JJ

JJの気まぐれブログ

失恋&MBA受験完結編

現在712日水曜日夜11時。昨日今日の二日間は、人生でも一番を争うレベルで感情の動きが激しい二日間だった。

 

~愛が止まらなかった火曜午後~

 

11日火曜日、起きたのは朝2時のことだった。この日は朝6時から11時まで仕事、そこから一時帰宅して12時からは友達とオールスターに行くスケジュール。「友達」というと少々語弊があるかもしれない。あまり個人情報は書きたくないため、仮名でジェシカちゃんということにしよう。ジェシカちゃんは最近僕が激惚れしていた女の子。同学年の子で、日本で近くの中高一貫校に通っていたこともあり、初めて会った時からかなりの親近感があった。見た目も声もタイプで、話してみると将来のプランもしっかりしていて、出会って間もないながら惚れてしまった。

そんな大好きな子と一緒にオールスターという大イベントに行けるのが楽しみすぎて、前述の通り朝2時という早さで起きたのだ。さて、仕事を終え彼女を迎えに行ったのは12時。ランチは雰囲気の良いイタリアンレストランで済ませた。レストランではキャリアの話しを中心に、少し深い部分までお互いのことを知ることができた。球場に着いたのは14時半頃。球場内を散歩して試合前の高揚感を楽しんだ。17時前にセレモニーが始まり、そこからは席から離れることなく終始試合を満喫。その間会話はしていたが、僕は完全に恋愛モードだった。試合後は夕陽が沈む時間帯だったこともあり、海沿いを一緒に散歩。この辺りから、楽しかったオールスターモードから一転、シリアスな恋愛論が始まることとなった。

 

~失恋~

 

ジェシカちゃんはこの時点で僕が彼女のことを恋愛的な意味で好きなことはわかっていたと思う。野球を観ながら何度もジェシカちゃん可愛いと言っていたし、誰かに恋した時の僕はありえないほどわかりやすい。お互いに直接切り出すわけではないものの、実際の状況を踏まえた恋愛談義をした。45分ほど散歩して車に戻り、普通なら彼女の家に送るところだが、僕はこのままでは終われないと、ケリー・パークという夜景が綺麗な公園に向かった。そこで今まで避けてきた直接的な話しに入ることに。

僕はもうバレていることはわかっていたため、ジェシカちゃんのことが好きだと伝えた。彼女の答えはノーだった。その答えが来るだろうということは僕もどこかでわかっていたが、一度決着をつけておきたかったため、告白したことに対する後悔はない。どれくらい公園にいたかは覚えていないが、帰りの運転中と彼女の家の前で様々な話しをした。

 

~人生観・タイミング~

 

彼女が僕をフった理由は、自分なりの解釈では、タイミングが悪かったから。今年の2月にアメリカに来たばかりで、9月からは学校も始まるということで、まだ将来に対する不安が多いため恋愛にコミットできない。というのが表向きの一番の理由だ。それ以外にも様々なことを言っていたが、僕とは友達として良い関係をキープしたいとのこと。そして会ったばかりなのに好きになるのが早すぎない?と言われたのも自分の中では印象に残った。まあもしかすると、彼女は気を遣って、僕を傷つけない理由を選んでくれていたのかもしれない。ただ結果は変わらないし、僕としてはアプローチという意味では一切後悔がない。

 

~恋愛の仕方を変えることに決めた~

 

僕はもしかするとというか多分確実に、恋愛体質なのだと思う。他人に比べて、人を好きになる頻度が多い気がするし、好きになる速度がえげつなく速い。大体恋に落ちる時は、会って2回目までのことばかりだ。逆に2回会ってあまり興味がなければ、その後恋愛感情が湧いた試しがない。そのため、友達で始めて、その後恋愛関係になるという体験を一度もしたことがない。今回ジェシカちゃんのことを好きになった時も、仲良い友達には、もっと時間をかけてその子のことを判断するようにと忠告されていた。だが、結果は、いつものようにすぐに好きという気持ちを伝えて沈没。

そして今回は相手のことを好きすぎたこともあって、最初からかなり下手に回っていた。全てを相手に合わせる覚悟で、とにかく相手が好きそうなことをしてあげたい、チケット代も食事代も全部出すという心持ちで。もちろん、そういう扱いを好む女子もいることだろう。でもどうだろう。正直自分でも途中から何をしているのかよくわからなくなっていた。好きではあるが、ここまで下手に回ってお願いするかのような形で付き合ってほしいと頼むのは恋愛なのだろうか? 自分に自信がなさすぎるのではないかと。結局自分を消して全てを相手に合わせにいっても大失敗したわけだ。どうせ失敗するなら、もっと自信を持った本来の自分で行ってもではないか、と次に向けて思う。

 

~失恋に苦しんだ水曜朝~

 

フラれた翌朝はそりゃしんどかった。大好きだった相手からフラれて良いムードなわけがない。だが、フラれたこともそうだが、また以前陥った鬱状態の時のように、全てから逃げ出したいという欲求に襲われた。誰のメッセージも見たくない。外にも出たくない。この日の夜に大学院受験の最終グループ面接が控えていたが、朝起きた時は行くのを辞めようかと思うレベルだった。自分の弱さに心が潰されそうになりながら時間だけが過ぎていく。面接に向けて準備しなければならないスピーチを一切作れずに、出発残り1時間というところでようやくスイッチが入り急ピッチで準備した。会場までの行きの運転中に作ったスピーチを丸暗記した。

 

~人生が変わったMBA受験~

 

会場は大学時代に通っていたワシントン大学シアトルキャンパス。この日はMBA受験の最終面接ということで、ビジネススクールの別館に向かった。スタートは16時半で、着いたのは15分前。正直やる気はそこまでなかった。失恋して気分が落ちていたこともあったし、そもそもMBAに出願した理由も半分以上はお父さんの影響だったため、書類の準備段階からそこまで力を入れてこなかった。

もちろん他の人は誰も知らないため、誰も座っていないテーブルの席に着き、これから始まる5時間をどう耐えればいいか考えるだけで絶望感に襲われた。すると、隣のテーブルに座っていた女性が僕の方にやってきて、「あなた私たちと座る?」と声をかけてくれた。初めて会う人たちばかりのため無論緊張はしていたものの、想像以上に話しやすい人が多くて気楽だった。

このグループ面接は志願者が9人ずつのグループに分けられ、4人の面接官を前にアクティビティをこなしていくスタイル。5時から6時は自己アピールスピーチを3分+面接官からの質問に対する1分の答え*2という内容。そして6時から8時の2時間は1時間ずつケーススタディにグループで取り組むというもの。

英語ネイティブしかいないばかりでなく、皆年上しないフィールドだったこともあり、僕は終始緊張していた。スピーチは6番目だったが、前の5人が完璧なものを見せ続けていたこともあり、プレッシャーはえげつなかった。正直丸暗記していた台本とは表現がいくつも変わったが、なんとか時間通りに自分の長所を伝え切ることができた。

ケーススタディは想像以上に難しく、最初のものに関しては、僕は一切発言ができなかった。内容がかなりファイナンスに特化したものだっただけでなく、9人中3人はシニア・ファイナンシャル・マネージャーとして働いている人たちということで、自分のような素人が議論に参加する余地がなかった。

これは落ちるかなーと思っていた矢先、最後のアクティビティの前の休憩中に他の志願者が僕の方へやってきた。彼はさっき僕が一切発言しなかったことが気になっていたらしい。そして彼の人生の話しをし始めるとともに、僕がなぜこのプログラムに応募したか、最近辛かったことはあるか、など話しを聞いてくれた。最後に、”I see a really bright future in front of you. The one you can’t even imagine right now. Please, please show who you really are to the evaluators. I want to be pursuing this degree with you.”とメッセージをくれた。

確かに一個目のケーススタディの途中で僕は半ば諦めモードだったため、彼の言葉がなかったら最後のケーススタディも適当にやっていたことだろう。というのも、極端な性格の僕は、うまくいかない時は、とことんうまくいかないことを好んでしまう節がある。失恋に院試不合格とコンボで喰らえば、流石にシアトルを去りたくなって、どこか新しい環境に逃げられるのではないかと思っていた自分もいた。

だが、適当にやったとはいえ、入るのが難しいと言われるMBA入学にこんな近くまで迫れたわけだ。それは学部時代の成績や、コロナ期間中に暇つぶしで受けて高得点を取ったGREなど過去の自分の努力によるものだ。他の人が全力投球してる中、自分だけ中途半端に挑み落ちるのはなんてカッコ悪いし失礼なんだろう。最後はもう邪念を全て振り払って全力で課題に臨んだ。プロンプトは相変わらず難しい。だが、自分の持つ最大限の分析能力を用いて議論に参加した。発言もたくさんしたし、場も回した。その結果、最後に代表の面接官の総括でこのラウンドはJJが良かったねと、みんなの前で名指しで褒めてもらえた。

最後の1時間半はネットワーキング・アワーということで、出願者だけでなく面接官をしていたOB陣を含めた全員でディナーを食べながらお喋りをした。同じグループだったほぼ全員が話しかけに来てくれ、JJの最初のスピーチがとても良かったと褒めてもらえた。みんなお世辞だろうと最初は思っていたが、周りを見ると確かに24歳どころか20代もほぼいない場所で、極マイナーな非英語圏出身者、それに加え分野もビジネス・スクールでは希少の製薬業界からやってきて、エリート達に対抗できていたのだ。その希少さが自分の強みになっていたことにやっと気づいた。

失恋のこともあり自信をすっかり失っていた僕にとっては天国みたいな時間だった。自分より年上のエリートがみんなして優しい言葉をかけてくれ、僕はポテンシャルの塊だと褒めてくれた。恋愛がうまくいかなかったことも何人かに話したが、自分にフォーカスしてポテンシャルを発揮していって、次は好きになった人を惚れさせてやれと言われて心を決めた。会う人皆がフレンドリーで、ここまでのキャリアもこれからのプランもしっかりしている。そんな人たちと対等に話しができている自分がいるのも事実だった。

結果はまだ出ていないが、総合的な感触は良かったし、多分受かったと思う。もちろん落ちている可能性もゼロではないためまだ羽は伸ばせないが、ここでなら成長できそうだなと思えた。恋愛に関しても今回はうまくいかなかったが、次回誰かを好きになった時は、自分を卑下することなく、相手を惚れさせられたらなと思う。もっと自分に自信が持てるように、努力してくぞ〜〜!! 次に知らずに恋に落ちてしまうまでは一旦恋愛はお休み! 

