのか、謙虚さも十分あり、話す度にJJと人生交換したいとジョークを言ってくれる。理由は、30歳が近づいてきて若い時に比べて人生がつまらないから、戻れるなら24歳に戻りたいんだそう。

 週末何して過ごすの? と聞いたら、基本1人で過ごすと言っていたので、遊びにでも誘えばいいのだが、これが想像以上に難しい。クラスメイトである以外に繋がりがないし、話してみてわかったのだが、ほんわかはしているもののテキストなどはかなりクールだ。要件がなければ話さない・連絡を取らないタイプなので、何か理由を探して話しに行くのが案外難易度が高い。それにもし変なアプローチをして距離を置かれてしまったら、今後3年間気まずくなるかもしれないというリスク付きのため、かなり丁寧なアプローチが求められている。

 林飛鳥のアドバイスでは、とりあえず学校のイベントに誘って、そこで一緒になったら話すという地道なアプローチを繰り返して、お互いのことをより知れて打ち解けられたら、もう少しプライベートに外部のイベントやご飯に誘うのが無難と言っていた。ということで、当分はこのプランを遂行する予定だ。次回のイベントは来週の金曜日にあるので、それに来てくれることを期待しようと思う。今のところ恋愛に発展する可能性は妄想込みでも2%というスーパーハードモードだが、それくらい高い壁を超えてこそ真のリア充になれる気がするので、やらかさないようにだけ気をつけて頑張ってみるつもりだ。

 

~まとめ~

 

 欲を言えば今すぐにでもテイラーやドンちゃんクラスの、自分が憧れてしまうくらいエリートでしっかりしてる大人な女性と付き合ってみたいものだが、今の自分では全然物足りない。ただポジティブに捉えれば、彼女たちと知り合えたおかげで、自分の足りない部分・成長したい部分がより鮮明に見えてきたし、これから長年かけてそのレベルに達するための努力をするモチベーションになる。その努力をしている最中に、自分より数倍もカッコいい人と付き合い始めているんだろうが、人生そんなことの繰り返しだからそれは仕方ない。

 自分も色んな意味でもっとカッコよくなりたいし、今僕がテイラーやドンちゃんに憧れているみたいに、他人に憧れられるくらいの人生を送りたいな~ 最近インスタで結婚報告を目にする機会が増えたけど、みんな人生早い段階でパートナー見つけていて本当にすごいなと感じる。相性とかもあるのだろうけど、どんな人間関係にも解決すべき小さな問題はあるし、それを穏便に解決できて結婚まで至っているわけだから、僕はとてもリスペクトしている。自分はずっとシングルでいるのか、もしくはいつかは結婚しているのか。キャリアも人間関係も今は全然見えてこないけど、どんな形であれ笑顔でいられたらいいな。とりあえず今はできることに全力で取り組んでいこうっと!

林飛鳥

~中高時代~

 

 林飛鳥と出会ったのは同じ中高一貫校に入った12年前のことなのだけど、クラスが違ったから本格的に話すようになったのは中学3年の時。学年の2割くらいの人は帰国子女枠で入った人たちで、英語がペラペラの人も多くて、林飛鳥もそのうちの一人だった。最初こそすごいなと思っていたけど、負けず嫌いの僕は途中からこの人たちに追いつきたいと思うようになって、中3で次世代育成道場という東京都教育委員会主催の留学プログラムに入ることに。同じコースには100人いて英語のテストスコア別にグループ分けがされたのだけど、僕は8番グループ(全体3640番)で林飛鳥は1番グループ(全体15番)だった。うちの学校からは僕ら2人を合わせて9人が同じコースにいて、研修を通して仲良くなって、少しは特別な絆ができたかと思う。

 

