JJ

JJの気まぐれブログ

人間関係は本当に、本当に、難しい

~オーストラリアでの友達作り~

 

 現在825日金曜日夜9時過ぎ。オーストラリアでの一人旅13日目で、明日14日目の夜、ニュージーランドクライストチャーチに向かう。ニュージーランドでは日本からの友達と合流し、基本二人旅になるため、二週間に渡る一人での時間も一旦おしまいに。旅の振り返りは次の記事に回すとして、ここでは、心のしこりを解消するべく、人間関係をテーマに書いていこうと思う。

 オーストラリアではメルボルンシドニー、ブリズベンという三大都市を回ったが、友達もたくさんできた。ツアーやミートアップ、そして日常のさりげないところでの会話を介して、合計30人以上と連絡先を交換した。もちろん一度会って連絡先を交換した程度では友達とは呼べないかもしれないが、その中で深く仲良くなりたい人がいれば、住んでる場所が離れていてもいくらでも仲良くなれるのが、このSNS全盛期のメリットの一つだろう。

 ツアーは大半はカップルや家族で来るため、一人旅勢はすぐ仲良くなれるし、その他の人たちにも気軽に話しかけてもらえる。メルボルンでのツアーでは、参加者半分以上と連絡先を交換するに至った。そして、ミートアップは語学交換系のものを選んだこともあり、友達を作るという意味では僕が最も得意とするフィールドのため、時間の許す限りにはなるが、数多くの人と知り合えた。

 オーストラリアにはワーキングホリデービザで来ている人がとても多く、中でも韓国人と日本人はミートアップにたくさん来ていた。韓国語・日本語・英語のトリリンガルで、現在アメリカ在住というオーストラリアでは珍しい経歴に、初対面と話すのが大得意の僕にとってはこれ以上ない環境だったわけだ。

 

~こじれた関係~

 

 まあそんなわけで知り合いは増えたのだが、そもそもなぜ一人旅に来て友達作りに時間を費やしたのか? もちろん一人で旅行は寂しく感じる時もあるが、メインの理由は、心を紛らわせるため。最近出会った人は知る由もないだろうが、僕は一人旅に来る直前、かなり病んでいたし悩んでいた。過去の記事をいくつか読めばもう少し具体的にわかるかもだが、今一番大きなしこりとして心に残っているのは、人間関係のこじれ。

 同僚一人、そしてプライベートで仲の良かった数人の友達を、自分の精神不安定さ故に失ってしまった。連絡を取ることも一旦やめて、時間を置いて、一人旅に来て色々考えを整理して、再度関係の修復を試みたものの、結果は惨敗。相手の気持ちは詳しくはわからないが、返信の内容から、もう以前のような仲の良い関係に戻るのは無理かなと感じた。

 一体どうこじれたのかを詳しく書くつもりはないが、簡単に言うと、とても面倒な振り回し方をしてしまった。前日までフレンドリーだったのに、次の日には急に長文メッセージでシリアスな話しをしたり、その次の日にはグループチャットを抜けたりなど。そしてその人に関することをストーリーやThreadsで書いたりなど、今考えると後悔しかないことをやってしまったのは事実。一切悪気はなかったし、これが起こった理由はその人のことが嫌いだったのではなくその真逆。好きすぎて全てが空回りしたわけだ。そして、その空回りしている状態で接した人との関係もこじれてしまったのだ。

 

~こじれた関係を修復するより、新しい友達を作る方が楽~

 

 人間関係というものは、もしかすると人生において一番難しいことなのかもしれない。双方の感情がぶつかり合うものだし、お互いの感情も時々によって変わる。クラスが一緒で学生の時はすごく仲良かった人でも、数ヶ月経つと疎遠になる人もいれば、逆にほとんど関わりがなかったのに、数年後親友になんてこともあるものだ。ここまで答えがなく、移り変わりが激しいものもあまりないような気がする。

 人生を振り返ると、一度何か亀裂が入ってしまった人と、また再度仲良くなった記憶はあまりないような気がする。元カノなんかが良い例だが、崩れた信頼や生まれた疑念を解消するには、お互いがまた歩み寄りたいという強い意志が必要になる。だが、大抵の人は、そんなことにエネルギーを使わずに、その人とは疎遠になる。考えてみれば当たり前なことではある。家族や何か社会的な理由で繋がっていない限りは、わざわざ一度関係が崩れた人と絡むのは疲れるだけだから。