テリヤキ屋さんのオーナーになってしまった話し

どこかで聞いたことがあるが、人生の大半は、生まれた場所と親で決まるらしい。確かにもしかするとそうなのかもしれない。あまりブログで書いたことはないが、僕のお父さんはかなりクレイジーな人だ。良い意味でも悪い意味でも。今回は近況報告も兼ねて、自分が今置かれている状況をおさらいしたい。

 

~体力おばけのお父さん~

僕のお父さんは1971年生まれの52歳で、出身は韓国の田舎の方だ。貧しかったこともあり、僕にとっては祖父母であるお父さんの親は、あまり子供のケアをしてあげられなかったらしい。その代わりに、二人の姉がお父さんの面倒を見てあげていたそう。そんな環境ながらも勉強はとても頑張ったらしく、大学は地方の国立に入った。一流企業への就職も決まり、20代中盤でお母さんと結婚し僕も生まれた。だが、当時の会社は学歴主義の影響が色濃く、有名大学でなかったお父さんへの扱いはあまり良くなかった。その不公平さを始めとする韓国社会に嫌気が差し、慶應大学の大学院に留学する形で日本に来た。

お母さんとは言うと、比較的裕福な家庭出身で、結婚した当初から韓国で良い暮らしをするつもりだったそうだが、お父さんの強い要望で僕が5歳の時に日本に移住することとなった。日本での最初の頃はお金もなく、かなり苦労していたのは小学生の僕にもわかるほどだった。お父さんは研究にバイト、お母さんも日本語も喋れない中アルバイトをして生活費を稼いでいた。僕はまだ脳が柔らかかったこともあり、特に記憶もないまま韓国語と日本語のバイリンガルになって、学校でも普通に友達を作れた。

最初の数年こそ住んでいたアパートは狭かったものの、そこからはお父さんの頑張りもあり、引っ越しをする度に部屋のサイズが大きくなり、僕が小学5年生に上がった時には一軒家に移った。その数年後に、お父さんは当時はまだ世間に知られてもいなかったアマゾンに転職をした。会社はみるみる大きくなり、初期メンバーだったお父さんの当時の株のボーナスは後になんと最大40倍にまで膨れ上がった。

そして僕の高校卒業と共にお父さんは渡米することになり、ついでに家まで買って家族二度目の国際移住をすることになる。僕は慶應大学に入学し、一人暮らしを始めていたため、そのまま日本に残ることもできたが、キャリアを考えるとシアトルの方が良さそうだなと思い、結局1年後に合流することに。アマゾンという大企業のバックアップに加え、お父さんの会社でのポジションが高かったこともあり、グリーンカードアメリカの永住権)はなんと僕が渡米して1年半もしないうちに取れてしまった。日本では永住権を取るまで10年強かかったが、一度の人生で、2カ国で家族全員分の永住権を取得してしまうお父さんの凄さに気づいたのは最近になってからのことだ。

シアトルに来てからはなんと仕事で特許も取った。僕はエンジニアのバックグラウンドがないので全く理解できなかったが、そのアイディアのおかげで会社の利益がかなり増える大手柄を成し遂げたらしい。だが、大企業ではそんなことをしても搾取されるだけだ。そのことに嫌気が差したお父さんはなんとスッパリとアマゾンをやめてしまった。そして日本に一時帰国し寿司の学校に通った。卒業してからは銀座の高級寿司屋で修行をした。一年後シアトルに戻ってきてからは、複数の日本食レストランで働き、知らないうちに日系サンドイッチ屋さんの共同オーナーになって、アマゾンで稼いだ時並みの年収を稼ぐように。

そのお店はかなり売上もよく、少し待てば2号店を開けるタイミングでお父さんがオーナーになれるだろう。だが、これまたいつの間にかテリヤキ屋さん(日本でいうお弁当屋さん)を買収し、お母さん名義でサインした。そこまでは良かったのだが、お母さんは英語がほとんど話せない。そんなこともあり、お父さんに、テリヤキ屋さんの経営はジュン(僕の家での呼び名)に任せたいと急に伝えられた。それが伝えられたのは先月のことで、お店は今週からオーナーシップが変わった。

と、ここまでお父さんの経歴を簡単に書いたが、一番重要な部分を略している。それは、彼はえげつないほどの体力を持っていること。学生時代も登校は全校生徒で1番早く、軍隊にいた時もその体力ゆえに、RTCというトップチームに配属されていたらしい。そしてサラリーマン時代も3時間睡眠で朝5時に家を出て、残業・飲み会をして帰ってくるのは終電という生活。50歳になってからも衰えはなく、飲食業界に足を踏み入れてからは、軽く週80時間を超える労働をしている。どんなに仕事をしても、数時間仮眠を取れば疲れが取れるようで、サンドイッチ屋さんでは朝2時から働いている。

それに加え、リスクを取ることにも物怖じしないタイプで、アマゾンを辞めてから、これまで貯めてきたアマゾン株を数年前に半分売り払って、そのお金をNVIDIA株にオールインしていた。途中落ちた時期も笑いながら、「ジュン今マイナス30%笑笑」と余裕をかましていて、実親ながら頭おかしいのかとも思ったが、今ではプラス30%と好転している。考えてみれば、それくらい狂っていないと、人生で二度も海外移住をして永住権取得なんてことはできないだろう。

 

~僕の現状~

まあこんな体力お化けなお父さんを持つと、子の立場は少々辛くもある。僕は今まで周りの同世代に比べると、努力量は多い方だと思って生きてきた。学生時代も勉強は頑張ったし、留学をして英語も早いうちにマスターした。慶應を中退したことも、編入2度経て、憧れだったワシントン大学を合計4年でストレートで卒業できたことも、自分では努力あってこそだと思っている。そして、卒業した次の日から製薬会社でフルタイムで働き始めて、その翌週からはレストランでバイトも始めた。ここまで2年間の社会人生活、常に最低2つは仕事を掛け持ちしてきたし、去年の9ヶ月間はその二つに加え新聞の執筆・編集業も併せて3つの仕事を同時にしていた。

だが、こんなに頑張っても、お父さんには敵わない。数週間前には僕が、テリヤキのビジネスはやったこともないのに上手くいくわけないと文句を言ったら、そこから言い争いになった。「お前は24歳にもなって家事もしないし、いつになったら親のサポートをしてくれるんだと。」それに関しては一切反論はない。僕はまだ実家暮らしをしているし、自分の本業と副業で忙しくしているとはいえ、家では親が全てやってくれることに甘えていた。そこまでは良かったが、その後に「仕事も楽だけして、いつになったら頑張り始めるんだ。大学院にも行かないで。今親のサポートがあって行けないなら、いつ行けるんだ」と言われた。

正直かなりムカついた。というのも、僕は自分なりに出来る限りの努力はしていたつもりだったから。同僚で副業をしている人はほぼいないし、外に出ればみんなに頑張り屋さんと言われるのに、家では相手が相手なため、全く公平な評価がされない。でも僕が大学院に行く気を見せないことには、お父さんだけでなく、お母さんも心配していたので、半分親への反骨心で大学院に出願した。出したのはワシントン大学MBAプログラム。仕事をフルタイムでしながらのプログラムであるため、3年をかけて卒業をすることになる。書類は通り、最終面接は来月控えている。半分は親への反骨心だが、もう半分は自分が行きたいからだ。これはもし受かったらまた詳しく書くが、製薬会社での自分のキャリアを考えた時に、僕が一番輝けるポジションはInternational Branch Managerみたいなポジションだと思う。国際的なバックグラウンドを持っているし、言語も複数話せ、MBAまで取ればマネージャーコースに容易に進める。会社の現在のマネージャーや同僚もそれが良いと後押ししてくれていることもあり、MBA取得はいつかはしようと思っていた。

話しを戻すと、MBAに出願してからは確かに親の気は少しは晴れたようだ。言い争いがあってからは、皿洗いや庭の掃除・手入れなど積極的にするようにもなった。だが、今でさえフルタイムの製薬会社+パートタイムの新聞の執筆・編集業をこなしているだけで忙しいのに、これに加えテリヤキ屋さんの経営、そして受かったらMBAと全てを同時進行できるか正直不安だ。

 

~テリヤキ屋さんでの僕の役割~

今週オーナーシップが変わったばかりなので、まだ僕も全てを把握しているわけではないが、今わかっている範囲内でのことを書ければと思う。まず、場所は家から車で北西に20分ほどのMukilteoという街にあり、すぐ近くにボーイングがあるため、昼間は近くのサラリーマンで混む。このお店は個人経営で20年続いており、グーグルでの点数は4.4とかなり高評価。味も悪くなく、基本はテイクアウトの人が多いが、イートインスペースも20席ほどある。営業時間は月~金の朝9時半から午後7時半まで10時間x5日。

これまでは基本的に現在70歳を超えた前オーナー夫妻と、朝からフルでいてくれるおじさんがキッチンに一人、そして午後2時以降に入ってくれるおばさんがもう一人キッチンで回せていたらしい。だが、歳を取ってからは、今年45歳になる娘さんがヘルプで朝からお昼過ぎまで入って、実質オーナーとして経営を回した。

今回売却に至った理由は、オーナー夫妻の体調が悪くなってきたこと。娘さんも9歳と13歳の子供がいるので、テリヤキ屋さんにオールインすることはできず、少し価格を落としてお店を売った。売り上げは平均一日1400ドル程度ということで、規模としては小さめだが、単価が14ドルほどなので、大体一日10時間で100オーダーが入る計算だ。

僕は木金は会社が休みのため、お店に顔を出して実際にキャッシャーとして働いてみたが、正直この先の経営が不安にはなった。というのも、お父さんはサンドイッチ屋さんをメインでやる予定のため、フルで入れるのは月火のみ、そしてお母さんが月~金までフルでいるプラン。今は夏休みということで大学生のいとこがサポートで入ってくれているが、9月からは彼女もいなくなる。となると、水木金は、お母さんと既にいるキッチン二人以外は人がいない。

お父さんのプランとしてはここに僕が入って欲しいとのことだが、正直言うと飛んだ迷惑でしかない。日月火水はフルタイムで10時間ずつ働いていて、休日である木金土は専ら新聞関連のことか、友達と遊んでいるわけだが、その木金をテリヤキ10時間ずつはしんどいにも程がある。妥協案としてせめて忙しいランチタイムだけ手伝ってほしいとのことだが、毎週入れる保証もなければ、学校が始まったら課題や試験勉強でそれどころではないだろう。新聞の仕事は好きで続けているが、この状況になると近々辞めざるを得ないだろう。