 留学から帰国したのは高2の夏のことで、ほとんどの次世代生はそこから受験勉強に勤しむことになるのだけど、林飛鳥は高校を辞めてアメリカに戻った。僕の英語力はと言うと、アメリカで猛勉強したこともあり、帰国して英検1級を取れるくらいレベルは上げられたのだけど、まだネイティブとの差は感じていた。受験はというと、全力投球はしたものの、結果は第一志望の東大には落ちて慶應薬学部に入ることに。負けず嫌いの僕にとっては今でも人生最大のショックで、大学1年時は友達もたくさんできて楽しかったものの、本当にこのまま慶應を出て日本で就職することで満足できるかの自問自答は繰り返していた。

 

~大学時代~

 

 僕以外の家族は僕の高校卒業と共にシアトルに移住し、夏休み・春休みの2ヶ月間ずつはシアトルで過ごした。その夏に数年ぶりに再会したのが林飛鳥。ジョージア州の高校を卒業した林飛鳥は、アメリカで大学受験をして、シアトルを拠点とするワシントン大学に入っていた。夏休みにはシアトル観光を一緒にしたり、春休みには授業にもいくつか潜らせてくれた。留学から数年経ち英語力の低下を実感しつつあった僕は、言語面やキャリア面、生活面など様々なことを考慮して最終的には慶應1年で中退して、コミュカレで1年準備をして3年生としてワシントン大学編入することに決めた。プランは完璧に遂行でき、大きな影響を与えてくれた林飛鳥と2021年に卒業した。英語力も上がり、高校時代の夢の1つだったアメリカの製薬会社就職も無事確定。林飛鳥とはというと、なぜか日本に就職していた。

 

~社会人~

 

 そこから2年半経つのだけれども、林飛鳥とはどちらかがシアトル・東京に遊びに行った時に必ず会う仲にはなって、毎回話す話題も大人びてきたし、お互いの成長を感じれている。僕はアメリカの製薬業界で転職やMBA入学を経て順調に階段は登っているが、常に上しか見ていない僕にとっては、毎日悔しいことの方が多い。出会う人もエリートが増えてきて、自分と比較して自尊心が削られる日々。自分はもっとできるはずなのに、なぜ現状はこんなに理想と離れているのか自分を追い込み、自分に精一杯で人間関係を全く思うように構築できていないここ数年。他人の愚痴を共通の知り合いに言ったり、ストレートに物を言いすぎたり、グループを抜けたり、態度が日によって違ったり、全部自分が悪いことは分かりきってるし、それで友達になれそうだった人とも縁を切ってしまってるのも自覚している。後で気づいて関係を修復しようと思ってももう遅いことも多いし、一見フレンドリーな割に友達が少ないのは自業自得だ。

 

~ありがとう~

 

 そんな中で、林飛鳥のように、僕の悪い面も良い面も全て理解してくれて、いつでも味方をしてくれる友達がいるのは本当に嬉しい。もちろんお互いを知ってから長いし、経歴も似ていることが大きな要因ではあるが、それ以上に、人間として綺麗な部分も汚い部分も全てありのままの自分でいられるのがとても気楽だ。他に人にはきっと重すぎてドン引きされるだろうからなかなか話せない僕の負けず嫌いさと、自分より凄いなと思う人に追いつき追い越したいという野望、それを叶えるためのプランなどを全部話せるのは親を除いて数人もいない。自分が良い人だとは思ってないし、苦しい生き方をしているのも自覚している。もっと足るを知って少しは満足することを覚えた方がより幸せにもなれるだろう。だけど、自分の性格上、常に上を目指して戦っていないと病んでしまう。中学の頃憧れていた英語ネイティブにも10年弱かけてやっとなれて、今では林飛鳥との会話は英語日本語が半々になった。

 

 林飛鳥が主役のはずのポストなのに話題の8割くらいは自分のことなのも、僕のありのままの姿だ。自分はあまり大勢から好かれるタイプの人間ではないだろうから、変わる努力をしたい気持ちはもちろんある。だけど、今は色んな考えが交錯しすぎていて、外からの自分の見られ方にどこまでエネルギーを割けるかがわからない。今の自分を正当化するつもりはないけど、こんな自分でも仲良くしてくれる友達がいてくれるのは本当に運が良かったと思う。林飛鳥、いつもありがとう。これからもよろしく。