 これに当てはめると、僕が今回失ってしまった友達も、高い確率で疎遠になるのだと思う。自分はまた歩み寄ってやり直したい気持ちがあっても、相手にその気がなければ不可能なわけで、相手をその気にさせるほど自分に価値はない、または与えた傷が大きすぎたのだと思う。その中の一人は、自分にとってはすごく特別な人ではあったが、自分のせいで気まずくなってしまった以上、連絡を取らないで、自然に関係を消滅させるのが最善な気がしている。

 このパラグラフのタイトルにもあるが、一度こじれた関係を修復するよりも、そうしてしまった後悔からの学びを活かして、フレッシュな状態でまた新しい友達を作る方が何倍も楽だし、コスパは良い。話しが少し長くなったが、そういう経緯で、一人で散歩しながら後悔の念で自暴自棄に走るより、新しい人に出会ってリフレッシュしようと思ったわけだ。おかげで普段以上のコミュ力を発揮できて、オーストラリアで出会った人にはかなりフレンドリーな印象を持ってもらえた。

 

~なぜ友達が少ないのか~

 

 最近仲良くなった人には信じてもらえないかもしれないが、僕は本当に友達が少ない。こんなにフレンドリーなのに?? と思う人は多分僕の本性を知らないだけだ。まずは友達の定義を明確にしておこう。僕の中での友達は、何段階かある。レベルAは、いつでも気軽に連絡が取れて、遊びに誘える人たち。レベルBは、連絡は取れるが、特別な理由がない限りは遊ばない人たち。レベルCは、その他全員の知り合いだ。わかりやすくインスタで例えると、Aはいつでもメッセージを送れる人。Bはたまにストーリーにいいねをつけれるくらい。Cは繋がってはいるけど、反応は一切しあわない人たち。

 具体的に数えてはいないが、この定義に当てはめると、僕はレベルAの友達は1020人の感覚だ。もちろん、連絡を取れる人はもっといるような気もするが、何か理由がないと躊躇してしまうため、Bに分類される。僕の友達が少ないというのはレベルAの友達のことで、しんどい時に頼れる友達がほとんどいないのが事実。フレンドリーではあるものの、深い関係に至るまでのプロセスを経ないことが多いため、レベルBCの知り合いばかり増えてしまう。この分類の難しいところは、双方が努力しない限りはランクが落ち続けてしまうということ。例えば高校時代の同級生なんて、レベルAだった人も、78年が経った今なんて大半がBCなものだ。だが、一度Aだった人はほんの些細な連絡で、またそのステータスに戻れるわけで、結局は自分次第ではあるのだが。

 このパラグラフの本題に入るが、僕はフレンドリーで社交的な割に、遊びに行ける友達や、頻繁に連絡を取る友達が少ない。この旅行も一人でしているわけだし、特にシアトルにいる時は孤独の時間が大半だ。オーストラリアで発揮しているフレンドリーさを日頃から出せば、たくさんの友達(レベルB、レベルC)はできるだろうし、もっと仲良くなりたい人には時間を投資して、レベルAに持っていくこともできるだろう。だが、その努力をしていない。なぜか? それは住んでいる場所に知り合いを増やしすぎてもデメリットの方が多そうだから。全員と知り合いになったところで、レベルAになれる友達はほんの一握り。それが周りから知られすぎると、噂はされるだろうし、プライベートがなくなりそうだから怖いのだ。

 また、割とメンヘラ気質で(治したいとは常々思っているが)、定期的に病み気が来るため、被害を最小限にするために、知り合いを増やすことにそこまで尽力していない節もある。

 

~これからどう人間関係を築いていきたいか~

 