となると代案となるのは、外部から人を採用すること。それが無難なアイディアだし、きっとこのビジネスを回そうと思ったら、それしか道はないと考えている。だが、人を雇うことは難しいし高くもある。そこまで大きいビジネスでもないため、利益の大半が人件費に消えていくことになるだろう。それに、オーナー不在はまずいため、僕と親のどちらかの誰かで、必ず営業時間週50時間をカバーしなければならない。これが半年だけなら持つかもだが、長期的にどうなるかは不安でしかない。

現時点でも、既に妹の送り迎えなどの負担が僕に流されているのに、もし親の片方が過労で倒れたら一体どうなるのだろう。ということで万が一に備えて、若くて一番倒れないであろう僕に、お店の経営面のことは全て把握してほしいのだと言う。毎週木金お店に出るのが無理でも、雇用や給料・固定費の支払い、料金設定、メニュー変更、そしてお店関連の様々な権限などは名義はお母さんながら、僕にやってほしいらしい。

 

~メリット・デメリット~

ポジティブに捉えると、マネージメントに興味がある僕にとっては、これ以上ない練習環境となる。これを試してみたい、と思いついたら、誰の意見も仰がずに自分で実際に試すことができる。そして、雇用や固定費・売り上げ・税後のオーナーの手取りなどのリアルな数字を扱える機会は他にそうそうない。経験がないと何を学べばいいかもわからなくなるが、実例が目の前にあることで、このことについてもっと知りたい、と具体的な学習意欲も出てくることだろう。また、飲食経営をすると食材などかなりの物が経費で落ちる。仕入れの時点で免税で、様々な支払いなども税前で計算されるため、それこそ利益がゼロでも、これまでの生活より支出は減る。というのも、お店で余る食材だけで家族4人が食べる分以上は賄えるためだ。

ネガティブな面ではあげればキリがない。お父さんが倒れたら、お店のことだけでなく、家関連のことも全て責任は僕に降りかかってくる。固定費・家賃は払い続けなければならない。ショックを受ける間もなく、その後の役所処理などを全て担当するのに加え、仕事も副業も一旦全てストップせざるを得ないだろう。

そもそも飲食業の経験も、経営の経験もないのに、オールインせずに、片手間で回せるほどビジネスは簡単なのだろうか? 僕だけでなく、前オーナー初め、お父さん以外の周り全員がこの先を不安視している。お父さんは体力お化けで、これまでも常人がやらないことをしてきた経験があるから自信しかないと言うが、似たような人だったおじいちゃん(お父さんのお父さん)は僕が生まれる前に、確か50代か60代序盤で倒れて急死している。不吉なことは言いたくないが、正直お父さんにいつ同じことが起こってもおかしくないと思う。

常々、遺産は残さなくていい代わりに、あまり負担は残さないでほしい、と少し自分勝手なことを親に伝えてきたが、それは心の底からの願いだ。僕はお父さんがアマゾンを辞めた時に、家も売って、親二人とも韓国か日本で第二の人生をゆっくり過ごしてほしいと望んでいた。だが、お父さんのアメリカで飲食ビジネスしたいという夢を叶えるために今に至る。ちなみにお母さんは海外生活のストレスでこれまで何度も身体に異常が出たし、本当は僕の提言通り、言葉の通じる国で楽に暮らしたいと言っている。それでも、せっかくの人生いろんなことにチャレンジしたいという気持ちもあるようで、最近では僕にそんなにネガティブにならないでと諭してくるほどだ。

 

~親への思い~

僕は親が今まで3カ国を跨いで、トップクラスの教育を受けさせてくれたこと、グローバルな人間に育ててくれたこと、そして将来への選択肢を増やしてくれたことにとても感謝している。常にやりたいようにやらせてくれたし、自分の決断は全て尊重してくれた。でも、親のことが好きかどうか聞かれたら、お母さんのことは大好きだが、お父さんに対する気持ちはそこまでない。

もちろん体力もあれば、尋常な量の努力をできるお父さんを見て、学べたことも多いし、自分も成長できてきた部分はある。だけど、自分の価値観を他人に押し付けることだけは大嫌いだ。最たる被害者がお母さんで、もう50も過ぎて、言語も思うように通じない場所で、週50時間労働を強いるのは間違っている。だから僕は常にこのテリヤキビジネスにも反対してきたし、始まった今でもまだその考えは変わらない。僕としては、誰かが倒れてからでは遅いわけだから、早めに忠告をしているつもりなのだが、お父さんは全てうまくいくと根拠のない自信を持っている。それがすごく嫌いだ。そんなに自信があるのなら、人を雇うなりして根拠を見せて説得してみろよと思う。実際心配しているのは僕だけではないのだから。でも当のお母さんはそんなに心配していないどころか、かなり楽しみにしている。

確かに僕は心配性ではある方だし、家族のシアトル移住が決まった時も、妹が車で事故を起こした時も、一人オーバーリアクションをしていた。実際後になって振り返るとなんだかんだ大したことはなかったが、この性格はなかなか変えられるものではない。僕は人生でどんな決断を下す時も、ある程度根拠を持った上で決めてきた。そしてどの決断を下す時も、自分以外の人には迷惑をかけないようにしてきた。もちろん責任もない立場であるからできたことではあるが、もし将来結婚することがあったら、僕はお父さんのような決断の下し方はしたくない。

 

~この夏のプラン~

結果オーライでこのテリヤキビジネスがうまくいったとしても、僕が手の平を返して喜ぶことはないだろう。一年で10万ドル、20万ドルという額を稼げたとしても。だが、自分の意見はどうであれ、始まってしまったことは確かだ。元には戻せない。今は嫌々と不安の気持ちの方が強いが、今まで育ててくれた親への恩返しだと思って、自分ができることはしてあげようとは思う。

自分のソーシャルライフは当分捨てることにはなるが、全てに真摯に向き合って頑張れば、きっと自分にとって大きな財産となることだろう。優先順位としては、フルタイムの製薬会社>>受かったらMBA>テリヤキ>>新聞となるため、もし大学院への合格が決まれば、新聞の仕事は辞めることになると思う。そして、会社の有給休暇は6週間分ほどあるが、今年はきっと9月あたりにまとめて使ってテリヤキのビジネスに専念する期間になることだろう。

今年は上半期一切休みを取らずに本業も副業も頑張ってきたし、趣味ではマラソンもこなした。体力はかなりついてきたが、自分の仕事に加え、妹の送り迎え、テリヤキビジネスがかなりの割合を占めてきたことで疲れが溜まってきた。今日はテリヤキを早めに出て昼寝をしたがまだ疲れはかなり残る。明日は久しぶりに何も予定を入れていない一日になるが、執筆も溜まっているし、飲食業のマネージャーとして取らないといけない資格もいくつかあるため、それに時間を割くことになるだろう。

充実しているなと思うこともあるが、本当はもう少し楽に暮らしてみたい。フルタイムの仕事だけやっている人を見て羨ましいと思うことも多々ある。自分もそういう道を選ぶことはできただろうに、努力量がえげつない人が父親だったせいもあり、自分の中でスタンダードが狂ってしまった。今は若さゆえまだ体力があるからいいが、どこかでタイミングを見て自分に合うペースを探してみたい。

かく色々愚痴は書いたが、僕はきっと心のどこかではお父さんを尊敬しているし、親として好きな気持ちはあるのだと思う。だから見捨てたいとも思わないし、頑張って助けたいという気持ちはある。本音を言えば、僕が頑張っていることも認めてほしいが、それは望みすぎなのかもしれない。アップデートが多い記事とはなったが、今まで以上に成長していきたい心持ちはある! ということで次回の記事に乞うご期待!

気づいてしまった

~前置き~

面白いデータを紹介しよう。僕がこのブログを開設したのは20194月のこと。現在、20235月ということで、ブログ歴としては50ヶ月目になる。この記事は57投稿目らしく、平均すると1ヶ月に1本強ブログを更新しているペースだ。だが、更新頻度はかなりまばらで、月に5本書くこともあれば、半年書かないなんてことも。一体どんな時に自分はブログを書きたくなるのか? 昨晩ふとこれについて考え、思い当たる節があったので、簡単な表に相関をまとめてみた。

彼女がいた時期

合計期間

ブログ更新本数

更新本数/月

2019.06~2020.01

2020.09~2021.11

2022.08.~2022.11

27ヶ月

13

0.48

彼女がいなかった時期

合計期間

ブログ更新本数

更新本数/月

2019.04~2019.05

2020.02~2020.08

2021.12~2022.07

2022.12~2023.05

23ヶ月

44

1.91

この表を見てもらえればわかるが、彼女がいる時といない時で、同期間あたりの更新数が実に4倍ほど違う。ここまで違うと彼女の有無とブログを書く頻度に相関があると言っても過言ではないだろう。では、この相関の裏には一体どんな理由があるのだろうか? 

 

~ブログを書きたくなる時の感情~

僕の場合、ブログを書きたくなる時は大半、テンションがすごく高いかすごく低いかのどちらかのケースが多い。書くことで気持ちを整理したり落ち着かせたりしているため、感情の上振れ・下振れが激しい時に、よし、一旦書くことでこれを吐き出そうとなる。では、これと彼女の有無はどう関係しているのか?

