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JJの気まぐれブログ

ルールを破ることは悪なのか?

今日は妹の17歳の誕生日だ。社会人の兄ということでここは良いプレゼントを、とも思ったが、なんせ僕は物の価値がそこまでわからないので諦めた。妹が大学までに1万ドルを貯めたがっていたのは知っていたため、お年玉や毎月のお小遣いと同じように、妹の口座に誕生日ボーナスとして1700ドルを振り込んだ。これにて僕がこれまであげた分と、自分でバイトした分で1万ドルに到達したらしい。17歳に振り込む額としては多いような気もするが、7個下の妹は何歳になっても可愛いものだ。自分の経験上、お金に余裕があると、心にも余裕ができる。来年大学生になる妹には、あまりお金を気にせず、学生生活を存分に楽しんでもらいたいのが兄としての願いだ。

清々しい気持ちで送金を終え1階に降りると母に呼ばれた。聞くと、今朝発表だった妹の数学の期末テストの結果が0点だったらしい。オンラインでの試験でカンニングしたのが先生にバレたのだという。苦戦した問題を解いている最中に、別タブで宿題を見たのが録画されていたんだとか。ちなみに妹は僕より優秀なため、成績はこれまでほぼ全て4.0だ。今回のクラスでも期末が0点ながら、学期の成績は3.8で留まったというのだから驚きではある。なんでそんなことしたの?と聞いたら、満点を取りたくてと言っていた。とりあえず先生には謝罪のメールを入れて、これからは絶対カンニングはしないようにと伝えておいたが、これはなかなか面白いトピックだ。ということで本題に入ろう。

~ルールを守ることが全てではない~

既に大学を卒業して2年が経った僕からしたら、カンニングはそもそもトライする価値がないことだ。試験の結果や成績なんて社会に出たらあまり関係ないし、個人的には試験は、正々堂々戦って負けることに意味があるとすら思っている。だが、学生時代の自分を思い出すと、確かにカンニングをしたいなと思ったことはあるし、実際にしてしまったこともある。これは大学2年次のことだが、生物のオンラインの小テストで、単語の定義を答えよという問題で全くわからず、残り10秒でウィキペディアをコピペしてそのまま提出。成績にそこまで影響のない小テストなのだが、満点の成績をキープしたいというプライドにより不正をしてしまった。自分で言うのもあれだが、僕は要領が良いというか、ズル賢いタイプの人間だ。このコピペをした10分後にはウィキペディアのアカウントを作り、コピペした部分のウィキペディア内の表現を大幅に変更させることで危機を乗り切った。当時は小テストが返ってくるまで何度もウィキペディアを確認していたが、今となってはバカらしい笑

それ以外はカンニングらしきことは試みたこともないが、カンニング以外にも人生魔が刺すことはある。妹だからと擁護するわけではないが、今回のカンニングに関してはまあ大したことではないと考えている。誰かを傷つけたわけではないし、本人はこれでもかと反省しているし、これからはこんなハイリスクノーリターンなことはしないだろう。今回はまだ衝撃度の低い内容だったが、これが例えば飲酒運転で人を轢いてしまった、だったり、不倫をして多額の賠償金が発生、などの場合はどうなるだろう。

飲酒運転もドラッグも、浮気・不倫も個人的にはカンニングと同じで魔が刺す部類の行動だ。これらだけでなく、法律違反のことは大抵がこの部類に入るような気もするが、きっかけは全てに共通しているような気がする。ダメだとは思っていても、やってみたくなる。一回くらいバレないでしょ、がうまくいくと常習犯になってしまう。自分含め、僕が今まで会ってきた人間の大半は、何かしらのルールを破ったことがある人たちだ。大学での未成年飲酒や、アメリカにおける飲酒運転などは逆に完璧に守っている人が少数派なくらいだ。時々見せしめのように、取り締まられる人がいるが、9割以上の人はルールを破っていながらまだドボンをしていないだけだ。

バレていないとしてもルールを破っている人は全て悪だと信じる人もいる。そこまで強い信条ではなくとも、自分は周りに流されずにルールを厳格に守るという人も一定数いることだろう。その人たちは優良市民ではあるが、生真面目であることも多い。残念なことに、この世界は必ずしも真面目な人が報われる世界ではない。仕事でも生真面目な人は、ミスをした時は正直に上司に言うし、勤務時間中も一生懸命働くことだろう。そして心身に疲れが溜まり、後に壊れることが多い。だが要領の良い人は、大抵のミスはうまく隠すし、仕事はこなしながらそこまでストレスが溜まらないようにコントロールしている。両者とも給料は一緒かもしれないが、昇進や会社でうまくやっていくという観点では、後者の方が優位に立つ気がする。

生真面目なのが悪いというつもりは一切ないのだが、この公平そうで不公平な世界でうまく生きていくためには、バランスが大事なような気がしている。自分の信念を持つことは大事なことだし、他人に流されないことも自分を守ることに繋がる。だがその信念を他人に求めると苦労するのは自分だ。「自分はこんなに真面目に働いているのに、なんであんなサボっているやつが自分と給料一緒なんだ」とか、「こっちはこんなに気使ってサービスしたのに、全くお礼がないのはおかしいだろ」など怒りの感情を持っても誰も得しないのだ。

そう。他人に興味を持たないことが自身の幸せに繋がるような気がしている。僕は倫理観が少しズレているかもしれないが、ルールを破る人に対してそこまで嫌悪の気持ちを抱かなくなってきた。他人を直接傷つける系の犯罪にはもちろん抵抗はあるが、それ以外に関してはルールもルールだしと思ってしまう節がある。

~締め~

仕事ではより多くのことを任されるようになり忙しくなってきてはいるが、自分の要領の良さには自分でも感心することが多い。普段を4割程度のエネルギーで乗り切っているので、やることが多い時に2倍以上の仕事をこなすことができるのだ。その差が良いアピールになっているようで、マネージャー陣からの評価が上がってきているのを実感している。無論これが効果的に使えるのは、そもそも周りのマックスエネルギー量が僕のマックスの6割程度ということがあるが。この仕事体力に関しては昔から意識していることだが、通常時にエネルギーをセーブし、全くストレスを溜めずに済むためおすすめだ。

ちなみにだが、個人的にはアメリカでサラリーマンをする分には、要領が良い人の方が適していると思うため、自分はそうしている。逆に生真面目な人の方が輝ける場所は研究やアカデミックの世界だと思う。サラリーマンに関しては言い方は悪いが、「いかにストレスを溜めずに仕事している風を装い、残りの自由時間で人生を満喫するか」だと思っている。もちろんこれから価値観が変わるかもしれないし、正直この価値観を変えたいなとも思うが果たしてどうなることやら。

P.S.

前回ハッとなった人がいると書いたが、残念ながら儚く散りそうだ。相手の反応がよく分からずアプローチを間違えてしまったような気がする。こればかりは相手がいることなので、自分ではどうしようもない。今年は毎週の3連休に加え、有給が56週間分ほどあるのだが、どう使おうかプランが立たない。理想はパートナーと1ヶ月ほど旅行をしたいのだが肝心のパートナーがいない。一人旅や友達と旅行に行くのもありなのだが、そもそも行きたいところがないというつまらない人間だ。お金と時間があってもあまり幸せを感じられないのはなんと残念なことだろう。各地を転々としながらマラソンのレースやポーカーのトーナメントに出てみるのは面白そうなので、やってみるかもしれない。全てが安定していてストレスがないことは嬉しいのだが、そろそろ刺激が欲しい時期だ。自分の今年・来年が一体どうなっていくのか、自分でも予想がつかない。