JJ

JJの気まぐれブログ

みんな、逃げよう

このブログで何度か書いているが、僕は大学1年時、慶應大学薬学部に在籍していた。大学受験時は東大が第一志望であったため、正直入る前は全く楽しみでもなかったが、入ってみると良い意味で驚かされた。同級生のみんなは勉強も高い水準で出来、それに加え人間としても完成された人が多く、ここに入れて良かったなと思えるように。結局1年しかいなかったため、友達はそこまでたくさんはできなかったが、今でも連絡を取り合う人も多く、自分にとっては大きな財産となった。そんな同級生も6年の課程を修了し、進学・就職とそれぞれの道を歩み始めたようだ。ということで、大半の高校・大学時代の友達が社会人となったこのタイミングで、「自分に合った環境に身を置くことの大切さ」をシェアしたい。

 

~逃げることも大事①~

僕が慶應1年で辞めてシアトル移住を決断した時、多くの人にはこの選択をチャレンジと捉えられた。慶應を卒業すれば日本では良い暮らしをできる可能性は高いし、辞める人の大半は国内の他大医学部や、仮面で旧帝大など、ワンランク上に移るムーブだったので、海外に行くのもそういう部類に解釈されていたように思う。だが、今全てを経たからこそ言えることだが、僕が辞めた一番の理由は、シンプルにこの先日本で暮らしていくことに自信がなかったからだ。

試験は人脈を伝っての過去問ゲーで、講義は正直何を言ってるか分からず、1週間で色んなクラスの内容をちょっとずつ触り、それを後でまとめて試験されるスタイルに苦戦した。それに加えて成績を取るメリットも、進級と後の研究室選びに有利になるだけのようで、あまり勉強をするモチベーションも出なかった。実際1年後期の有機化学のテストでは、落単すらしかけ、格違いに大変になるという2年目に向けて心の準備が一切できていなかった。

これを後3年学部と、大学院を2年耐えて卒業したところで、待っているのは国内での就職。ルールが多いのは学校でも職場でも変わらない。同期のことは好きだったし、これからもっと仲良くなりたいという人もいたが、自分の人生を考えた時に、幸せになる未来が見えなかった。そんな悩みを抱えてシアトルで過ごした1年の春休み。辞めた後の進学のことや、どれくらい卒業までに期間を要するのかなどは正直あまり調べないまま中退した。そう。自分の中では逃げでしかなかったのだ。本当は怖かった。ワシントン大学が近くにあったことは知っていたし、アドバイザーとは話していたが、誰でも入りたいからと入れてくれる大学でもない。そのため、こちらに来てからは、高校時代のように一生懸命勉強した。その努力がなんとか運良く実り、ワシントン大学を卒業はできたが、卒業した時にやっと中退してよかったなと初めて安堵できた。

 

~世の中は不公平~

日本では海外大学というだけで高評価される節がある。英語を話せるだけでエリートだと思われることもあるが、個人的にはこれはあまり良くないことだと思っている。僕は両方に通ったため経験から来る言葉だが、学生の基礎学力だけで見ると、慶應生の方がワシントン大学生より格上だ。少しレベルが違うというレベルではなく、格が違う。計算能力や思考分析能力などの基礎能力を鍛えるという意味では、日本の中高の教育は世界でもトップクラスだと思う。ワシントン大学ももちろん上位一部の学生は凄かったが、あの苦手だった有機化学は僕ですら、500人以上の同級生を差し置いてトップを取れた。日本では学歴は収入に比例すると言われている。それはアメリカでも例外ではないが、日本とアメリカの差はどうだろう。僕の経験則では、慶應卒業生の方が学力が高いため、学歴も上で年収もワシントン大学卒業生よりも高くあるべきだろう。

だが、僕にすら有機化学で敗れた彼らの半数以上は、年収が20代で優に10万ドルを超える職に就く。医者・薬剤師は最低12万ドルほど、製薬会社ですら5年もすれば10万ドル近くまで行く。物価がアメリカの方が高いからという論もあるが、それを全て考慮してもワシントン大学の同学部卒業生の方が、慶應卒業生より裕福な生活を送れるのだ。年収が高いだけではない。仕事も楽だ。これは残念ながら僕が日本で社会人生活をしたことがないため、聞いた話しに基づいてにはなるが、労働環境は明らかにアメリカの方が良いと思う。