これに対する答えは至ってシンプルだ。僕は彼女がいる時は、精神がとても安定している。頻繁にテキスト・電話をするタイプなので、テンションが酷く上下する前に、大体の感情を彼女との会話で消化することができる。また、ブログを書くだけでなく、主にインスタを使って友達に公開しているように、僕は適度なアテンションを受けることを好む。彼女がいる時は、既に自分のことを気にかけてくれている人がいるので、特に他の人からに注目されたいという感情にあまりならない。

これが良いことか悪いことかは置いておいて、ここまで裏付けできるデータと自覚があると、これが事実と認めざるを得ない。

 

~パートナーの理想像~

年末年始の苦しい時期を抜け、天気もテンションも上昇気味だった今年の春。そんな中、会社では新たな友達ができた。1月末に同じシフトに入ってきた彼女の名前はソフィア。生まれはカンボジアで、育ちはアメリ東海岸31歳。最初の1ヶ月こそそこまで接点はなかったものの、3月からは毎日話すように。彼女もイタズラ好き・おしゃべり好きなこともあり、イタズラを仕掛けあっているうちにいつの間にか仲良くなっていた。自由席ということもあり、4月からは毎日隣に座って仕事をしている。

彼女はとても可愛らしく、プライベートでは大学時代から9年間付き合っている韓国系アメリカ人の彼氏がおり、結婚も視野に入れているらしい。彼の仕事の関係でメリーランド>テキサス>シアトルと引越しをして、シアトルが気に入ったのでここで暮らしていく予定なんだとか。

会社の同僚がこのブログを読む可能性はゼロに近いので感情を吐き出すと、彼女は理想のパートナー像だ。これは全員に言えることだが、相性が良い人とは仲良くなるまで時間もかからなければ、そこまで努力もいらない。社会人生活を始めて2年が経つが、初めて会社でなんでも打ち明けられる友達ができた。朝会社に行き、まずはメールやスケジュールを確認しながら30分ほどおしゃべり。その後時間がある時はスタバに一緒に散歩に行き、忙しい時はそのまま仕事。午後は23時間オフィスでながらおしゃべり。病欠が無限の会社なので2月までは月に2回ほどはサボっていたが、彼女と仲良くなってからは毎日出勤している。

もちろん、彼女に彼氏がいることはわかっているため、あくまで仕事の同僚としてのコミュニケーションに過ぎないレベルの会話だ。それでも彼女が入るまでは、そんなに毎日話したくなるような同僚もいなかったので、会社に行くのは断然楽しくなった。驚くことに、週末よりも会社に行く日の方が楽しいと感じるまでに。現在これを書いているのは木曜日の朝だが、僕にとっては週末の最初の日。だが、この木金土で楽しみなことは一切ない。日曜に会社に行けば楽しいお喋りができるが、週末は自分からスケジュールを作らない限りは感情は低いままだし、そもそもそこまでコードが合う人もいない。

仕事に行くのが楽しくなったのはいいが、毎週末虚しさは増すばかり。パートナーの理想像は目の前にいても、絶対手が届かないだけでなく、会社の同僚ということで感情をコントロールさせなければならず、返って疲れる。

 

~彼女を作るか・環境を変えるかの2択~

これに関しては考えが高頻度で変わるが、僕はタイプ的にシングルで人生を満喫することは難しい気がしている。社会人になり時間もお金も余裕ができたが、自分一人では楽しめていないのが現状だ。買いたいものもなければ、行きたいところもあまりない。お金を貯めたことで心に余裕はできた。だが、余裕があるだけではストレスはなくなるものの、幸せになるためにはもうひと工夫必要なところ。

今年は有給が合わせて67週間取れるが、今のところ一切プランはない。大学院に行きたい感情も自分の中で死んでいるし、ネトフリやゲームなどの大衆娯楽も楽しめなくなった。唯一楽しいのは誰かと会っておしゃべりをしている時。だが、その場は楽しいものの、帰ってからは孤独感に襲われる。自分みたいなアテンション・シーカーは、誰か特別な存在がいないと厳しいのかなというのが実感。

特に今の環境では孤独感が増すばかりだ。先ほど紹介したソフィアを始め、会社の同僚の大半はすでにパートナー持ちで、早く彼女できるといいねと応援をもらうたびに心に突き刺さる。仕事としては楽で待遇もそれなりにいいものの、家族ファーストのアメリカで、シングルで社会人生活を送るのは寂しくなる。

こうなると自分の場合、選択肢は2通りだ。この社会人として最高とも言えるホワイトな職場環境をキープしながら、プライベートを共にエンジョイできるパートナーを見つける。または、シングルのまま遠くどこか別の場所に行くということ。新しい環境に身を置けば、刺激ができ、彼女がいるかいないかなんて気にならない精神状態に持っていけるだろう。今の環境はストレスも刺激も皆無なので、孤独を味わう時間ができてしまう。

 

~今年の夏は勝負する~

キャリアのこともあるので、環境を変えられるのは早くても来年だ。今年は今の会社でやり遂げるプランで、有給に関しては余った分は1112月に使い切ろうと思っている。ということで、幸せになるためのオプションは彼女を作ること。もちろん、何かのきっかけでそれ以外に打ち込めることができたらシングルで満喫できるかもしれないが、分析結果では彼女がいた方が良い。

よく聞く言葉に、パートナーは探してない時にふとできるもの、というのがある。まあそれも一理あるとは思うが、個人の状況次第だと言わざるを得ない。自分でアクションを起こさない限りは、出会える人なんてたまたま職場が一緒の人だけなわけだ。普段から旅行やイベントに行くなどアクティブな人や、すでに友達が多い人などはあまり努力しなくても出会いはあるだろう。だが、僕は基本外に出ない、出ても一人でジョギングというつまらないタイプなので、何かを変えねば人と会うことがまずないのだ。

こうなるともう結論はシンプルだ。外にたくさん出て、いろんな人と出会い、知り合いの輪を広げていく。自分とコードが合う人はそこまで数が多いわけではないだろうが、人と会わないことにはそもそも見つかる可能性もないわけだ。実際、先週は2つの異なるミートアップに顔を出してみた。パートナー探しという面では進捗はゼロに近いが、いろんな人と会って話すのは楽しいので、これからももっと外に出ようと思う。

マッチングアプリやミートアップ以外にも、友達の輪が広がっての紹介や、婚活サイトなど、出会いは時間とお金を使えば出来ていくだろう。あまり、パートナー見つけます! と言ってる人も多くないが、逆にそこに本気を出したら結果がどうなるか楽しみではある。

多分、この夏いろんな人と会って話してみて、それでも縁がなかったら来年には引っ越すと思う。社会人生活としては文句ない環境だが、このままだと年々鬱っぽくなるだけな気がするため、より冬の天気が良いところや、刺激が強そうな街に移住したい。

ものを買ったり、旅行に行くことに楽しいと思える人が素直に羨ましい今日この頃。もしかすると学校選びや就活以上にパートナー選びは大事なのかもしれない。同僚からも若いうちに相手見つけないと、良い子は取られちゃうよと言われているが、本当にそうなのだろうか。とりあえずここで吐き出せたので、今週末も新聞の執筆・編集業をこなしてから、できれば外に出ようと思う。

なんでこんな楽しめてないのかわからないほど生きるの下手だけど、人に迷惑かけてはないから、顔を上げて生きてくぞ🥹 

みんな、逃げよう

このブログで何度か書いているが、僕は大学1年時、慶應大学薬学部に在籍していた。大学受験時は東大が第一志望であったため、正直入る前は全く楽しみでもなかったが、入ってみると良い意味で驚かされた。同級生のみんなは勉強も高い水準で出来、それに加え人間としても完成された人が多く、ここに入れて良かったなと思えるように。結局1年しかいなかったため、友達はそこまでたくさんはできなかったが、今でも連絡を取り合う人も多く、自分にとっては大きな財産となった。そんな同級生も6年の課程を修了し、進学・就職とそれぞれの道を歩み始めたようだ。ということで、大半の高校・大学時代の友達が社会人となったこのタイミングで、「自分に合った環境に身を置くことの大切さ」をシェアしたい。

 

~逃げることも大事①~

僕が慶應1年で辞めてシアトル移住を決断した時、多くの人にはこの選択をチャレンジと捉えられた。慶應を卒業すれば日本では良い暮らしをできる可能性は高いし、辞める人の大半は国内の他大医学部や、仮面で旧帝大など、ワンランク上に移るムーブだったので、海外に行くのもそういう部類に解釈されていたように思う。だが、今全てを経たからこそ言えることだが、僕が辞めた一番の理由は、シンプルにこの先日本で暮らしていくことに自信がなかったからだ。

試験は人脈を伝っての過去問ゲーで、講義は正直何を言ってるか分からず、1週間で色んなクラスの内容をちょっとずつ触り、それを後でまとめて試験されるスタイルに苦戦した。それに加えて成績を取るメリットも、進級と後の研究室選びに有利になるだけのようで、あまり勉強をするモチベーションも出なかった。実際1年後期の有機化学のテストでは、落単すらしかけ、格違いに大変になるという2年目に向けて心の準備が一切できていなかった。

これを後3年学部と、大学院を2年耐えて卒業したところで、待っているのは国内での就職。ルールが多いのは学校でも職場でも変わらない。同期のことは好きだったし、これからもっと仲良くなりたいという人もいたが、自分の人生を考えた時に、幸せになる未来が見えなかった。そんな悩みを抱えてシアトルで過ごした1年の春休み。辞めた後の進学のことや、どれくらい卒業までに期間を要するのかなどは正直あまり調べないまま中退した。そう。自分の中では逃げでしかなかったのだ。本当は怖かった。ワシントン大学が近くにあったことは知っていたし、アドバイザーとは話していたが、誰でも入りたいからと入れてくれる大学でもない。そのため、こちらに来てからは、高校時代のように一生懸命勉強した。その努力がなんとか運良く実り、ワシントン大学を卒業はできたが、卒業した時にやっと中退してよかったなと初めて安堵できた。

 

~世の中は不公平~

日本では海外大学というだけで高評価される節がある。英語を話せるだけでエリートだと思われることもあるが、個人的にはこれはあまり良くないことだと思っている。僕は両方に通ったため経験から来る言葉だが、学生の基礎学力だけで見ると、慶應生の方がワシントン大学生より格上だ。少しレベルが違うというレベルではなく、格が違う。計算能力や思考分析能力などの基礎能力を鍛えるという意味では、日本の中高の教育は世界でもトップクラスだと思う。ワシントン大学ももちろん上位一部の学生は凄かったが、あの苦手だった有機化学は僕ですら、500人以上の同級生を差し置いてトップを取れた。日本では学歴は収入に比例すると言われている。それはアメリカでも例外ではないが、日本とアメリカの差はどうだろう。僕の経験則では、慶應卒業生の方が学力が高いため、学歴も上で年収もワシントン大学卒業生よりも高くあるべきだろう。

だが、僕にすら有機化学で敗れた彼らの半数以上は、年収が20代で優に10万ドルを超える職に就く。医者・薬剤師は最低12万ドルほど、製薬会社ですら5年もすれば10万ドル近くまで行く。物価がアメリカの方が高いからという論もあるが、それを全て考慮してもワシントン大学の同学部卒業生の方が、慶應卒業生より裕福な生活を送れるのだ。年収が高いだけではない。仕事も楽だ。これは残念ながら僕が日本で社会人生活をしたことがないため、聞いた話しに基づいてにはなるが、労働環境は明らかにアメリカの方が良いと思う。