 社会人になると出会いがないなんてよく言われるものだが、僕は9月からは仕事をしながら、MBA(大学院)のプログラムを履修し始める。既に半分くらいの人とは顔合わせをしたが、同期100人ほどと、先輩方、OB陣、そして同じ管轄内の別のプログラム所属の人たちなどを含めると、たくさんの人に出会うことになる。新たに出会った人の知り合いなどを含めると、これから3年で1000人を超える人と出会っても不思議ではないくらい、自分の裁量次第でいくらでもコネクションを広げられる環境に身を置くわけだ。それも、ほぼ全員が年上で、キャリアも自分より進んでいる人だらけの、大人の世界。今までのカジュアルな友達関係とは違い、一つの出会いで自分の人生が変わることもあるわけで、より人間関係が大事になってくる。直近のものも含めて、過去数多くの人間関係絡みの後悔があるわけだが、そこから何を学んだか。それをどう活かしていきたいを明記しておきたい。

 

1、パートナーの有無を気にしない・興味を持たない(努力をする)

 

 僕の人間関係のミスは大体が恋愛感情が絡んだ時だ。それによって友達・コネクションを失うことはもう辞めにしたい。好きになる時などコントロールできるものでもないが、相手がシングルだと知ってから好きという感情は生まれるので、そこを探らないようにしたい。女性、特に同世代の人たちと関わる時は、相手が結婚している体で接する。そして、もし遊びに誘われたり、連絡先を交換しようと言われても、間違っても「あれ? この人僕に興味があるのかな?」なんて思わない。

 

2、精神不安定な時は、長年ステータスをキープしているレベルAの友達にだけ連絡

 

 友達は少ないものの、なんでも相談できる友達は何人かいる。その人たちは僕のブログを過去全部読んでくれているし、付き合いも長く、どんな不安定な姿を見せてもずっと友達でいられる自信と信頼がある。メンタルが病んでいる時はそういう人たちにのみ、個人チャットで相談するようにしたい。インスタのストーリーやブログなど、誰でも読めるプラットフォームに載せることは、自分の首をさらに絞めることになるだけだから。

 

3、テキストは短く簡潔に、気持ちが昂っている時は一旦携帯を放置

 

 僕はとても感情的なタイプで、長文テキストも送ってしまいがちだ。だが、送ってそれで功を奏した記憶が全くない。大体は、それが積み重なり亀裂となる。長文テキストなんて送るメリットがない。同僚や友達に怒りや憎しみがある時は、それをストレートに伝えるのではなく、一旦落ち着くまで時間を置いてから、どうしても必要であれば連絡すればいい。相手に自分の気持ちを伝えることも大事ではあるが、よく考えたら自分の存在なんて、相手の人生の0.1%にも満たない小さな存在なわけだ。何か強い言葉を伝えたい時は、大半のケースが自分の鬱憤を晴らしたいという欲望に過ぎない。だが、その欲望は、相手に伝えたからと言って満たされるものでもない。伝えても伝えなくても、時間が解決するものだと思う。それなら伝えて関係を悪くするより、一旦抑えて、時間が解決するまで相手に触れない方が双方にとって得だ。落ち着いて相手のことが嫌なら、自然に距離を置けば良いだけだから。

 

〜結論〜

 

 あげれば他にも出てくるが、メインはこんな感じだ。亀裂を作らないためには、感情的にならないことが一番大切な気がする。僕のことだから、また近々、「MBAの同級生に恋した話し」とか、「講演をしていた35歳のキャリアウーマンに激ボレした話し」なんて言ったブログが上がっているかもしれないが笑

 冗談はさておき、新生活が始まるこのタイミングで、過去の過ちを振り返り、新たなルールを自分に課していきたい。それは人間関係だけでなく、仕事との向き合い方や、考え方なども。本当はキャリアのことや、今回旅行で再確認できた自分の目標などについても書きたかったが、人間関係のテーマで随分長く書いてしまったため今回はここら辺で。時刻は深夜手前で旅行14日目、826日土曜日に差しかかろうとしている。明日空港で旅記や、ここで書きそびれた話しを書くかもだし、それはまた後日になるかもしれない。

 新しい友達が30人できても、大事な友達を1人失った心の傷は簡単には癒えないものだ。明日からの自分よ、二度とこんなミスをしないように、出会いは大切に、感情的になりすぎないように! 悔しい、悲しい、寂しい。けど、これも人生だ。