JJ

JJの気まぐれブログ

悔いの残る高校3年目

本当は今日は最初の2つの投稿だけで後は学校の宿題でもやって寝ようと思ったんですが、どうしても今書きたいことがあるので書きます。

僕の出身校は公立の中高一貫校で、留学に行っていた高校1年次以外の5年間は同じ学年のメンバーで学生生活を送りました。学年のメンバーと言っても130〜140人ほどで毎年クラス替えもあったので卒業するまでにはほとんど全員が知り合い・友達同士になれるくらいの環境でした。中学時代はほとんど記憶に残らないくらい普通の学生生活だったのですが、留学から帰ってきた後の高校のラスト2年間、特に受験生だった高校3年次は悪い意味で自分の記憶に強く残るものになってしまいました。今日久しぶりに中高時代の友達がブログを読みたいと連絡をくれて、自分の中で色々な高校時代の記憶が蘇ってきたのでそれについて書きたいと思います。

高校2年生の6月に留学から戻って来た時、今回連絡をくれたSさんを含め中学時代から仲の良かった人や、新しくクラスメイトになった人、先生方も含め学校にいる多くの人が勉強面や環境面で様々なサポートをしてくれました。おかげで勉強面では1年間のギャップをほとんど感じることなくすぐに受験生になれるような準備ができ、色んな人と仲良くなれて、初恋も経験できて、高校2年の3月まではとても充実した高校生活を送れました。正直高校2年までの学生生活の中で後悔していることはほとんどありません。部活を途中で変えたり、学校行事を適当にやったりと周りから見たら充実してないと思われることもありましたが自分の中では全てに満足していました。

そんな順調な学生生活が一気に変わったのが受験生となった高校3年のときです。4月になるとともに自分の中でスイッチを入れ、絶対に第一志望に受かるという目標だけ持ってその他のことを気にしないようになりました。受験生であれば皆同じような目標を持つものですが、僕の場合少々違いました。未熟ながら自分に自信だけはあるタイプの生徒だったので学校の授業や集会で先生が話すことには一切耳を傾けず1人で淡々と参考書で勉強しました。ただ耳を傾けないだけでなく、学校に行くことが自分の勉強を阻害しているといった根拠のない被害妄想まで抱きはじめ、その不満は先生や周りの友達、家族にも目に見えて伝わるレベルでした。6月の英検前にはラインも消し友達との連絡すら絶って自分の世界に入り込んで勉強を進めて行きました。夏休みや冬休みなども学校の講習や塾の講習などにはほとんど参加せず周りにいる人たちも話しかけづらいくらいにはなっていたと思います。

この話しだけ聞くとストイックに頑張ったんじゃないか?とも思われるかもしれませんが今振り返ると、自分を追い込みすぎて周りに八つ当たりしていた、という表現の方がしっくりきます。詳しい受験に関することは今度書こうと思いますが、結果だけ言うと第一志望には推薦・一般ともに落ちました。3月に結果に出てからはショックがひどく、途中であった卒業式でも誰とも会話を交わさず、写真も一枚も取らず、学年のほぼ全員が参加した卒業パーティーにも顔を出しませんでした。学年の人にどう思われていたのかはわかりませんが、自分の中ではあんなに余裕ぶっといて落ちたことや開き直れず卒業パーティーにも出席しなかったことに対してやっちまったという感情しかなく自分の高校生活は最悪だった・友達も失った、そんなふうに結論を出していました。大学に入っても高校の友達と会ったのはほんの一部の人のみで、先生方に関しては誰一人として連絡もとりませんでした。

大学1年次は大学の友達も受験について話していたこともあり、第一志望に落ちたことが自分の中での一番の失敗だと思っていましたが、数年経って国も変えて日本での学歴を捨てた今、僕の解釈は昔とは違います。僕の一番の失敗は受験に落ちた事ではなく人間関係をキープできなかった事です。人生長い目で見ると学歴や点数より人間関係が一番大事なんだな、と心の底から思います。中高時代あんなにサポートしてくれて一緒に笑ってくれた友達や先生方に不満顔ばかりみせ、気を遣わせ、昔の良好な関係性に傷をつけてしまった僕の態度は人生最大の失敗です。今気づいてもすでに遅いのかもしれませんが、今日中高時代の友達であるSさんに”応援してるし忘れるわけないじゃん”と言ってもらえて、これからは同じような失敗をしないようにしようと心に決めました。周りの人はどうも思ってないのかもしれませんが、自分の中でもうみんなとは顔を合わせられないという思いはずっとあり同窓会なども一度も参加していませんが、もし機会があったら数年後でも数十年後でも大切な中高の仲間にまた笑顔で会いたいなと思っています。最後にSさん、連絡くれてブログも読んでくれて本当にありがとう!