「日本」「アメリカ」と大きな主語を使うと語弊が生まれるかもなので、一例として僕の会社を労働環境をシェアしたい。110時間の労働時間で週4日のシフトであるため、毎週3連休。残業という概念はなく、休日出勤はまず求められない。祝日はないが、その分が全て有給休暇となっており、合計すると1年で68週間は休みが取れる。それに加え病欠に制限はないため、多い人だと病欠だけで年50日ほど休んでいる。そんな人の場合365日中休みは、3連休*52週間(156)+有給240時間(24)+病欠50日=230日と割合にして1年の63%を休んでいる。それでいて現在大卒の初任給が65,000ドルほどだ。日本円にすると現レートで約870万円になる。入るのが難しいのでは?と思われるかもだが、大半はワシントン大学か一個レベル下の大学出身で、所謂一流大学はもっと条件の良いところに行く。そして上司に怒られるということは聞いたこともないし、ルールもあまりない。トレーニングも丁寧だし、仕事量も程よく、ストレスが溜まる要素は出来る限り排除されている。それでも頑張りすぎてしまった時は、病欠で休んで、リフレッシュできたら戻ってくればいいだけだ。

日本ではこんな条件の会社は聞いたことがない。僕としてはこんなに楽な環境があっていいのか?と入社時に驚嘆していたが、もっと驚いたのはオランダから出張で来た人たちが言っていた「アメリカ人はよく働くね。オランダはもっと楽だよ」という言葉だ。僕がこれをシェアしているのは決してアメリカは楽だからと自慢したいからではない。日本では頑張ることに価値を置きすぎている。それで壊れていく人も多い。大学でも一緒だ。落単・留年を煽る試験に卒論、研究室。ワシントン大学では卒業に論文なんていらなかった。研究室もインターンもいらないし、僕は授業以外何もしていなかった。授業も周りで落単している人はほぼいなかったし、教授がまるで高校教師のように丁寧に試験範囲をおさらいしてくれ、過去問も全て公開されているため、友達が一切いなくても単位は取れるし卒業はできる。もちろん全ての大学がそうではないが、そんなアメリカの大学を、日本の大学よりレベルが高いと評するのは疑問だ。

じゃあなんで日本の大学生は学力が高いのに、社会に出るとアメリカの社会人より待遇が低いのか。それはシステムが悪いことに限る。アメリカは効率主義で、”Work smarter, not harder”の考え方が一般化している。機械にできることはやらせるし、不必要なミーティングや書類、ルールなどは積極的に排除して行く。この価値観が罷り通っているため、新入社員でも声を大にして「これは無意味だからやめよう」と言い出せる環境なのが功を奏しているように思う。この理論は学校でも一緒だ。日本は良く言えば伝統を重んじるが、悪く言えば進化を嫌う。中高の時も、風紀を乱すから髪を染めちゃいけない、化粧はダメなど意味のわからない校則は多々あったが、それに文句を唱える生徒に良い未来はない。大学でも4年間で大したことも学べないのに、中身もない論文など長々と書いて何になるのだろう。結局、ルールに素直に従う優等生だけが評価され、個性がある人は潰されていく。

 

~潰れる前に視野を広く持ってほしい~

こう書くと僕はまるで日本のことが大嫌いな人に思われることだろう。だが、そんなことは全くない。僕は正直日本に住みたいし、シアトルに5年住んでも、街としては東京の方が格上だと思っている。日本はとにかく安全だし、サービスも皆丁寧だ。食事も美味しいし、何せ人も謙虚で優しい人ばかり。お金が無限にあったら今すぐに日本に移ることだろう。だが、残念なことに生きていくためには、僕を含めほぼ全ての人が仕事をしなければならない。僕がまだシアトルにいる理由は仕事一点だけだ。それだけ人生で、自分に合った仕事環境に身を置くことが大事だと考えている。

僕の仲良かった友達に、社会人になってから精神的にやられて仕事を辞めざるを得なくなった人が何人もいる。そういう話しを聞くたびに僕はとても悔しい。あんなに優秀で優しかった彼・彼女が、なんで社会に潰されなきゃいけないのかと。一体いつになったら日本という国は人を潰すことを止めるんだろうかと。何度も言うようにこれは全ての人に通用する話しではない。日本にも良い労働環境の会社はたくさんあるだろうし、アメリカにも日本以上にブラックな会社もたくさんあるだろう。だが、アメリカでは転職がしやすいこともあり、この手の仕事関連での個人潰しが少ないように思う。

 

~逃げることも大事②~

社会人を始めたばかりなのに、もう仕事が大変で月曜会社に行くのが億劫なんて人もいると思う。この先がなかなか見えないという人もいることだろう。でもそんな時に、もっと頑張らなきゃの一点張りで、限界を超えて自分を追いこまないでほしい。仕事は世の中にたくさんある。ある人には、ルールが厳しく上司から怒られるような職場が合っているのかもしれないが、例えば僕なんかは人に怒られることが大嫌いだ。良くできたは褒めて、失敗した時は助けて欲しい。自分には今この職場しかないからとか、辞めたら他に仕事がないからなどと言ったネガティブな理由をつけて耐えないでほしい。もちろん耐えることも時には必要だが、心身を壊すほど頑張ることは間違っている。壊れる前にその環境が自分に合っていないことに気づいてほしい。そして、環境が合っているところに移るということを、恥ずかしいことだと思わないでほしい。自分の心身は自分でしか守れないのだから。一度壊れてからではダメージが大きすぎる。ストレスで身体に異常が出たり、週末を仕事のせいで全く楽しめなくなったりしたら、それはサインだ。

辞めたらすぐ他の会社や海外に移ることが難しいことはわかっている。だが、視野を広く持ち、他の環境を知っておくことは大事だ。例えば今はあまり辛くなくても、いずれアメリカやヨーロッパで働きたいという考えがあるだけで、早いうちから準備できるだろう。もちろん一箇所に住み続けることも幸せな人生ではあるが、選択肢を増やして対応力を付けるというのも幸せな人生の一つのカギになってくると思う。僕はよく、もし日本と韓国とアメリカという自分がお世話になっていた3カ国が戦争になったらどの国をサポートする?なんて質問を受けることがある。答えは簡単だ。どの国も応援しないで自分は他の国に逃げる。それほど僕は国に対するこだわりも愛国心もヘイトもない。国は僕にとっては選択肢でしかない。今アメリカのシアトルにいるのも、仕事の環境が自分に合っていて、好きな副業も自由にできて、将来のためにお金も貯められるから。別にアメリカが大好きだからいるわけではない。今の会社も好きだが、特にずっといたいというこだわりもない。こんなマインドセットを持つようになると、仕事関係でストレスが溜まらず心身に負担がかからなくなる。それでもプライベートで病んで死にたくなったので、仕事以外の面で対応力を広げなきゃなのだが。

 

~一旦リラックス~

僕はこれ以上仲良い友達や自分にとって大切な人が仕事や環境を理由に苦しむのを見たくない。このブログを書いた一番の理由は妹の影響が大きい。

妹は小5の時に、生まれてからずっと住んでいた日本を離れて親と共にシアトルに移ってきた。そこからは英語もペラペラになり現在では高校卒業まで残り1年となった。同じくトライリンガルだし、ピアノもバイオリンも堪能で、成績もとても優秀だ。自慢の妹だが、今年に入りスランプに陥ったのか、あまりやる気がなくなったようだ。テストではカンニングをして0点を取り、2週間前には車で高速道路を運転中に寝落ちをして、ガードレールに車をぶつけてしまった。結局車は廃車になったが、本人はエアバッグのおかげで無傷で、他の車にもぶつからなかったため、被害は最小限に抑えられた。

その数日後本人と話したが、あの時死ねたらよかったのにと言っていた。側から見たら高校3年生の時点でかなり順調に来ているように見えていたが、当の本人は大好きだった日本を半ば強制的に離れて、シアトルで頑張り続けてきたことに疲弊してしまったらしい。大学も確実に受かりたいからと学校の成績で満点をキープするだけでなく、バイオリンのレッスンに州代表の練習会、ボランティア活動に、クラブと休みがないほど頑張り続けていた。そんな中ふとここまで頑張らなきゃいけない理由がわからなくなったのだという。

兄としては同情しかない。親が強制したわけでもなく、本人が好んでのことだと思っていたが、辞めるという選択肢に気づけていなかっただけなのだ。僕はそれを聞き、ボランティアやクラブは辞めるように言っておいた。そして大学もアメリカにこだわらずに、日本や他の国も大学もあるから考えすぎないように伝えておいた。僕から見た感じ、妹にはアメリカの生活は合っていないように思う。日本での電車通学などに常に憧れていたし、それがここまで叶わなかったのは可哀想だ。僕とは逆で慶應や日本の他大に入った方が、妹は楽しい人生を送れるのかもしれない。

高校生の今は自由が少なく選択肢がないように思っているのかもしれないが、若いうちに苦労したことで、これからの選択肢は増えたのは確かだ。だが、それに気づくには時間がかかるかもしれない。もしかすると、一生親がシアトルに連れてきた決断を恨むかもしれない。人生は何事も選択の連続だ。その選択にはメリット・デメリットの両方が不可避でついてくる。自分で選んだ選択であれば、ある程度開き直れることもあるだろう。しかし、親などに強制された選択で合わないことがあれば、他人のせいにもしたくなるし、人生を投げ出したくもなるだろう。

人生は本当に難しい。答えもなければ何が良い人生何かもわからない。だがただ一つ僕が確信していることは、逃げることも大事だということだ。自分を追い込んで苦しめるのは間違っている。みんな。自分もそうだし、自分にとって大切な人のことは常に気をかけるようにしよう。人間いつ何が原因で壊れるかわからないのだから。壊れてからでは、亡くなってからではもう遅いのだから。

シアトルでのマッチングアプリ使用体験談

今回のテーマは僕のマッチングアプリ使用遍歴についてだ。大学卒業までは使ったこともなかったが、社会人になり手を出してみた。早速本題に入ろう。

 

