JJ

JJの気まぐれブログ

今年こそ「出会いの春夏・別れの冬」ルーティン脱却へ

今日は317日金曜日。仕事のスケジュール的に毎週木金土が休みということもあり、平日ながら自分にとっては休日だ。晴れの日が増え、Daylight Saving Timeの開始とともに日暮れも遅くなったため、ムードは上々。年末年始に苦しんだ鬱のような症状は一体なんだったのだろう、ともうすでに他人事だ。シアトルに移り住んで丸5年が経とうとしているが、冬にやってくる季節性うつは年々悪化する一方だ。11月から2月の4ヶ月間は常に外が暗く、半分以上は雨で、天気も自分のムードも常にどんよりしている。今回のテーマはズバリ恋愛だが、これもまた冬の絶不調期の影響をもろに受けてきた。

〜前置き〜

あまり過去の恋愛を事細かに他人とシェアする人は、少なくとも自分の知り合いにはいない。だが僕は特に気にしないため、ここに過去の恋愛の時系列をざっとまとめてみることにする。

シアトルに移ってきたのは20185月のこと。20174月から1年間通っていた慶應を辞めて、2018年の7月から近くのコミュニティ・カレッジに1年通った。日本では19歳まで暮らしたが、一度も彼女ができたことはなかった。人生初彼女ができたのは、大学2年の終わりが近づいた20196月のこと。当時日本から留学に来ていた可愛い子と付き合った。その年9月からは念願のワシントン大学編入し、恋愛面でも楽しい思い出がたくさんできたが、彼女が12月に帰国した後、20201月に別れた。唯一過去のブログでもほとんど触れていない人だが、既に結婚して子供もいるようなので、このまま幸せな人生を送ってほしいと陰ながら応援している。

この年3月からはコロナで大学の授業はオンラインになった。家で過ごす毎日は快適だったが、変化を求め夏にスーパーでバイトを始めた。そこで知り合った同じ大学のアメリカ人の後輩と付き合い始めたのは20209月のこと。価値観の違いなどはありながらもうまく行っていたが、202111月初めに別れた。今考えると別れた原因の大半は自分の未熟さにあったように思う。2021年は、6月に大学を卒業し社会人生活が始まった1年だったこともあり、自分自身の人生観・価値観がブレブレだったことも別れに繋がった。次に出会いがあったのは20226月のこと。社会人は出会いがあまりないため、マッチングアプリを使ってみると上手く行き8月にインドネシア人の美女と付き合い始めた。メインの仕事に、新聞の執筆・編集業とレストランのサーバーの副業2つと、実に3つの仕事をこなしながら、彼女に週45のペースで会っていた。3ヶ月ほど毎日外出する日が続いていたが、夏のハイテンションモードは10月で息切れし、結局11月末に別れた。そしてこの別れに伴ってきたものは人生最大の病み期。12月から1月中旬にかけての67週間は、人生で一番苦しんだ期間だった。色んな人の支えのお陰でなんとかまた普通の状態の自分に戻り、前述の通り3月からはかなり好調だ。

さて、こう振り返ると、過去3回の恋愛とも付き合い始めは69月という夏の時期、そして別れは全て111月という冬の時期だ。もちろん季節が全てではないが、自分はかなり影響を受けやすいのかなと思う。そもそも自分のエネルギー量がモチベーションに左右されやすいタイプであるため、調子が良い時は一日中仕事をしても外出をしても疲れないが、調子が悪いと何もしなくても疲れる。そのため、夏と冬とでは自分でもびっくりするくらい別人になっているような気がする。唯一1年以上続いた2人目の彼女とも、別れはしなかったものの、付き合って数ヶ月経った121月には、いくつかのことでぶつかり合い別れかけた。もちろん自分に責任があるのも確かだが、それほどにシアトルの夏と冬の天候の違いは大きい。天候は自分では変えられないため、来年からはどこか別のところで暮らしてみようかなとも考えている。

〜本題〜

過去の振り返りはこの辺にして本題に入ろう。皆さんは今まで「直感」という感覚が正しかった経験がどれだけあるだろうか。なかなか答えを考えるのが難しい質問だとは思うが、僕は過去にぼんやり考えていた将来像が実際に起こった経験が一定数あるように思う。例えば高校の時に、大学院までにはアメリカに来ているだろうなという直感通りに、数年後には既にシアトルに移り住んでいたり。大学4年の就活時に、なんとなく1社目はローカルで、1年後に大企業に転職している気がするなと考えた通りになったりなどだ。