「日本」「アメリカ」と大きな主語を使うと語弊が生まれるかもなので、一例として僕の会社を労働環境をシェアしたい。110時間の労働時間で週4日のシフトであるため、毎週3連休。残業という概念はなく、休日出勤はまず求められない。祝日はないが、その分が全て有給休暇となっており、合計すると1年で68週間は休みが取れる。それに加え病欠に制限はないため、多い人だと病欠だけで年50日ほど休んでいる。そんな人の場合365日中休みは、3連休*52週間(156)+有給240時間(24)+病欠50日=230日と割合にして1年の63%を休んでいる。それでいて現在大卒の初任給が65,000ドルほどだ。日本円にすると現レートで約870万円になる。入るのが難しいのでは?と思われるかもだが、大半はワシントン大学か一個レベル下の大学出身で、所謂一流大学はもっと条件の良いところに行く。そして上司に怒られるということは聞いたこともないし、ルールもあまりない。トレーニングも丁寧だし、仕事量も程よく、ストレスが溜まる要素は出来る限り排除されている。それでも頑張りすぎてしまった時は、病欠で休んで、リフレッシュできたら戻ってくればいいだけだ。

日本ではこんな条件の会社は聞いたことがない。僕としてはこんなに楽な環境があっていいのか?と入社時に驚嘆していたが、もっと驚いたのはオランダから出張で来た人たちが言っていた「アメリカ人はよく働くね。オランダはもっと楽だよ」という言葉だ。僕がこれをシェアしているのは決してアメリカは楽だからと自慢したいからではない。日本では頑張ることに価値を置きすぎている。それで壊れていく人も多い。大学でも一緒だ。落単・留年を煽る試験に卒論、研究室。ワシントン大学では卒業に論文なんていらなかった。研究室もインターンもいらないし、僕は授業以外何もしていなかった。授業も周りで落単している人はほぼいなかったし、教授がまるで高校教師のように丁寧に試験範囲をおさらいしてくれ、過去問も全て公開されているため、友達が一切いなくても単位は取れるし卒業はできる。もちろん全ての大学がそうではないが、そんなアメリカの大学を、日本の大学よりレベルが高いと評するのは疑問だ。

じゃあなんで日本の大学生は学力が高いのに、社会に出るとアメリカの社会人より待遇が低いのか。それはシステムが悪いことに限る。アメリカは効率主義で、”Work smarter, not harder”の考え方が一般化している。機械にできることはやらせるし、不必要なミーティングや書類、ルールなどは積極的に排除して行く。この価値観が罷り通っているため、新入社員でも声を大にして「これは無意味だからやめよう」と言い出せる環境なのが功を奏しているように思う。この理論は学校でも一緒だ。日本は良く言えば伝統を重んじるが、悪く言えば進化を嫌う。中高の時も、風紀を乱すから髪を染めちゃいけない、化粧はダメなど意味のわからない校則は多々あったが、それに文句を唱える生徒に良い未来はない。大学でも4年間で大したことも学べないのに、中身もない論文など長々と書いて何になるのだろう。結局、ルールに素直に従う優等生だけが評価され、個性がある人は潰されていく。

 

~潰れる前に視野を広く持ってほしい~

こう書くと僕はまるで日本のことが大嫌いな人に思われることだろう。だが、そんなことは全くない。僕は正直日本に住みたいし、シアトルに5年住んでも、街としては東京の方が格上だと思っている。日本はとにかく安全だし、サービスも皆丁寧だ。食事も美味しいし、何せ人も謙虚で優しい人ばかり。お金が無限にあったら今すぐに日本に移ることだろう。だが、残念なことに生きていくためには、僕を含めほぼ全ての人が仕事をしなければならない。僕がまだシアトルにいる理由は仕事一点だけだ。それだけ人生で、自分に合った仕事環境に身を置くことが大事だと考えている。

僕の仲良かった友達に、社会人になってから精神的にやられて仕事を辞めざるを得なくなった人が何人もいる。そういう話しを聞くたびに僕はとても悔しい。あんなに優秀で優しかった彼・彼女が、なんで社会に潰されなきゃいけないのかと。一体いつになったら日本という国は人を潰すことを止めるんだろうかと。何度も言うようにこれは全ての人に通用する話しではない。日本にも良い労働環境の会社はたくさんあるだろうし、アメリカにも日本以上にブラックな会社もたくさんあるだろう。だが、アメリカでは転職がしやすいこともあり、この手の仕事関連での個人潰しが少ないように思う。

 

~逃げることも大事②~

社会人を始めたばかりなのに、もう仕事が大変で月曜会社に行くのが億劫なんて人もいると思う。この先がなかなか見えないという人もいることだろう。でもそんな時に、もっと頑張らなきゃの一点張りで、限界を超えて自分を追いこまないでほしい。仕事は世の中にたくさんある。ある人には、ルールが厳しく上司から怒られるような職場が合っているのかもしれないが、例えば僕なんかは人に怒られることが大嫌いだ。良くできたは褒めて、失敗した時は助けて欲しい。自分には今この職場しかないからとか、辞めたら他に仕事がないからなどと言ったネガティブな理由をつけて耐えないでほしい。もちろん耐えることも時には必要だが、心身を壊すほど頑張ることは間違っている。壊れる前にその環境が自分に合っていないことに気づいてほしい。そして、環境が合っているところに移るということを、恥ずかしいことだと思わないでほしい。自分の心身は自分でしか守れないのだから。一度壊れてからではダメージが大きすぎる。ストレスで身体に異常が出たり、週末を仕事のせいで全く楽しめなくなったりしたら、それはサインだ。