1人目:イェール大卒のスーパーエリート

大学4年時に付き合っていた彼女と別れたのは、僕が社会人になって数ヶ月経った202111月初めのこと。翌年1月にマッチングアプリでアカウントを作成した。BumbleHingeが人気と聞いたのでその二つを試してみることに。するとマッチはある程度するものの、なかなか会うまでに至らない。途中で会話が切れることが大半だった。そんな中、3月に遂に初めて対面で会う約束を取り付けた。相手は中国系アメリカ人のYさん。22歳という若さでイェール大でマスター(修士)まで取っていた秀才だ。同じ製薬業界で働いていたが、メディカル・スクールに入るために準備していたようだ。初回は無難にディナーを楽しみ、その翌週もまた会った。だが、その後は会うことはなく、連絡も取らなくなった。とても良い人だったのだが、お互いに特に芽生える感情がなかったのが続かなかった理由だろう。相手がエリートすぎて、話しのレベルを合わせるのが難しくもあった。だが、変な感じになることもなく、恋愛の可能性が見えなかっただけなので、個人的には良い経験だった。

 

2人目:唯一の成功例

その後もアプリを適度な頻度で使い、6月に会ったのが元カノであるインドネシア人の美女、Jさん。最初のデートの段階で会話が弾み、2回目以降もとてもスムーズだった。話しが途切れることなく、会った後もずっとテキストでやり取りをしていたため、今思えば付き合うことになるのは自明だったのかもしれない。最終的には付き合って4ヶ月で別れることにはなったが、マッチングアプリも捨てたものじゃないと思えた成功体験だった。

 

3人目:鳥肌が立つほど生理的に無理だった巨漢

3人目に会ったのも6月のこと。まだJさんと1度しか会っていない段階で、友達になれた程度だったので、アプリは引き続き使っていた。この3人目の人はアメリカ育ちの白人で、メッセージの段階から、僕の容姿を可愛いと褒めてきたので珍しいなとは思っていた。まあ好意的に思われるのは悪いことではないなと思い、会ってみることに。寿司を食べに行ったが、会ってみると写真よりもかなりふくよかな方だった。まあそんなこともあるだろうと会話を始めたが、少しすると鳥肌が立ってきた。相槌を打つ時の引き笑いが、魔女が出すような低い声でのヒヒヒといった感じで、引いた。会話もどストレートで、「あなたは可愛いから抱きたい。私ファーストデートで勢い余ってセックスしたこともあるから大丈夫よ。」と面と向かって言われて、気持ち悪いなと思った。この場に来たことを後悔しつつ、帰りたい一心で、会って1時間も経たずに店を出て帰路に着いた。帰ってからテキストが来たが、「この先が見えないのでごめんなさい」と丁重に断り、無事トラウマ行きの思い出となった。

 

4人目:見た目と年齢はドストライクのお姉さん

元カノと別れた後、シアトルの冬の天気も重なり、軽い鬱症状に悩まされた昨年12月のこと。そんな時期にアプリを入れ直しマッチングしたのが、2個上の日本人のお姉さん。年末にまずはカフェで会い、翌週には二人でカジノにも遊びに行った。とても可愛いお姉さんで、日本語で話せることもあり仲良くなった。常に23個年上と付き合ってみたいという憧れがあったため、そういう意味ではパーフェクトだった。癒されはするので特に誘いを断る理由もなく、年が明けてからも更に2回ほど会う仲に。そのお姉さんは住み込みのベビーシッターのプログラムのようなもので、日本からシアトルに来ているとのこと。最長2アメリカにいられるようで、遅くても来年の夏には日本に戻ってしまうそうだ。とても優しいのだが、恋愛相手としての可能性は残念ながらなさそうだ。というのも、なかなか話しが合わない。かなりふんわりした人で、あまり先のことも考えていない様子。友達としてはいいが、それ以上の関係になる上で深い話しをできないのは致命的だと考えているため、その先が一切見えなかった。このプログラムで来ている人の中には、アメリカで婚約相手を見つけこちらに残る人も一定数いるとのことで、そのリスク回避も兼ねて極力自分からは連絡しないようにはしている。

 

5人目:水取ってきてウーマン

今年の1月に1度だけ会ったのが同い年の日本人の子。普段は車で3時間離れたところでベビーシッターをしているが、ホストファミリーの冬休みでシアトルに来たとのこと。たまたま僕も暇な日だったため、会うことに。お気づきかもだが、彼女も前述のお姉さんと同様のプログラムでアメリカに来ている子だ。この子も可愛くはあるのだが、なんせ会話が浅い。またこのパターンかと思い早々から興味は失いつつあったが、領事館に連れて行ってほしいとのことだったので、氷道を渋々運転して連れて行った。途中シェイク・シャックに寄り昼食を食べたが、フードが届くと、「水取ってきて」と指図してきた。会計も僕が払い、氷道にも関わらず車も出して、水すらも取ってきてと指図され、こいつ何様やねんと少しイラッとはした。この時点で彼女に対する興味はゼロになり、領事館に送るだけ送って帰ろうかとも思ったが、流石に家までは送ってあげた。その後ラインで「私に興味なかったでしょ?」と来たので、流石に勘づかれていたようだが、弁解する気力も残っていなかった。

 

6人目:32歳ってこんなおばさんなん??

この人はまさに今日会った人だ。昨晩急にHingeでメッセージが来て、今日会うことに。32歳の日本とアメリカのハーフのお姉さんだ。メッセージのやり取りの時点で、とてつもないジェネレーションギャップは感じたが、来るものは拒まずスタイルで会ってみることに。公園で待ち合わせをしたが、会話を始めて1分持たずで無理だなとなった。引き笑いが低い声でとてもおばさんだ。CAとして働いているとのことで、仕事の話しなどはなんだかんだ面白かったが、とても32歳とは思えない老いを感じた。散歩をしながら5分に1回はベンチに座らなければいけない体力で、過去の恋愛遍歴もそりゃあんたシングルですわとなるような内容ばかり。途中から自分は一体何をしているんだろうという感覚に陥った。会ってすぐ帰るのは失礼かと思い、2時間ほど一緒にいたがしんどかった。相手は8個上でバリバリ稼いでいるのにカフェで僕が奢ったのもよくわからないし、これまでは10個上くらいの人としかデートしたことないとのことで、もう二度と年下にメッセージ送るなよと忠告したいくらいだった。思えば、会う前から変な人オーラは出ていたため断ればよかっただけなのだが、怖いもの見たさで行ってしまった自分が悪い。

 

~総括とこれから~

会った人はこれだけだが、メッセージのやり取りをした人は他にもたくさんいる。僕は週末暇な時にアプリを開く程度だったためこの数だったが、積極的に使えばもっと出会うことは出来るだろう。マッチングアプリを使ってみて思ったのは、色々な人と出会えてしまうこと。学校や職場では、バックグラウンドや社会での立ち位置が似たような人が集まっているので気の合う人も多いが、世の中には全く違う所で生きている人たちも大勢いるのだ。僕は今まで出会ってきた人たちが、留学で会った人たち&慶應UWの人たち、理系の大卒以上しかいない現在の職場の人たちなど、一般に比べると少しエリートと呼ばれる人に囲まれて生きてきたので、そのレベルが標準だと錯覚している。そのため、キャリアの悩みなどを相談しても理解してくれる人たちばかりだし、そこまでふんわり生きている人もいない。だが、世の中には必ずしもそういう人ばかりいるのではないと学んだ。僕が話していて楽しくないように、相手からしても僕の人生観の話しなどはつまらないのだろう。もちろんそれが全てではないが、確率的に言えば、どうしてもバックグラウンドや社会的地位が似通っている人同士の方が、分かり合える確率は高いものなんだと思う。

ということで、恋愛相手を探すという意味では、選択肢は大きく分けて2通りある。1つは数打ちゃ当たる理論で、マッチングアプリを使い続けること。実際元カノとの出会いがアプリだったように、気が合う人とも出会えるのがオンラインデーティングの良さだ。もちろん、合わない人も多いし、時間もお金も労力も割くので疲れはするだろう。だが、オプションとしてはそこまで悪くないのかなとは思う。

2つ目の選択肢はマッチングアプリは使わないこと。どうしてもアプリで出会う人とは恋愛が最初から視野に入ってしまうため、友達になれた人でもならずじまいで終わるなんてこともよくある。そこに時間を使うくらいなら、対面で出会った方が良いのかもしれない。どこで出会うかというのが社会人の難題ではあるのだが、、、

 

~そもそも彼女は必要なのか?~

大学で初めて彼女ができてから、僕自身少し変わってしまったようにも思う。今まで知らなかった愛の良さを知ってしまい、自分の幸せを彼女に求めてしまう他人依存型になってしまった節がある。そのため別れるごとに次の出会いを求めてしまっているのだろう。だが、どうだろう。他人依存型の幸せでは、自分の人生や感情をコントロールすることがとても難しい。実際別れるごとにアフターショックは大きくなるばかりだし、今まで経験したことのないような鬱の症状にも悩まされたりもした。ここは一回、自分でしっかり舵を取り直すべき時なのかもしれない。

過去の自分がしていたように、何か目標に向かって努力をしたり、プロジェクトに取り組んでみたり、自由時間を自分だけで有意義に過ごせるようになれば、彼女なんていなくても十分人生を楽しめることだろう。社会人になって時間を持て余すようになり心に余白が生まれてしまっているのが、ここまで出会いを欲してしまっている原因なような気がする。この余白を他人に埋めてもらうのではなく、自分で埋めるような何かを探していく方に方向転換したいとは思っている。その案としては、大学院進学を本気で考えてそれに向けて準備をしたり、何か新しいことを学び始めたりなどがある。また、親がシアトルで飲食店経営を考えているとのことで、それが本格的に始まれば、自分も共同オーナーとしてビジネスに労力を注いでみるのも面白そうだと考えている。

後は、もっと自分に自信を持ち、心に余裕を持つこと。僕は24歳になったばかりとまだまだ若い。出会いがないと焦るほどの歳でもないだろう。大学もある程度の所を出ているし、キャリアもスタートとしては上々だろう。お金も既にある程度蓄えてあるし、これからも特に金銭面で困ることはない気がしている。言語も英語、日本語、韓国語と話せ、複数国で住んだ経験もあるので、キャリアも生活もオプションが多い。身長や容姿などは特に誇れるものはないが、コミュニケーションは普通に取れるし、恋愛経験もゼロではない。もしかすると人生観や性格に難があるのかもしれないが、この先一生彼女ができなくても、自分の力で生きていく分には問題ない自信がある。もしこのままシングルなら、妹や親、仲良い友達をサポートすることで恩返しをすればいいだろう。かなりポジティブな方向に持っていってはいるが、恋愛や結婚にこだわらずに、自分本位で幸せと感じられるバランスの良い人生を送れば彼女なんていらないのだ。

これから同世代でも結婚していく人が増えていくことだろう。もちろん当人たちには喜ばしいことだが、だからといってシングルである自分を卑下する必要は全くない。他人は他人、自分は自分と割り切って、より芯のある人間になれるよう、日々自分と向き合っていきたい。シングルのみんな、元気出して行こう!既にパートナーいる人たちは末長くお幸せに!