恋愛においての自分の直感は、35人目に付き合った人と長く続きそうということだ。これは彼女ができる前から持っていた直感で、もちろん彼女がいる時はずっと続くように努力はしていたものの、なんだかんだで3人目までは残念な結果となった。ちなみに、復縁をする人もかなりいるようだが、僕は自分のタイプ的に可能性はゼロと断言できる。実際元カノと別れた後に会ったこともなければ、連絡も取っていない。当初は友達でも良いかなと思っていたものの、経験を積み、距離を置くのがお互いにとってのリスペクトなのかなとも思うようになった。

これまで結婚などについてあまり真剣に考えたこともなかったが、今月で自分も24歳になった。会社の同僚の20代後半組はほぼ結婚・婚約済みか、数年以上付き合っているパートナーがいる。もちろんシングル勢もいるが、割合にすると23割といったところだ。30代以上に関しては大体が結婚済み&子持ちで、さすがに少しはプレッシャーを感じる。僕が働いている会社は製薬業界ではかなりの大企業で、好待遇で福利厚生も充実しているため、結婚している人が多いのもあるのかもしれない。新聞の仕事の方は、自分以外のメンバー6人全て3050代の日本人女性で、結婚済み&1人を除き全て子持ちだ。それに加え、自分の親はもちろん、叔父さん叔母さんなども、皆結婚して子供がいるからこそ知っているわけだ。人生において結婚が持つ意味はなんなのだろうか?今回は24歳になったばかりのシングルの立場から考察してみたい。

まず、これは自分の中ではほぼ確実ではあるが、結婚はさておき、パートナーがいる・いないでは、明らかにいた方が楽しいとは思う。自分の経験上でもそうであったし、他人を見てもそう感じることが多い。シングルの人で一人で幸せと言っている人をたまに見かけるが、その言葉の強さが強ければ強いほど、そして自身の年齢が高ければ高いほど、どこか哀愁を感じる。もちろん偏見かもしれないが、37歳シングルで「私はシングルで幸せ」と力強く言っていたあるお姉さんの、「老後は確かに心配だよ」という哀愁染みた一言が今でも忘れられない。大学時代に何かの授業で見たが、家族との繋がりが多い人ほど長生きするらしい。それはそうだろう。若い時こそ周りもシングルの人がいるため、一緒に遊んだりなどできるが、結婚し子供を育てる年代になってくるとそうもいかないだろう。ただ、時代も変わってきているため、一概にそうとも言えないのかもしれないが。

自分は今シングルであることにそこまで悲観はしていない。時間はできるし、自分の将来を考える時も、他人を意識しないで決断を下せるからだ。ただ、この先どこかのタイミングでパートナーが欲しいなとは思う。一緒に旅行してみたいし、美味しいレストランにデートも行きたい。友達や家族ともできることではあるが、大きな違いは自分の存在が相手にとっていかに大事かと、どれだけコードが合うかだ。友達同士、相手を大事には思っていても、パートナーという特別な関係性には敵わないように思う。自分が誰かの特別な存在であることを実感できると、個人的には生きる気力が何倍にも出てくる。また、両親や兄妹などは特別な存在ではあっても、自分で選んだ関係性ではないため、コードが凄く合うということは珍しいことだろう。その両方を持ったパートナーとは、お互いの人生を照らし合える存在なのだと思う。

合わない人や、相手を傷つけてしまう人とは、いくら良い点がたくさんあっても別れた方が良いということもあるだろう。常に正しい決断を下せる人間なんていない。失敗はするものだし、恋愛においては選択ミスもあることだろう。だが、周りを見ると、本当にバランスの良さそうなカップルが多々いることも確かだ。彼ら彼女らがどんなプロセスを通してお互いを見つけられたか、そしてそのバランスをどう維持しているかは当人達にしかわからない。一見完璧なカップルに見えても、中身は崩壊していることもあるため、一概に分析することもできない。自分で探っていくしかないことなのだろう。