辞めたらすぐ他の会社や海外に移ることが難しいことはわかっている。だが、視野を広く持ち、他の環境を知っておくことは大事だ。例えば今はあまり辛くなくても、いずれアメリカやヨーロッパで働きたいという考えがあるだけで、早いうちから準備できるだろう。もちろん一箇所に住み続けることも幸せな人生ではあるが、選択肢を増やして対応力を付けるというのも幸せな人生の一つのカギになってくると思う。僕はよく、もし日本と韓国とアメリカという自分がお世話になっていた3カ国が戦争になったらどの国をサポートする?なんて質問を受けることがある。答えは簡単だ。どの国も応援しないで自分は他の国に逃げる。それほど僕は国に対するこだわりも愛国心もヘイトもない。国は僕にとっては選択肢でしかない。今アメリカのシアトルにいるのも、仕事の環境が自分に合っていて、好きな副業も自由にできて、将来のためにお金も貯められるから。別にアメリカが大好きだからいるわけではない。今の会社も好きだが、特にずっといたいというこだわりもない。こんなマインドセットを持つようになると、仕事関係でストレスが溜まらず心身に負担がかからなくなる。それでもプライベートで病んで死にたくなったので、仕事以外の面で対応力を広げなきゃなのだが。

 

~一旦リラックス~

僕はこれ以上仲良い友達や自分にとって大切な人が仕事や環境を理由に苦しむのを見たくない。このブログを書いた一番の理由は妹の影響が大きい。

妹は小5の時に、生まれてからずっと住んでいた日本を離れて親と共にシアトルに移ってきた。そこからは英語もペラペラになり現在では高校卒業まで残り1年となった。同じくトライリンガルだし、ピアノもバイオリンも堪能で、成績もとても優秀だ。自慢の妹だが、今年に入りスランプに陥ったのか、あまりやる気がなくなったようだ。テストではカンニングをして0点を取り、2週間前には車で高速道路を運転中に寝落ちをして、ガードレールに車をぶつけてしまった。結局車は廃車になったが、本人はエアバッグのおかげで無傷で、他の車にもぶつからなかったため、被害は最小限に抑えられた。

その数日後本人と話したが、あの時死ねたらよかったのにと言っていた。側から見たら高校3年生の時点でかなり順調に来ているように見えていたが、当の本人は大好きだった日本を半ば強制的に離れて、シアトルで頑張り続けてきたことに疲弊してしまったらしい。大学も確実に受かりたいからと学校の成績で満点をキープするだけでなく、バイオリンのレッスンに州代表の練習会、ボランティア活動に、クラブと休みがないほど頑張り続けていた。そんな中ふとここまで頑張らなきゃいけない理由がわからなくなったのだという。

兄としては同情しかない。親が強制したわけでもなく、本人が好んでのことだと思っていたが、辞めるという選択肢に気づけていなかっただけなのだ。僕はそれを聞き、ボランティアやクラブは辞めるように言っておいた。そして大学もアメリカにこだわらずに、日本や他の国も大学もあるから考えすぎないように伝えておいた。僕から見た感じ、妹にはアメリカの生活は合っていないように思う。日本での電車通学などに常に憧れていたし、それがここまで叶わなかったのは可哀想だ。僕とは逆で慶應や日本の他大に入った方が、妹は楽しい人生を送れるのかもしれない。

高校生の今は自由が少なく選択肢がないように思っているのかもしれないが、若いうちに苦労したことで、これからの選択肢は増えたのは確かだ。だが、それに気づくには時間がかかるかもしれない。もしかすると、一生親がシアトルに連れてきた決断を恨むかもしれない。人生は何事も選択の連続だ。その選択にはメリット・デメリットの両方が不可避でついてくる。自分で選んだ選択であれば、ある程度開き直れることもあるだろう。しかし、親などに強制された選択で合わないことがあれば、他人のせいにもしたくなるし、人生を投げ出したくもなるだろう。

人生は本当に難しい。答えもなければ何が良い人生何かもわからない。だがただ一つ僕が確信していることは、逃げることも大事だということだ。自分を追い込んで苦しめるのは間違っている。みんな。自分もそうだし、自分にとって大切な人のことは常に気をかけるようにしよう。人間いつ何が原因で壊れるかわからないのだから。壊れてからでは、亡くなってからではもう遅いのだから。