ルールを破ることは悪なのか?

今日は妹の17歳の誕生日だ。社会人の兄ということでここは良いプレゼントを、とも思ったが、なんせ僕は物の価値がそこまでわからないので諦めた。妹が大学までに1万ドルを貯めたがっていたのは知っていたため、お年玉や毎月のお小遣いと同じように、妹の口座に誕生日ボーナスとして1700ドルを振り込んだ。これにて僕がこれまであげた分と、自分でバイトした分で1万ドルに到達したらしい。17歳に振り込む額としては多いような気もするが、7個下の妹は何歳になっても可愛いものだ。自分の経験上、お金に余裕があると、心にも余裕ができる。来年大学生になる妹には、あまりお金を気にせず、学生生活を存分に楽しんでもらいたいのが兄としての願いだ。

清々しい気持ちで送金を終え1階に降りると母に呼ばれた。聞くと、今朝発表だった妹の数学の期末テストの結果が0点だったらしい。オンラインでの試験でカンニングしたのが先生にバレたのだという。苦戦した問題を解いている最中に、別タブで宿題を見たのが録画されていたんだとか。ちなみに妹は僕より優秀なため、成績はこれまでほぼ全て4.0だ。今回のクラスでも期末が0点ながら、学期の成績は3.8で留まったというのだから驚きではある。なんでそんなことしたの?と聞いたら、満点を取りたくてと言っていた。とりあえず先生には謝罪のメールを入れて、これからは絶対カンニングはしないようにと伝えておいたが、これはなかなか面白いトピックだ。ということで本題に入ろう。

~ルールを守ることが全てではない~

既に大学を卒業して2年が経った僕からしたら、カンニングはそもそもトライする価値がないことだ。試験の結果や成績なんて社会に出たらあまり関係ないし、個人的には試験は、正々堂々戦って負けることに意味があるとすら思っている。だが、学生時代の自分を思い出すと、確かにカンニングをしたいなと思ったことはあるし、実際にしてしまったこともある。これは大学2年次のことだが、生物のオンラインの小テストで、単語の定義を答えよという問題で全くわからず、残り10秒でウィキペディアをコピペしてそのまま提出。成績にそこまで影響のない小テストなのだが、満点の成績をキープしたいというプライドにより不正をしてしまった。自分で言うのもあれだが、僕は要領が良いというか、ズル賢いタイプの人間だ。このコピペをした10分後にはウィキペディアのアカウントを作り、コピペした部分のウィキペディア内の表現を大幅に変更させることで危機を乗り切った。当時は小テストが返ってくるまで何度もウィキペディアを確認していたが、今となってはバカらしい笑

それ以外はカンニングらしきことは試みたこともないが、カンニング以外にも人生魔が刺すことはある。妹だからと擁護するわけではないが、今回のカンニングに関してはまあ大したことではないと考えている。誰かを傷つけたわけではないし、本人はこれでもかと反省しているし、これからはこんなハイリスクノーリターンなことはしないだろう。今回はまだ衝撃度の低い内容だったが、これが例えば飲酒運転で人を轢いてしまった、だったり、不倫をして多額の賠償金が発生、などの場合はどうなるだろう。

飲酒運転もドラッグも、浮気・不倫も個人的にはカンニングと同じで魔が刺す部類の行動だ。これらだけでなく、法律違反のことは大抵がこの部類に入るような気もするが、きっかけは全てに共通しているような気がする。ダメだとは思っていても、やってみたくなる。一回くらいバレないでしょ、がうまくいくと常習犯になってしまう。自分含め、僕が今まで会ってきた人間の大半は、何かしらのルールを破ったことがある人たちだ。大学での未成年飲酒や、アメリカにおける飲酒運転などは逆に完璧に守っている人が少数派なくらいだ。時々見せしめのように、取り締まられる人がいるが、9割以上の人はルールを破っていながらまだドボンをしていないだけだ。

バレていないとしてもルールを破っている人は全て悪だと信じる人もいる。そこまで強い信条ではなくとも、自分は周りに流されずにルールを厳格に守るという人も一定数いることだろう。その人たちは優良市民ではあるが、生真面目であることも多い。残念なことに、この世界は必ずしも真面目な人が報われる世界ではない。仕事でも生真面目な人は、ミスをした時は正直に上司に言うし、勤務時間中も一生懸命働くことだろう。そして心身に疲れが溜まり、後に壊れることが多い。だが要領の良い人は、大抵のミスはうまく隠すし、仕事はこなしながらそこまでストレスが溜まらないようにコントロールしている。両者とも給料は一緒かもしれないが、昇進や会社でうまくやっていくという観点では、後者の方が優位に立つ気がする。

生真面目なのが悪いというつもりは一切ないのだが、この公平そうで不公平な世界でうまく生きていくためには、バランスが大事なような気がしている。自分の信念を持つことは大事なことだし、他人に流されないことも自分を守ることに繋がる。だがその信念を他人に求めると苦労するのは自分だ。「自分はこんなに真面目に働いているのに、なんであんなサボっているやつが自分と給料一緒なんだ」とか、「こっちはこんなに気使ってサービスしたのに、全くお礼がないのはおかしいだろ」など怒りの感情を持っても誰も得しないのだ。

そう。他人に興味を持たないことが自身の幸せに繋がるような気がしている。僕は倫理観が少しズレているかもしれないが、ルールを破る人に対してそこまで嫌悪の気持ちを抱かなくなってきた。他人を直接傷つける系の犯罪にはもちろん抵抗はあるが、それ以外に関してはルールもルールだしと思ってしまう節がある。

~締め~

仕事ではより多くのことを任されるようになり忙しくなってきてはいるが、自分の要領の良さには自分でも感心することが多い。普段を4割程度のエネルギーで乗り切っているので、やることが多い時に2倍以上の仕事をこなすことができるのだ。その差が良いアピールになっているようで、マネージャー陣からの評価が上がってきているのを実感している。無論これが効果的に使えるのは、そもそも周りのマックスエネルギー量が僕のマックスの6割程度ということがあるが。この仕事体力に関しては昔から意識していることだが、通常時にエネルギーをセーブし、全くストレスを溜めずに済むためおすすめだ。

ちなみにだが、個人的にはアメリカでサラリーマンをする分には、要領が良い人の方が適していると思うため、自分はそうしている。逆に生真面目な人の方が輝ける場所は研究やアカデミックの世界だと思う。サラリーマンに関しては言い方は悪いが、「いかにストレスを溜めずに仕事している風を装い、残りの自由時間で人生を満喫するか」だと思っている。もちろんこれから価値観が変わるかもしれないし、正直この価値観を変えたいなとも思うが果たしてどうなることやら。

P.S.

前回ハッとなった人がいると書いたが、残念ながら儚く散りそうだ。相手の反応がよく分からずアプローチを間違えてしまったような気がする。こればかりは相手がいることなので、自分ではどうしようもない。今年は毎週の3連休に加え、有給が56週間分ほどあるのだが、どう使おうかプランが立たない。理想はパートナーと1ヶ月ほど旅行をしたいのだが肝心のパートナーがいない。一人旅や友達と旅行に行くのもありなのだが、そもそも行きたいところがないというつまらない人間だ。お金と時間があってもあまり幸せを感じられないのはなんと残念なことだろう。各地を転々としながらマラソンのレースやポーカーのトーナメントに出てみるのは面白そうなので、やってみるかもしれない。全てが安定していてストレスがないことは嬉しいのだが、そろそろ刺激が欲しい時期だ。自分の今年・来年が一体どうなっていくのか、自分でも予想がつかない。

今年こそ「出会いの春夏・別れの冬」ルーティン脱却へ

今日は317日金曜日。仕事のスケジュール的に毎週木金土が休みということもあり、平日ながら自分にとっては休日だ。晴れの日が増え、Daylight Saving Timeの開始とともに日暮れも遅くなったため、ムードは上々。年末年始に苦しんだ鬱のような症状は一体なんだったのだろう、ともうすでに他人事だ。シアトルに移り住んで丸5年が経とうとしているが、冬にやってくる季節性うつは年々悪化する一方だ。11月から2月の4ヶ月間は常に外が暗く、半分以上は雨で、天気も自分のムードも常にどんよりしている。今回のテーマはズバリ恋愛だが、これもまた冬の絶不調期の影響をもろに受けてきた。

〜前置き〜

あまり過去の恋愛を事細かに他人とシェアする人は、少なくとも自分の知り合いにはいない。だが僕は特に気にしないため、ここに過去の恋愛の時系列をざっとまとめてみることにする。

シアトルに移ってきたのは20185月のこと。20174月から1年間通っていた慶應を辞めて、2018年の7月から近くのコミュニティ・カレッジに1年通った。日本では19歳まで暮らしたが、一度も彼女ができたことはなかった。人生初彼女ができたのは、大学2年の終わりが近づいた20196月のこと。当時日本から留学に来ていた可愛い子と付き合った。その年9月からは念願のワシントン大学編入し、恋愛面でも楽しい思い出がたくさんできたが、彼女が12月に帰国した後、20201月に別れた。唯一過去のブログでもほとんど触れていない人だが、既に結婚して子供もいるようなので、このまま幸せな人生を送ってほしいと陰ながら応援している。