結婚がテーマでありながら、パートナーについてしか語っていないが、今はやはり結婚についてはあまり考えられない。まだ自分の人生がどうなるかもよくわからないのに、結婚して子供を育てるなんて想像もつかないからだ。ただ、もしこの先自分が心の底から愛する人とパートナーになれたとして、その人が結婚や子供に興味があったら、そこから考えることなのだと思う。パートナーがいる人は羨ましいとは思うが、結婚しているというステータスや、子供がいるという事実にはそこまで憧れはない。もし自分にパートナーとの関係性の権限が全てあったとしたら、自分の理想は、パートナーとの時間を存分に楽しみたい派だ。まだ24歳だからそう言えるのかもしれないが、結婚はともかく、子供ができたら時間やお金など大半を子供にかけることになるため、それより先に二人で旅行をしたりする方が楽しそうだからだ。そのフェーズを数年かけて終えた人は、自然と結婚や子供について考えたりもするのだろう。それか、子供が好きな人は、若く体力があるうちに子育てをしときたいと思うのだろう。

〜新たな出会い〜

最後に自分の現在について書いて終わろうと思う。僕は感情の動きがかなり早い方で、人を好きになる時も大半は直感だ。出会った時や話した時に「ハッ」とする。このハッという感覚は、必ずしも恋愛感情ではなく、他人への興味であるため男女問わない。例えば高校2年時に留学から帰国した時、初恋の人にハッとした同じ感覚を、藤原君という新たなクラスメイトにも持った。とにかくこの人のことをもっと知りたいという感情だ。その藤原君とは今でも親友で、時たま電話もしている。彼の魅力は、自分にない凄さを持っていること。数学の問題の解き方を見た時に、自分の思考回路に存在しない別路線が見え、この人面白いとなった。というように、自分は何か自分にないものを持っている人に興味を持つことが多い。ただだからと言って能力者全員に興味があるわけでもなく、その能力を持っていながら、人間味や優しさ・謙虚さを兼ね備えている人に惚れる。

恋愛でもハッとする感覚は似ている。大学時代は容姿がタイプで、話していて楽しい人に、好きという感情が湧いていた気がする。ただ感情がかなり突発的であるため、何回か会ってやっぱり違ったなとなったり、友達の関係性が合っていたとなったり、自分は恋愛的に好きでも相手が自分に興味がないから引いたりなど、その後のパターンは多岐に渡る。昨年末彼女と別れてからは、その感覚がなくなっていたというか狂っていたため、一週間後には消えているようなハッの繰り返しだった。だが、3月に入り、久しぶりにしっかりとした感覚を持った。

その感覚を持った相手がこれを読む可能性がゼロではないため、その人について詳しいことは一切書くつもりはないが、とにかく魅力に溢れた人だ。もっとその人のことを知りたいし、遊びにも行きたいが、距離感が難しい。今回の感情は、過去に類を見ないレベルの大きさであるため、アプローチをしすぎて相手に距離を置かれるのが怖い。ここまでの大きさである理由は、これまた直感に繋がる部分で、ここ数年思い描いていたパートナーの理想像とその人がびっくりするほどマッチしているからだ。こう書くと恋愛感情と思われるかもしれないが、自分の中ではそうでもない。付き合ってカップルっぽいことがしたいというよりかは、その人の特別な存在になりたいという感情だ。

その人は自分以上のポテンシャルを持っていて、人としての完成度も自分とは比べ物にならない。勝手なことはわかっているが、全力でサポートをしたいし、自分もそんな人の近くにいたら刺激になり、自分のポテンシャルをもっと発揮できる気がする。そう思わせてくれる人にはなかなか出会ったことがない。これが恋愛感情といえばそうなのだろう。昨日今日と休日が続いているが、こんなに誰かのことで頭がいっぱいなのは久しぶりだ。一体自分のこの感情をどうコントロールしていくのが正しいのだろう。器用なタイプではないため、相手が自分のことをどう思っているかも全くもってわからない。一般論的なアドバイスでは、ゆっくり時間をかけてまずは友達として仲良くなるのが鉄板だろう。自分もそれには賛成なのだが、ゆっくりが苦手なタイプなのでフライングしないかが心配だ。僕の人生のモットーは他人に迷惑をかけないようにすることだ。できれば相手の感情を把握してそれに合わせて行きたいが、この先どんな関係性になっても、相手に迷惑だけはかけないように弁えようと思う。では、今回はこんなところで。