この年3月からはコロナで大学の授業はオンラインになった。家で過ごす毎日は快適だったが、変化を求め夏にスーパーでバイトを始めた。そこで知り合った同じ大学のアメリカ人の後輩と付き合い始めたのは20209月のこと。価値観の違いなどはありながらもうまく行っていたが、202111月初めに別れた。今考えると別れた原因の大半は自分の未熟さにあったように思う。2021年は、6月に大学を卒業し社会人生活が始まった1年だったこともあり、自分自身の人生観・価値観がブレブレだったことも別れに繋がった。次に出会いがあったのは20226月のこと。社会人は出会いがあまりないため、マッチングアプリを使ってみると上手く行き8月にインドネシア人の美女と付き合い始めた。メインの仕事に、新聞の執筆・編集業とレストランのサーバーの副業2つと、実に3つの仕事をこなしながら、彼女に週45のペースで会っていた。3ヶ月ほど毎日外出する日が続いていたが、夏のハイテンションモードは10月で息切れし、結局11月末に別れた。そしてこの別れに伴ってきたものは人生最大の病み期。12月から1月中旬にかけての67週間は、人生で一番苦しんだ期間だった。色んな人の支えのお陰でなんとかまた普通の状態の自分に戻り、前述の通り3月からはかなり好調だ。

さて、こう振り返ると、過去3回の恋愛とも付き合い始めは69月という夏の時期、そして別れは全て111月という冬の時期だ。もちろん季節が全てではないが、自分はかなり影響を受けやすいのかなと思う。そもそも自分のエネルギー量がモチベーションに左右されやすいタイプであるため、調子が良い時は一日中仕事をしても外出をしても疲れないが、調子が悪いと何もしなくても疲れる。そのため、夏と冬とでは自分でもびっくりするくらい別人になっているような気がする。唯一1年以上続いた2人目の彼女とも、別れはしなかったものの、付き合って数ヶ月経った121月には、いくつかのことでぶつかり合い別れかけた。もちろん自分に責任があるのも確かだが、それほどにシアトルの夏と冬の天候の違いは大きい。天候は自分では変えられないため、来年からはどこか別のところで暮らしてみようかなとも考えている。

〜本題〜

過去の振り返りはこの辺にして本題に入ろう。皆さんは今まで「直感」という感覚が正しかった経験がどれだけあるだろうか。なかなか答えを考えるのが難しい質問だとは思うが、僕は過去にぼんやり考えていた将来像が実際に起こった経験が一定数あるように思う。例えば高校の時に、大学院までにはアメリカに来ているだろうなという直感通りに、数年後には既にシアトルに移り住んでいたり。大学4年の就活時に、なんとなく1社目はローカルで、1年後に大企業に転職している気がするなと考えた通りになったりなどだ。

恋愛においての自分の直感は、35人目に付き合った人と長く続きそうということだ。これは彼女ができる前から持っていた直感で、もちろん彼女がいる時はずっと続くように努力はしていたものの、なんだかんだで3人目までは残念な結果となった。ちなみに、復縁をする人もかなりいるようだが、僕は自分のタイプ的に可能性はゼロと断言できる。実際元カノと別れた後に会ったこともなければ、連絡も取っていない。当初は友達でも良いかなと思っていたものの、経験を積み、距離を置くのがお互いにとってのリスペクトなのかなとも思うようになった。

これまで結婚などについてあまり真剣に考えたこともなかったが、今月で自分も24歳になった。会社の同僚の20代後半組はほぼ結婚・婚約済みか、数年以上付き合っているパートナーがいる。もちろんシングル勢もいるが、割合にすると23割といったところだ。30代以上に関しては大体が結婚済み&子持ちで、さすがに少しはプレッシャーを感じる。僕が働いている会社は製薬業界ではかなりの大企業で、好待遇で福利厚生も充実しているため、結婚している人が多いのもあるのかもしれない。新聞の仕事の方は、自分以外のメンバー6人全て3050代の日本人女性で、結婚済み&1人を除き全て子持ちだ。それに加え、自分の親はもちろん、叔父さん叔母さんなども、皆結婚して子供がいるからこそ知っているわけだ。人生において結婚が持つ意味はなんなのだろうか?今回は24歳になったばかりのシングルの立場から考察してみたい。

まず、これは自分の中ではほぼ確実ではあるが、結婚はさておき、パートナーがいる・いないでは、明らかにいた方が楽しいとは思う。自分の経験上でもそうであったし、他人を見てもそう感じることが多い。シングルの人で一人で幸せと言っている人をたまに見かけるが、その言葉の強さが強ければ強いほど、そして自身の年齢が高ければ高いほど、どこか哀愁を感じる。もちろん偏見かもしれないが、37歳シングルで「私はシングルで幸せ」と力強く言っていたあるお姉さんの、「老後は確かに心配だよ」という哀愁染みた一言が今でも忘れられない。大学時代に何かの授業で見たが、家族との繋がりが多い人ほど長生きするらしい。それはそうだろう。若い時こそ周りもシングルの人がいるため、一緒に遊んだりなどできるが、結婚し子供を育てる年代になってくるとそうもいかないだろう。ただ、時代も変わってきているため、一概にそうとも言えないのかもしれないが。

自分は今シングルであることにそこまで悲観はしていない。時間はできるし、自分の将来を考える時も、他人を意識しないで決断を下せるからだ。ただ、この先どこかのタイミングでパートナーが欲しいなとは思う。一緒に旅行してみたいし、美味しいレストランにデートも行きたい。友達や家族ともできることではあるが、大きな違いは自分の存在が相手にとっていかに大事かと、どれだけコードが合うかだ。友達同士、相手を大事には思っていても、パートナーという特別な関係性には敵わないように思う。自分が誰かの特別な存在であることを実感できると、個人的には生きる気力が何倍にも出てくる。また、両親や兄妹などは特別な存在ではあっても、自分で選んだ関係性ではないため、コードが凄く合うということは珍しいことだろう。その両方を持ったパートナーとは、お互いの人生を照らし合える存在なのだと思う。

合わない人や、相手を傷つけてしまう人とは、いくら良い点がたくさんあっても別れた方が良いということもあるだろう。常に正しい決断を下せる人間なんていない。失敗はするものだし、恋愛においては選択ミスもあることだろう。だが、周りを見ると、本当にバランスの良さそうなカップルが多々いることも確かだ。彼ら彼女らがどんなプロセスを通してお互いを見つけられたか、そしてそのバランスをどう維持しているかは当人達にしかわからない。一見完璧なカップルに見えても、中身は崩壊していることもあるため、一概に分析することもできない。自分で探っていくしかないことなのだろう。

結婚がテーマでありながら、パートナーについてしか語っていないが、今はやはり結婚についてはあまり考えられない。まだ自分の人生がどうなるかもよくわからないのに、結婚して子供を育てるなんて想像もつかないからだ。ただ、もしこの先自分が心の底から愛する人とパートナーになれたとして、その人が結婚や子供に興味があったら、そこから考えることなのだと思う。パートナーがいる人は羨ましいとは思うが、結婚しているというステータスや、子供がいるという事実にはそこまで憧れはない。もし自分にパートナーとの関係性の権限が全てあったとしたら、自分の理想は、パートナーとの時間を存分に楽しみたい派だ。まだ24歳だからそう言えるのかもしれないが、結婚はともかく、子供ができたら時間やお金など大半を子供にかけることになるため、それより先に二人で旅行をしたりする方が楽しそうだからだ。そのフェーズを数年かけて終えた人は、自然と結婚や子供について考えたりもするのだろう。それか、子供が好きな人は、若く体力があるうちに子育てをしときたいと思うのだろう。

〜新たな出会い〜

最後に自分の現在について書いて終わろうと思う。僕は感情の動きがかなり早い方で、人を好きになる時も大半は直感だ。出会った時や話した時に「ハッ」とする。このハッという感覚は、必ずしも恋愛感情ではなく、他人への興味であるため男女問わない。例えば高校2年時に留学から帰国した時、初恋の人にハッとした同じ感覚を、藤原君という新たなクラスメイトにも持った。とにかくこの人のことをもっと知りたいという感情だ。その藤原君とは今でも親友で、時たま電話もしている。彼の魅力は、自分にない凄さを持っていること。数学の問題の解き方を見た時に、自分の思考回路に存在しない別路線が見え、この人面白いとなった。というように、自分は何か自分にないものを持っている人に興味を持つことが多い。ただだからと言って能力者全員に興味があるわけでもなく、その能力を持っていながら、人間味や優しさ・謙虚さを兼ね備えている人に惚れる。

恋愛でもハッとする感覚は似ている。大学時代は容姿がタイプで、話していて楽しい人に、好きという感情が湧いていた気がする。ただ感情がかなり突発的であるため、何回か会ってやっぱり違ったなとなったり、友達の関係性が合っていたとなったり、自分は恋愛的に好きでも相手が自分に興味がないから引いたりなど、その後のパターンは多岐に渡る。昨年末彼女と別れてからは、その感覚がなくなっていたというか狂っていたため、一週間後には消えているようなハッの繰り返しだった。だが、3月に入り、久しぶりにしっかりとした感覚を持った。

その感覚を持った相手がこれを読む可能性がゼロではないため、その人について詳しいことは一切書くつもりはないが、とにかく魅力に溢れた人だ。もっとその人のことを知りたいし、遊びにも行きたいが、距離感が難しい。今回の感情は、過去に類を見ないレベルの大きさであるため、アプローチをしすぎて相手に距離を置かれるのが怖い。ここまでの大きさである理由は、これまた直感に繋がる部分で、ここ数年思い描いていたパートナーの理想像とその人がびっくりするほどマッチしているからだ。こう書くと恋愛感情と思われるかもしれないが、自分の中ではそうでもない。付き合ってカップルっぽいことがしたいというよりかは、その人の特別な存在になりたいという感情だ。

その人は自分以上のポテンシャルを持っていて、人としての完成度も自分とは比べ物にならない。勝手なことはわかっているが、全力でサポートをしたいし、自分もそんな人の近くにいたら刺激になり、自分のポテンシャルをもっと発揮できる気がする。そう思わせてくれる人にはなかなか出会ったことがない。これが恋愛感情といえばそうなのだろう。昨日今日と休日が続いているが、こんなに誰かのことで頭がいっぱいなのは久しぶりだ。一体自分のこの感情をどうコントロールしていくのが正しいのだろう。器用なタイプではないため、相手が自分のことをどう思っているかも全くもってわからない。一般論的なアドバイスでは、ゆっくり時間をかけてまずは友達として仲良くなるのが鉄板だろう。自分もそれには賛成なのだが、ゆっくりが苦手なタイプなのでフライングしないかが心配だ。僕の人生のモットーは他人に迷惑をかけないようにすることだ。できれば相手の感情を把握してそれに合わせて行きたいが、この先どんな関係性になっても、相手に迷惑だけはかけないように弁えようと思う。では、今回はこんなところで。